◆DNAの記憶 その2◆ これは夢だ。 僕ははっきりと自覚していた。 「どうしたキョウヤ?」 年季の入った落ち着いた木目が美しい机に乱雑に置かれた書類に目を落としていた彼は、怪訝そうに目線を向けてきた。 「いや、何でも。…続きを」 僕は手元の書類に目を落とし、そこに書かれている情報を読み上げる。 彼、顔は知っているけれど名前は思い出せない、は僕の報告に悲痛そうに眉をひそめる。 「…つまり、マントヴァ候は明後日にでも攻めてくる、というわけか」 「そうなるね」 明後日、早ければ明日にもこの都市の城壁外に陣を構えるだろう。 そうなればもう逃げることは出来ない。勇猛で鳴らしたマントヴァ候の軍勢を蹴散らし、この都市を守りきるだけの力はどこにもないのだから。 「で、どうするの?」 決めるのはあなただよ、と僕は義父に向かっていった。 義父、そうだ、この男は僕の義父だ。 数年前戦場で拾われ、まだ若い結婚もしていないこの男の息子になった。 周囲の者たちは色々と意見し僕を排除しようとしたらしいが、というか実際何度も刺客に襲われたのだが、それでも彼は僕を息子にしたし僕も彼の息子としての能力を示してきた。 どうして養子にしたのか、と問うた僕に「血よりも能力のある者が跡を継ぐべきだ」と臆面もなく答えて、僕の頭をふわりと叩いた。 その瞬間、なんともいえない感情が僕を襲ったけれど、その正体は未だに分からない。 「開城、するか?」 独り言のように彼が言う。 都市の住人はほとんどが残っている。 彼らにとって生活の基盤を手放すことはそう簡単にできるものではない。このような時勢だ。いつ何刻領主に何かあろうと、領民は己の力だけで生きていくだけの覚悟と技術を持っていた。 「本気?」 「それが一番だろ」 確かに、こちらから開城すれば無辜の民への被害は少なくて済む可能性が高い。 マントヴァ候もこの都市を滅亡させたいわけではないのだ。街道筋でそれなりに潤っているこの都市の支配権がほしいだけのことなのだから。 「討って出れば、それだけ被害が多くなる」 玉砕するにもある程度の兵士は必要だった。 「あなたが決めたなら」 静かな視線で彼が僕を見つめた。 開城したならば、僕は殺されるだろう。彼は…マントヴァ候には娘がいたはずだから傀儡として残される場合もある。 勿論反対の場合、僕が残され彼が見せしめのために殺されることもあるだろう。確率はかなり低いけど。 どちらかは確実に死ぬ。 それが支配者の義務みたいなものだから。 「手配をしてくる」 僕は降伏の使者を立てる準備をするため、部屋を出ようとした。 「キョウヤ…」 ひどく、深くて静かな穏やかな海のような声で彼が僕の名を呼んだ。 刹那。 僕は手に持った書類を床に捨て、彼の前にある机に飛び乗った。 顔と顔とが触れあわないぎりぎりで僕たちは見つめあう。 間近に感じる彼の吐息。 あまりにも彼との距離が近すぎて、彼を見つめる僕の焦点がずれていく。 くらくらしてきて僕は思わず閉じた。 その僕の頬に彼の手が添えられる。 乾いた暖かい手のひらが僕を包み込む。 彼が動いたのかそれとも僕が。どちからなど分からず、僕たちは互いの唇を触れ合わせた。 暖かい。 その暖かさに惹かれるように、ぼくはするりと机から彼の膝に乗り移りその背中に手を這わせる。柔らかな絹越しに感じる彼の体温。 彼は僕から顔を離し、 「お前は逃げろ」 ともう唇を動かす。 そしてもう一度、今度は深く唇を合わせる。 彼の舌が僕の中をくちゃくちゃにしていき、別の生き物みたいに口の中で暴れる。 「あっ…ふ」 時々息を継ぎ足しながら、僕たちは互いを貪り合う。 思わず漏れる自分の声さえも甘く響き、僕の体の中心がどくんと波打つ。 「っん、ふっ」 くちゅくちゅという音に混じる甘い息。心臓のもっと奥から響くどきどきに耐えられなくなり、僕は彼から唇を離す。 二人の間に透明な糸が結ばれ、すっ、と空中に溶けていく。 僕はその儚さになんだかとても寂しくなって、彼の胸にそっと手をかけ、トン、と彼を押しやる。 「…悪かった」 僕の行動を拒否と取ったのか、彼がかすれた声で謝る。 目を伏せた彼に。 僕はどうしていいのか分からなくなってきて。 そっと柔らかなキスをした。 「もっと…して」 予想もしなかった言葉に彼だけではなく僕も驚く。 そうだった。 僕はずっと、多分、初めて出会ったときから、あの戦場での陰惨な出会いからずっと、彼を欲していたのだ。 そして、その気持ちに気づかないように、例えは何かの拍子に仮に気づいたとしても、無意識の裡にそれを忘れるようにしていた。 彼はここの領主で貴族だけど僕は流れ者の血を引く卑しい存在で、彼は敬虔なクリスチャンだけど僕はそんなものは信じられなくて、彼はいつも優しくてでも時々厳しい寛大な大人だけど僕は意地っ張りでプライドだけが高い傲慢な子供で。 僕にとっては彼がすべてだったけれど、彼のすべては僕のものではないから。 僕の手に入らないものならば最初から欲しくなかったと思えばいい、と。 小さなプライドを守るために心に蓋をしていた。 「俺も、ずっと……こうしたかった」 だから僕の喉に唇を当てながら彼がそう言った時。 時々不意に僕を襲う、あのなんともいえない感情の正体が分かった。 するりと僕の首に巻かれたタイが抜かれる。 柔らかい日の光を受けて、蝶のようにとひらひらと重力に従って床に落ちていく。 ぱちんぱちんと首元から順に空けられていくブラウス。 僕の頬に添えられた彼の手が、僕の輪郭をなぞるようにはだけられた肌へと滑り。 力もなにもなく触れられるだけなのに、僕の体が熱くなる。 続いて舞い降りる彼の唇。 唇は僕の皮膚を強くそして緩やかに伝う。 湿り気を帯びた吐息に晒され、びくりと仰け反る僕の体を彼の大きな手が背中に回って受け止めた。 そのまま肩甲骨の周りを描くように撫でられる。 「あっん…っふ」 声が漏れる。本当に自分の声帯から発せられているのかと疑わしい位の甘さで。 「キョウヤ」 彼の囁きに、僕の体はまた大きく震える。 ただの空気の振動だというのに、どうしてこんなに反応してしまうのだろう。 そんなことをぼんやりと考えてるうちに、次の瞬間、また体が勝手に揺れ動く。 「っ…ぅん」 彼の唇が僕の胸の突起をついばむ。 体の中心から何かが湧き上がる。 ちゅっ、と音を立て彼が唇を離した。 「いいのか?」 気遣うような優しい視線。 強がることもできないまま僕は浅い息を繰り返して頷いた。 再び微笑み、彼は僕の胸を吸い寄せる。 円を描くように動く湿り気を帯びた舌の動き。 時折混じるくちゅくちゅという濡れた音と彼の吐息の甘さ。 そんなものが僕の衝動を高めていく。 「あっ…んっん…ぅ」 軽くそこを舌で押され、僕は息を吐き出す。 キュロット中の僕の欲望も痛いばかりに膨れ上がる。 彼に悟られてしまう。とっさに起こった羞恥心で僕は彼の膝の上から腰を浮かそうとした。 しかし、足元に支点がない状態ではそれはただの身動ぎにしかならず。 「我慢、しなくていいから」 彼は僕の体に起きた変化を悟るとふわりと笑い、僕のキュロットを緩める。大切なものを扱うかのように僕の体にまとわりつくキュロットを脱がせ、腰の後ろに手を回した。 「少しだけ床に立てるか」 「んっ」 彼にしがみつきながら僕は足を床に下ろす。 少しだけよろめいた僕をかれは足の間に入れ支えてくれた。 ずるりとキュロットが引き摺り下ろされ、ぱさりと床に落ちる。 「嫌だったら、言えよ」 彼は身を屈めると、先端からほとばしりを出し始めている僕のそれを舌でつつく。 今まで感じたことのない感覚が背中を駆け抜ける。 「あっ……んんっふ」 膝ががくがくして力が抜けていく。 彼が僕の腰をぎゅっと抱きしめ、挟み込んだ足に力を入れて固定してくれる。 それでも彼から与えられる刺激に僕は崩れ落ちそうになってしまい、上半身を折り曲げるように彼の頭を抱きかかえた。 くちゅり、と彼の舌が僕を舐る。 「っん…ん」 断続的に浅い呼吸をしながら、僕は衝動をやり過ごそうとする。 「無理するなよ」 僕を咥えたままくぐもった声で彼が言う。 「でっ…も……」 このまま彼を汚してしまうことに僕は抵抗を覚え、首を振るように彼の頚椎に額を擦りつけた。 僕から唇をはずし、彼の唾液と僕の先走りを指で掬い取る。 「ちょっと我慢しろよ」 言葉とともに、僕の蕾へ彼の指があてがわれる。 彼の指が入り口から侵入しようとすると、反射的にきゅっとそこが締まる。 「力を抜いて」 「んっ…あっ……わ、から……な」 ほぐすように与えられる刺激に僕の頭はパニックを起こす。 「仕方ないな…」 彼は苦笑した、ようだった。そして再び僕を口に含み、攻め立てる。 「ッ…やっ……」 前と後ろの両方からの刺激に自然と声が溢れる。 体の中心のうずきがどうしようもなくなって。 彼の指の太さをリアルに感じ。 「っあ…ふっ………うっ、ぅっん」 僕は彼の口の中で弾け、彼の体被さるように崩れ落ちた。 ちゅるり、と彼は僕を啜ると肩で息をしている僕の上体をふわりと起こす。 下から覗き込むように僕と目を合わせ。 「俺の膝にまたがって」 鳶色の目が優しく誘う。 僕の蕾の中をかき混ぜながらも彼は僕の動きを先導する。 僕は闇の中を滑るように進む。 余計な音を立てないように。慎重に。 目当ての天幕はもう少しだ。 夜陰に紛れ、一歩を踏み出す。 突然、横合いから誰かに抱きすくめられた。 殺される。 殺される前に殺らなくては。 とっさに短剣を繰り出すが、それも見事にかわされ。 「…っぶねーな」 僕の手首を握っていたのは、彼だった。 金髪が月に照らされまぶし程で。 「ど…う、し……て」 それだけ言うのがやっとだった。 「ったく。人に黙って勝手に城出やがって」 気になって眠れねぇじゃないか、と照れたように肩をすくめた。 「逃げるならともかく。……真面目すぎなんだよ。キョウヤは。一人でどうやって敵の大将倒すってんだ」 彼には分かっていたのだ。本格的にマントヴァ候が攻めてくる前に、その首を取ろうとしていたことが。 「どうして…」 彼の行動が分かっても、僕はこの言葉を繰り返すしかなかった。 どうして、貴方まで来てしまったのか…と。 「お前一人を死なせるわけにはいかねぇだろ」 僕の額に軽く触れる。 それだけのことで、張り詰めていた神経が脆くなり、体から力が抜けていく。 かたん、と僕の手から短剣が落ちる。 「…馬鹿じゃ、ない…の」 そう言うのが精一杯だった。 「さてっと、それじゃぁ、いっちょ行きますか」彼は僕の肩をぽんと叩き、短剣を拾い僕に渡した。 「そうだね」 僕はそれを仕舞う。 「さくっと殺って、さくっと帰ろう」 僕たちは走り出した。 目が覚めた。 ぼうっとした頭で僕は今見た夢を思い出そうとする。 夢の細部はよく覚えていないけれど、なんだか寂しいような幸せなような不思議な夢だった。 そうだ。 僕の義父という男と誰かを殺しに行く夢だ。 その後彼らはどうなったのだろうか…。 そういえば、彼の、義父の名前…何だっただろう。 夢の中でも僕は忘れていたみたいだし。 「…キョウヤ……」 真夜中にべろんべろんになってやって来た、あほな義父が寝返りを打つ。 たく、馬鹿じゃないの。 「何?」 仕方がないから返事をした僕を彼が驚いたように見、そしてふわりと笑った。 「何がおかしいの?」 彼の笑いの意味が分からず僕は問いただす。この男は意味もなく笑いすぎる。 「何でもない…」 言ってから気づいたように彼はあっけらかんと僕に言う。 「って、何でお前がココにいるんだ?」 憶えてないわけだ。 本当に馬鹿だ。 「何でって…」 僕は呆れ果ててため息をついた。 「夜中の3時に飲みすぎて家に帰りたくないから、泊まらしてくれってかってに押しかけて来たのはどこの誰でしょうか」 仕方ないから親切に説明してあげた。けれども彼は合点がいかないようで。 「…憶えてない」 どうしようもない馬鹿だ。 「すまん」 とにかく誤る、その態度も馬鹿丸出しだ。この男にはプライドというものが欠如しているとしか思えない。 「あ、そう。…それじゃぁ、寝てる僕を叩き起こして、あまつさえ僕の布団に侵入してあんなことするから今日は大切な発表があるっていうのに寝不足でしかもめちゃくちゃ背中の筋が痛いんだけど…」 そんな男にちゃんと説明してあげて、 「仕方ないから、とりあえずは、許してあげるよ」 あまつさえその行為を許容する僕も相当馬鹿だと思うけど。 彼はキョトンとして、一見落着という風に笑った。 彼には笑えば何でもすまされると思ってる節があって、それもとても気に入らないけど。 「あんなことって…?」 どうでもいいことを細かく聞いてくる方がもっと気に入らない。 「夢の中じゃ、あんなに可愛かったのに…」 僕のパンチを腹に受けて、ちょっと涙目になりながら彼がつぶやいた。 「夢って、何のことさ」 聞かなくてもいいことかな、と聞いてから後悔した。寝起きで判断力が鈍っている。 「いや、なに。小さい頃の恭弥はめっちゃ可愛かったなぁ、って話」 ニヤニヤ笑いながら彼がいう。 不意に僕は夢の中の出来事を思い出す。顔が熱い。 「勿論、今の恭弥もめっちゃ可愛いけどな」 とりあえずこの男の口をふさぐ方が先決だ、と僕はまた彼にパンチを見舞った。 そうだ、思い出した。 夢の中の彼の名を。 僕のよく知るその名前。 馬鹿で馬鹿でどうしようもなく馬鹿で子供の僕よりもずっと子供な馬鹿は義父と同じ名前。 僕の大切な。 ディーノ…。 |