◆DNAの記憶 その1◆ 「ご主人様」 執事のロマーリオに呼ばれ俺は顔をあげた。 ご主人様、と呼ばれることに慣れてしまった自分に少しだけ疑問を覚えながら。 そして、顔を上げた先には。 一人の子供が立っていた。 綺麗な無垢を体現しているような瞳がひどく印象的で、顔の作り自体も精巧なことにも気づかずその瞳に俺は吸いこまれてしまった。 「今日からこの子はご主人様のご養子です」 ロマーリオが完璧な執事の冷静さで、暫くぼうっとしていた俺を現実へ引き戻す。 養子。 そうだった。 先日招待されたサロン、という名の退屈な噂話会で最近宮廷ではやっている遊びに付いて聞いたのだった。 気に入った異国の子供を養子にして遊ぶという、くだらない連中の考えそうなくだらない話だった。 そこで、どこかのなんとか夫人とかいう貴族であるということだけが生きがいのような女が俺に言った。 「妾の所に新しい子供が来ましたの。よろしければキャッバローネ伯爵に差し上げたいわ」 何が、差し上げるだ。相手は人間でしかも子供で、仔犬のやり取りとは違うんだぞ、と内心かなり怒っていた俺だがそこは持ち前の愛嬌を振りまいて、 「夫人がそうおっしゃられるなら、是非」 と駄目押しの笑顔まで作ったのだ。 仕方がない。いくら粋がって見たところで強いものにはまかれろという、これが現実だからな。 案の定、俺の笑顔に騙されたなんとか夫人は嬉しそうに「では早速手配いたしますわ。お気に召されると嬉しいのですけれど」とかなんとかぶつぶつ言っていた。 この流れで、目の前の黒い瞳の子供が俺の養子になった、ということらしい。 「では、私は失礼いたします」 ロマーリオが完璧なお辞儀をして部屋から出ていく。 部屋に取り残されたのは、俺と彼の二人きり。 その強い光をタタエル瞳に見つめられ、息が詰まってくる。 「あー、そのなんだ。名前は」 とりあえずの質問をしてから、この異国の子供にイタリア語が通じるのか急に不安になった。もし言葉が通じないのなら、それ相応の教育を受けさせないといない、などと考えもした。 「HIBARI、と言います。L'allodolaという意味です」 声は少し震えていたものの、俺の不安を吹き飛ばすような正しい綺麗な発音だった。 「ヒバリ…」 口の中でその言葉を転がしてみる。 悪くない。 「よし、じゃあヒバリ。今日からお前は俺の息子だ。よろしくな」 ヒバリの表情があまり冴えないことは気がかりだったけど。 その時の俺はあえて無視をして、ヒバリに笑いかけた。 とりあえずの世話をするようにロマーリオに頼むと、俺は仕事に戻った。 先代、つまり俺の父親だが、は色々なことに熱心だった。しかし、その熱心さが裏目に出て家の財産という財産をほとんど使い果たしていた。 俺に残されたのは、ローマにある小さなアパルトマンと田舎の屋敷がそれぞれ一つだけ。 幸い田舎の屋敷にはそれなりの土地が付随していたから、それなりの生産は上げられていた。しかし、それはあくまでもつましく生活していくには過不足ない、という程度の生産性しかなく、貴族としての体面を保つのもやっとという位だった。 俺は田舎の領地経営、こう言うとカッコいいけど実際は苦労だけ、を古参の使用人に任せ、仕方なくロマーリオと二人でローマに出て金策に走った。 とはいえ、親父が死んだときには俺はまだほんの子供だったわけだから、あの優秀な執事がほとんど仕事をこなしていたわけだ。 ゴーン、と屋敷の中にドラの音が響き渡る。 この屋敷も元々はうちのものだったのが借金取りの手に渡り、ようやくそれを取り戻したのだ。フォルネーゼの屋敷ほど広くはないが、それでも屋敷の周りを囲む緑は最近騒くなってきた街の雑音を消してくれ、俺はかなり気に入っていた。 もう一度、ドラの音がする。 夕食の時間を告げる音だ。これもなんたら夫人の過ぎた東洋趣味、あの女は出身がフランスだといっていたからきっとその悪影響だろう、東洋のものというのを必要以上にありがたがる傾向の恩恵だ。 あの女のそれを否定するからといって、俺が全く東洋に興味がない、というわけでは勿論ない。 謎は素敵だ。子供のように興奮する。 その謎を解明してみたいと思う。 だけど、子供を無理やり養子という名の奴隷にしたり、貿易という名の略奪が正当化されるとは思わない。 子供、で思い出す。思い出すという表現は正確ではないな、頭の片隅にある種の強さがあるあの瞳の黒がこびり付いて、仕事の合間も離れなかったのだから。 食事の間は、もう少し話ができるかもしれない。 正直に言うと、おれは少しわくわくしていたのだ。 重厚なニスの光を放つ机には一人分の食器だけが用意されていた。 「ヒバリは?」 傍らに立つロマーリオに聞く。 少し怒ったように言ってしまったかもしれない。ロマーリオが俺を宥めるかのように穏やかに微笑む。完璧な執事の微笑み。 「お休みになっております。お疲れになられたのでしょう」 丁寧な、それでいて簡潔な返事が返ってくる。 「そうか」 と俺は納得するしかない。 なんだか肩透かしを食らった気分に自分でも驚いた。 そんなに楽しみにしていたのだろうか。 いつもなら料理人の腕のよさを味わう晩餐が、突然味気なくなった。 夜、俺は仕事をする。 たいてい、あほな貴族たちに付きあってお茶会だの観劇だの舟遊びだのという遊興で一日の大半は潰れてしまうのだ。 仕事は溜まりたい放題溜まっている。 本業の領地経営の他にも、最近始めた会社経営やら色々とやるべきことは尽きはしない。 コンコン。 と、扉をノックする音がした。 いつもよりも軽い音だと感じつつも、ロマーリオが夜の飲み物でも持ってきたのかと思った俺は、 「入れ」 とだけ命令した。 重いドアがゆっくりと、こちらを伺うように開く。 その開け方に俺ははっきりと違和感を覚え「誰だ」と誰何した。 「あの、ご主人さま」 細い声とともに、姿が現れる。 「ヒバリ…」 予期しなかったことに、とっさに気の利いた言葉が出てこない。情けないことだ。 「あの…」 最初の驚きが収まった俺は、おどおどしているヒバリに声をかけた。 「どうした、眠れないのか?」 知らない家でヒバリは不安なのだろう、と思いこう言ってみたのだが、子供には冷たく響いたのかもしれない。ヒバリは扉の影に隠れるように小さくなった。幼い頃から同世代の子供と遊んだことのない俺は、こういう時にどうすればいいのか分からないでいた。 「突然連れてこられて、疲れただろ。寝ていなさい」 更に言ってはみるものの、ヒバリの姿は扉の影から動こうとしなかった。 これ以上の言葉が見つからなくなった俺は、椅子から立ちあがるとヒバリに向かって歩いていった。 俺が近づくと、ヒバリの肩がびくりと震えた。 「どうした」 怪訝に思い、顔を覗きこむ。 「あの…どう、すればいいでしょうか」 何かに耐えるようにヒバリは目を伏せ、震える声で言った。 「どうするって…疲れたのなら部屋に帰って寝ればいいだろ」 俺の言葉に、ヒバリの目が驚きで見開かれる。 当たり前の事を言っただけなのに、何でヒバリが驚いているのか俺は分からなかった。 俺の怪訝そうな表情を読み取ったのか、ヒバリが言いにくそうに口を開く。 「あの……夜のお相手は…」 段々と語尾の弱くなるその言葉に、一気に俺の体温が上昇する。 「ふざけるなっ」 反射的にヒバリの両肩をきつく握り、体を揺さぶった。 目が血走っていたのかもしれない。 「…申し訳ありません」 「あっ、いや、こっちこそすまん。突然怒鳴ったりして」 消え入りそうなに謝りうなだれたヒバリの肩から手を放し、もう一度、今度は優しく手を添えた。 「子供はそんなことしなくていいから。もう寝なさい」 そして、少しだけかがんで額にキスをする。 「そうだ、お前はもう俺の息子だ。これから、俺のことはディーノって呼んでくれ」 落ち着いたのか、ヒバリは微笑んだ。 「はい。では、僕のことはキョウヤと呼んでください。ファーストネームです」 キョウヤ…。 「何?」 ひどく不機嫌そうな声が、半覚醒の俺の頭の上から降ってきた。 「ん…」 俺はうっすらと目を開けた。 視界には、降ってきた声にふさわしい不機嫌そうな恭弥の顔だった。 こいつの場合は、大抵は不機嫌そうなんだけどな。 「何がおかしいの」 どうやら俺は無意識のウチに笑ったらしい。 恭弥は更に不機嫌な声になる。 「何でもない…」 やっと頭が回り始めた俺は、昨日は恭弥と会っていなかったことを思いだした。 「って、何でお前がココにいるんだ?」 「何でって…」 呆れた、と恭弥はため息をつく。 これは、いつもの罵倒されるパターンだな、と俺は身構える。 「夜中の3時に飲みすぎて家に帰りたくないから、泊まらしてくれってかってに押しかけて来たのはどこの誰でしょうか」 そうだった…け。 義父だからって許されると思ってるわけ、という恭弥の言葉を頭の隅で聞き流しながら、昨日の記憶を辿る。バーで飲んで、かなり飲んでいた、店の外に出た所まででもやもやと記憶が途切れる。 歩いて帰った覚えはある。 でもそこまでだ。 「…憶えてない」 俺が搾り出すように言うと、あきれを通り越した恭弥の表情が寒々と凍る。 「すまん」 こういう時の恭弥には素直に謝るに限ると、俺はいやというほど経験上学んでいた。 「あ、そう。…それじゃぁ、寝てる僕を叩き起こして、あまつさえ僕の布団に侵入してあんなことするから今日は大切な発表があるっていうのに寝不足でしかもめちゃくちゃ背中の筋が痛いんだけど…」 ギロリと黒い目が光を帯びる。 「仕方ないから、とりあえずは、許してあげるよ」 この代償は高くつくよ、という恭弥の視線に、すみません…と思いつつも、恭弥の言葉に引っかかりを感じ、愚かにも俺は質問し返してしまう。 「あんなことって…?」 反射的に真っ赤に染まった恭弥から正拳が俺の腹に決まる。 いくら布団越しとはいえ、朝から義親に暴力はよくないと思うのだが…。 「夢の中じゃ、あんなに可愛かったのに…」 腹を押さえながら思わず漏れた俺の独り言を、恭弥はちゃんと聞いていたらしく。 「夢って、何のことさ」 と顔を赤くしたまま目だけで睨みつけながら挑戦的に言った。 「いや、なに。小さい頃の恭弥はめっちゃ可愛かったなぁ、って話」 ニヤニヤ笑いながら俺が言うと、恭弥は更に顔を真っ赤にした。 「勿論、今の恭弥もめっちゃ可愛いけどな」 言わなくてもいい追い討ちをかけた俺に、恭弥の容赦ないパンチが再び打ち込まれた。 あの夢はもしかして。 と、時々思うことがある。 俺の先祖に俺そっくりなヤツがいて、そして恭弥そっくりな子供を愛していて、それを子孫に見せつけたかったのかもしれないな、と。 彼らの関係がその後どうなったのか分からないが。親子の情愛に始終したのか、それとも大切な片割れとなって離れられずにいたのか。 どちらにしても、俺たち義親子、俺と恭弥との愛の絆のが深いことには自信があるけれど。 その考えに満更でもないなと俺は一人で笑う。 |