◆深青な海の秘密◆ 深い海の底へと、沈んでいく。 気づいた時には透明な液体に体をとられ、いつの間にか沈んでいる。 そのまま、浮上することも能わずにずっと沈んだまま、キラキラと光る水面の紺碧を見続ける。 群青の中で。 「恭弥」 ディーノが退屈に倦んだ顔をして雲雀を見た。 こういう顔の時には、子供じみたこと面倒なことを話す、ということを雲雀は短い付き合いの中で学んでいた。 「何で、海の水が青いのか知ってるか?」 やはり、だ。このマフィアのボスは余程退屈なのだろう。長い足をもてあまし気味に、ソファに腰かけている。だが、こうも度々仕事の邪魔をされては、堪らない。 「光が透過されるから」 だから、雲雀はちらりと顔をあげ質問に答え、すぐに書類へと視線を戻した。だが、あまりにも簡潔過ぎる答えにソファに背を凭れかけていたディーノは前かがみになり、雲雀を見返す。 「光が透過?」 どういうことだ、と言外に告げるディーノに雲雀はわざとらしく溜息をつき、彼を睨んだ。 「7色の光色のうち、青だけが水の中で透過しないんだよ。だから、海を見ている人間の目には、青色の光だけが反射して感知される、ってこと」 一気に捲くし立てた雲雀はディーノの「へぇ。そうなんだ」という言葉を聞き流し、「これ以上仕事の邪魔したら、帰ってもらうよ」と自分を睨む雲雀に、「分かったよ」と苦笑したディーノは、それでも独り言のように言葉を続ける。 「夕日が赤いのも同じ原理か。…なんか、夢がないよな」 「夢があろうとなかろうと、それが自然現象なんだから仕方ないでしょ」 黙りなよ、と雲雀は駄目押した。 そう、海の水が青いのは、自然の摂理だ。それは違わない。 では、自分が時折沈む、否、ディーノによって沈まされているあの深い水底で見る景色が紺いのも、自然の摂理だというのだろうか。 そして、沈み、絡め取られ、溺れても尚、心地よいとすら感じてしまうのも。 そんなことは馬鹿げている。 馬鹿に付き合って、馬鹿が移ってしまったのだ、と雲雀はディーノを射殺せんとばかりに睨んだ。その相手は、平然と両手を組んで頭の下に置き、ソファに背を預けてリラックスしきっている。表情はあくまでも楽しそうで…。会いたかった、と彼がこの部屋に来た時に追い出しておけばよかった、といつでも後悔する。 雲雀は目を瞑り、ゆっくりと息を吐き出した。 自然の摂理ではない。 これは、不自然な成り行きでしかない、と思い込むのだ。まるで言い訳をするかの如く。 「恭弥」 耳元で囁かれる声が熱い。どうして、彼は自分の感情に忠実になれるのだろうか。雲雀はいつでも疑問に思う。 否、疑問に思うのではなく、憎しみを覚えるのだ。 「っ」 そして、耳元に吹き込んでくる熱に浮かされたように息を飲み、源の分らない衝動に震える自分にも。 逃げ出すならば、機会はいくらでもあった。 ディーノが学校に訪れて来た時。彼の車から降りた時。この部屋のドアを開けた時。 どこかで、雲雀が一言、「家に帰る」と述べたならば、ディーノはきっと「送ってく」と苦笑したに違いないのだ。少しだけ、傷ついたような顔をして。 だが、それも全て雲雀の想像でしかなく、もしもこうしていたならば、の“もしも”が起こり得た機会は永遠に失われたのだった。 「恭弥。会いたかった」 繰り返される言葉。応接室で挨拶の代りに言われた言葉と同じなのに、数段熱っぽく、感情の籠った、そして欲情の色のある声。 雲雀の肌に触れる、ディーノの吐息。頬に当たる金髪がくすぐったかった。 逃げようと思えば、逃げられた。 きっと、今だって。 背中へと手を回し、ぎゅっと雲雀を抱きしめているディーノを振り払うことだって、できるはずだ。 それなのに…。 薄い皮膚を啄むディーノの唇が、腰を掴む力強い手が、彼から感じる体温が。雲雀を戒め、逃さない。 「会いたかった…すごく」 ぼんやりとしている雲雀を見つめる鳶色の瞳が、微かに躊躇いの色を見せた。 ディーノは一度ふわりと笑い、マフィアのボスというイメージからは程遠い優しい笑顔を浮かべ、言葉を続けた。 「――恭弥は?」 俺に会いたかった? 瞳で問われる言葉に、雲雀の心臓が締め付けられ、痛む。 不意に、息苦しさを感じる。 水底へとおちていくような、息苦しさを。 望みもしないのに。望みもしないのに? これは、今、この部屋にディーノがいて、雲雀がいる、という事実は、本当に雲雀恭弥の望んでいない状況なのだろうか。 「……ぼ…っ…」 何事かを言い出しかけた雲雀が、いまにも泣き出しそうな顔をして唇を噛みしめる。 雲雀の額に、ディーノが唇を寄せた。 「悪い、恭弥」 何で彼が謝るのか分らなかったが、その言葉を聞いた途端、雲雀の呼吸は自由になり、彼の雲雀になることができるのだ。 「好きだよ」 そう言って雲雀の唇を求めるディーノに応える。 雲雀は絡め取られ、沈んでいく。 何も考えられなくなる、何も考えなくてもいい、紺碧を見上げる群青の水底へと。 05/08/08
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