6月お題 『Something Blue


深青な海の秘密




深い海の底へと、沈んでいく。
気づいた時には透明な液体に体をとられ、いつの間にか沈んでいる。
そのまま、浮上することも能わずにずっと沈んだまま、キラキラと光る水面の紺碧を見続ける。
群青の中で。



「恭弥」

ディーノが退屈に倦んだ顔をして雲雀を見た。
こういう顔の時には、子供じみたこと面倒なことを話す、ということを雲雀は短い付き合いの中で学んでいた。

「何で、海の水が青いのか知ってるか?」

やはり、だ。このマフィアのボスは余程退屈なのだろう。長い足をもてあまし気味に、ソファに腰かけている。だが、こうも度々仕事の邪魔をされては、堪らない。

「光が透過されるから」

だから、雲雀はちらりと顔をあげ質問に答え、すぐに書類へと視線を戻した。だが、あまりにも簡潔過ぎる答えにソファに背を凭れかけていたディーノは前かがみになり、雲雀を見返す。

「光が透過?」

どういうことだ、と言外に告げるディーノに雲雀はわざとらしく溜息をつき、彼を睨んだ。

「7色の光色のうち、青だけが水の中で透過しないんだよ。だから、海を見ている人間の目には、青色の光だけが反射して感知される、ってこと」

一気に捲くし立てた雲雀はディーノの「へぇ。そうなんだ」という言葉を聞き流し、「これ以上仕事の邪魔したら、帰ってもらうよ」と自分を睨む雲雀に、「分かったよ」と苦笑したディーノは、それでも独り言のように言葉を続ける。

「夕日が赤いのも同じ原理か。…なんか、夢がないよな」
「夢があろうとなかろうと、それが自然現象なんだから仕方ないでしょ」

黙りなよ、と雲雀は駄目押した。

そう、海の水が青いのは、自然の摂理だ。それは違わない。
では、自分が時折沈む、否、ディーノによって沈まされているあの深い水底で見る景色が紺いのも、自然の摂理だというのだろうか。
そして、沈み、絡め取られ、溺れても尚、心地よいとすら感じてしまうのも。
そんなことは馬鹿げている。
馬鹿に付き合って、馬鹿が移ってしまったのだ、と雲雀はディーノを射殺せんとばかりに睨んだ。その相手は、平然と両手を組んで頭の下に置き、ソファに背を預けてリラックスしきっている。表情はあくまでも楽しそうで…。会いたかった、と彼がこの部屋に来た時に追い出しておけばよかった、といつでも後悔する。

雲雀は目を瞑り、ゆっくりと息を吐き出した。
自然の摂理ではない。
これは、不自然な成り行きでしかない、と思い込むのだ。まるで言い訳をするかの如く。





「恭弥」

耳元で囁かれる声が熱い。どうして、彼は自分の感情に忠実になれるのだろうか。雲雀はいつでも疑問に思う。
否、疑問に思うのではなく、憎しみを覚えるのだ。

「っ」

そして、耳元に吹き込んでくる熱に浮かされたように息を飲み、源の分らない衝動に震える自分にも。
逃げ出すならば、機会はいくらでもあった。
ディーノが学校に訪れて来た時。彼の車から降りた時。この部屋のドアを開けた時。
どこかで、雲雀が一言、「家に帰る」と述べたならば、ディーノはきっと「送ってく」と苦笑したに違いないのだ。少しだけ、傷ついたような顔をして。
だが、それも全て雲雀の想像でしかなく、もしもこうしていたならば、の“もしも”が起こり得た機会は永遠に失われたのだった。

「恭弥。会いたかった」

繰り返される言葉。応接室で挨拶の代りに言われた言葉と同じなのに、数段熱っぽく、感情の籠った、そして欲情の色のある声。
雲雀の肌に触れる、ディーノの吐息。頬に当たる金髪がくすぐったかった。
逃げようと思えば、逃げられた。
きっと、今だって。
背中へと手を回し、ぎゅっと雲雀を抱きしめているディーノを振り払うことだって、できるはずだ。
それなのに…。
薄い皮膚を啄むディーノの唇が、腰を掴む力強い手が、彼から感じる体温が。雲雀を戒め、逃さない。

「会いたかった…すごく」

ぼんやりとしている雲雀を見つめる鳶色の瞳が、微かに躊躇いの色を見せた。
ディーノは一度ふわりと笑い、マフィアのボスというイメージからは程遠い優しい笑顔を浮かべ、言葉を続けた。

「――恭弥は?」

俺に会いたかった?

瞳で問われる言葉に、雲雀の心臓が締め付けられ、痛む。
不意に、息苦しさを感じる。
水底へとおちていくような、息苦しさを。
望みもしないのに。望みもしないのに?
これは、今、この部屋にディーノがいて、雲雀がいる、という事実は、本当に雲雀恭弥の望んでいない状況なのだろうか。

「……ぼ…っ…」

何事かを言い出しかけた雲雀が、いまにも泣き出しそうな顔をして唇を噛みしめる。
雲雀の額に、ディーノが唇を寄せた。

「悪い、恭弥」

何で彼が謝るのか分らなかったが、その言葉を聞いた途端、雲雀の呼吸は自由になり、彼の雲雀になることができるのだ。

「好きだよ」

そう言って雲雀の唇を求めるディーノに応える。



雲雀は絡め取られ、沈んでいく。
何も考えられなくなる、何も考えなくてもいい、紺碧を見上げる群青の水底へと。


05/08/08