◆末に望みし…◆ 薄闇が差し込み始める時刻。 葡萄畑を模して作られた庭の中に設えられた東屋。 黙々と用意された料理を平らげていく二人の男。 二人を照らすのは、たった一つの照明と沈み始めた日の名残だけ。 「で、今度はどこ?」 「ナポリから1時間くらいの場所」 葡萄畑しかないけどいい所なんだ、とディーノは笑った。 新しい家に招待する、と言われて雲雀はディーノの車に乗り込んだ。 行き先を尋ねたのは高速に乗ってかなり経ってからだった。 ディーノが家を買うのは、半分は趣味であったけれども、半分は自己防衛の手段、それは外敵からのという意味から経済上のという意味まで多岐に渡る意味あいがある、のためなのだ。 「ゴッドファーザー見たことあるか?」 「?」 「映画」 本物のマフィアが作り物のマフィアを見てどうするのだ、と思ったが雲雀は肩をすくめて答えに代えた。 「ドン・コルレオーネが死ぬシーンがあるんだよ」 雲雀の反応に関係なく、まっすぐ前を見、ハンドルを握り、ディーノは言葉を紡ぐ。 「葡萄畑に囲まれた田舎の家でさ」 孫と遊びながらだったかな、葡萄に水遣りしてる最中だったかな、そんな何でもない時に死んでしまうんだ。 どこか寂しそうに、そしてシニカルに笑った。 「そう…」 「ま、昔一度見たきりだから記憶があやふやになってるかもしれないけどな。あんな感じの家なんだ」 そう言った時の顔はいつもの明るい笑顔になっていた。 雲雀はちょっと眉を顰める。 それは…、と言いかけてやめた。 肉とパンとワイン。 二人の晩餐にと用意されていた料理はそれだけだった。 皿に盛られていた肉料理もあらかた食べつくした。 肉はただ焼いただけの肉ではあったが、それこそがシェフの腕の見せどこととでもいうような絶妙な焼き加減の肉だった。 パンは表面を香ばしく焼いてあり、オリーブオイル、おそらくドライトマトがつけてあったのだろうオイルを付けながら食べていたら、いつの間にか全てなくなっていた。 「ほれ」 ディーノがワインの瓶を雲雀に差し出す。 この畑で採れた葡萄で作ったという赤ワインは、デキャンタに移されることもなく次々に消費されていく。 注ぎ込まれる器も、ワイン用のグラスではなく、大振りのコップだった。 雲雀はコップからワインを喉へと流し込む。 水を飲むかの如き、仕草でコップの中の赤い液体を飲み干した。 血の味のする喉越し。 唇にワインの雫が付いたのだろうか。 雲雀は、コップを置くと、ぺろりと舌で艶やかに光る唇を舐めた。 その仕草を見つめていたディーノの目が細められ。 雲雀とディーノの視線が合う。 ディーノは、瞼をちょっと上げ、顎を心持ち上へとしゃくる。 次の瞬間。 ガチャン、ガラン、という破壊的な音が宵のしじまを切り裂いた。 目の前にあった皿やコップを振り払い、ディーノがテーブルの上に飛び乗る。 向かいにいる雲雀の目の前まで体を乗り出す。 雲雀は、平然としているのか呆然としているのか分からない無表情でディーノを見返す。 ディーノの顔が寄るのと。 雲雀の手がディーノの襟を掴むのと。 どちらが早かったであろうか。 皿が床に踊り、ワインのボトルが倒れる。 破壊的な悲鳴が再び闇に舞う。 しかし、そんなことには構わず、ディーノと雲雀は互いの唇を貪りあった。 軽く触れるじゃれるようなキス。 舌を絡ませあい、粘膜をまさぐるようなキス。 ぷるりとした唇を挟み込むように刺激を与えるキス。 混ざり合う液体の、隠微な音色だけが奏でられ。 二人の呼吸がリズムを刻む。 たった一箇所の接触だけで曖昧になっていく自他の境界。 突然生じた、椅子の倒れる音。 立ち上がった雲雀の脇の下にディーノが手を差し込む。 雲雀の片足がテーブルに掛かる。 雲雀が弾みをつけたと同時に、ディーノが絶妙なタイミングでその体を引き上げた。 二人で食事をするには広々としていたテーブルの上。 正面から向かい合い、唇で戯れ合う。 雲雀の細く長い指が、巧みにディーノシャツのボタンを開けていく。 ディーノの少しだけ骨ばった手が、雲雀のシャツを捲し上げる。 直接肌に触れる手と手。 確かめるように、そして自分の存在を知らしめるように、触れ合い抱き合い弄り合う。 ディーノは膝立ちになり、己の重さを雲雀にかけるように彼の膝を割った。 抱き合ったまま二人は縺れ絡み合い横たわる。 ディーノが雲雀の右手を捕らえる。 雲雀もディーノの左手を捕らえる。 指先までぴたりと重なる二人の手が零れたワインの湖へと浸っていく。 ディーノが雲雀の中心に膝でくいっと圧力を加える。 雲雀の体が一瞬震え、ディーノの背中に廻した手に力がこもった。 「んっ……」 触れ合う唇の間から、甘い音色の声が洩れる。 それを合図に、離れる二人の顔。 透明な名残の糸が、淡い灯りを反射させている。 「恭弥」 ディーノは雲雀の名を呼ぶ。 たった一言。 様々な思い複雑な感情、過去の出来事、未来の予測。 全てを乗せて発せられた言葉。 雲雀はディーノを見つめたまま。 肩眉を少しだけ上げ、微かな笑みを浮かべた。 二人の間でしか成立しない、暗黙の了解。 形はなく、しかしそこにある、確固たる、魂の交流だった。 辺りは闇に沈んでいた。 露になった肌を頼りない灯りと月に青白く浮き上がらせる二人。 テーブルの周りは惨憺たる有様であったが、それと対極にあるような穏やかな空気が流れていた。 瞼を閉じゆっくりと呼吸を繰り返す雲雀の髪をディーノは撫でる。 「服、汚れたな…」 「服?」 うっすらと目を開けた雲雀は、横ばいになり自分を見下ろすディーノの金髪が眩しく感じた。 辛うじて雲雀の片腕に引っかかっているシャツを、ディーノはするりとはずす。 「ワインの染み」 雲雀にかざすようにシャツを見せ、ぽいとテーブルの外へと投げる。 ディーノはひらひらと舞い落ちるシャツを横目で見ながら、雲雀に覆いかぶさると額にキスを降らせた。 雲雀が頭を振って、逃れようとする。 「嫌?」 甘い吐息が、雲雀の耳朶を打つ。 「……くすぐったい」 憮然とした声で、ぶっきらぼうな答え。 「そうか」 もう一度、雲雀にキスをする。 「ねぇ」 「ん?」 ディーノは雲雀の髪に指を絡ませ、優しく雲雀の言葉を促す。 「貴方が死にそうになったら」 脈絡のない雲雀の言葉にディーノは笑おうとしたが、意外なほど真剣な黒い瞳を黙って見返す。 「僕がここに連れてきてあげる」 雲雀の低い声が夜の闇へと吸い込まれていく。 ざわざわと葡萄の葉が風に騒いだ。 「ありがとう」 ディーノは雲雀の体を引き寄せた。 それは、夢のような。 暴力の末に望む、平穏。 |