◆あの森に棲むのは、微笑む鬼◆ どこまで行っても一つの色に染まっている景色の中を宛てもなくさまよい続ける。 時々倒れそうになるもの、それは疲労からくるものではないからこのまま歩くことができると分かっていて、よろめきながらもさまよい続ける。 理由は良く分からない。 この景色が嬉しいのか。 悲しいのか。 ただ、ずっとさまよい続けなくてはいけないことだは知っていた。 本当に理由はわからない。 「恭弥。起きろよ」 「ん…」 体を揺さぶられて、雲雀は目をうっすらと開けた。 雲雀は寝起きの不機嫌さを隠そうともせず、起き上がるとぼうっとした顔で目つき悪く辺りを見まわす。 怠惰な昼下がり。 「大丈夫か?」 金髪の彼が心配そうに自分を覗きこんでいる。 久しぶりにあの夢を見た。 最悪だ。 最悪だ。 再び思い、頭の芯にある鈍さを振り払うように目を閉じた。 そのままこてんとベッドに横になる。 ぼうっとしたまま再び眠りが襲ってこないかと目を閉じ呼吸を深くしてみるが、余計に頭が冴えてくる。 ままならない。 一体何故、今ごろになってあんな夢を見るのだ。 イタリアに来てからというもの数年来見ることのなかったあの夢を。 急に思い出したかのように頻繁にみるなんて。 人の深層心理になんて興味がないから、自分の見た夢を判じることもしないけれど。 大体季節が悪い。 この季節は最悪だ…。 そんなことを思っているうちに、雲雀はまた眠り出した。 意思を持った生き物のように、否、狩猟の本能だけで動いている生き物のように自分めがけて降り注ぐその色を一身に受けていた。 ああ、逃げないと。 そう思うのに体は動かない。 その色が怖くて怖くてどうしようもないのに、目を離すこともできない。 戦慄を覚えるほどの美しさから。 ああ、くらくらする。 ある日突然、その花を見ることができなくなった。 それは特殊な病気で、相克関係にあるワクチンを打てば治るのだと言われても素直に治してもらうことができなかった。 だから、もう。 あの花を見ることはない。 大好きだけど、諦めた。 「ここならいいんじゃねぇ」 よくこんな所を見つけたものだ、というような絵に描いたような場所だった。 ちょっと付き合えよ、と言われこちらの拒否の言葉も聞かないうちに強引に車に乗せられてやって来た。 山道に入って暫くしてから「ここからは歩くぞ」とさっさと先に行かれた。 このまま一人で帰ってもいいかなとも思ったが、好奇心が勝り雲雀はディーノの後に続いた。 「…まだ」 いいかげん歩いた、と言うところで一度聞いてみた。 「もうちょっと」 ディーノは前を向いたまま歩きつづける。 仕方ないので雲雀も歩きつづける。 不意に視界が開けた。 綺麗に整備された畑の中に木が一本。 嘘みたいに一本だけ。 あの色の冠を誇らしげに載せ、しっかりと根を張っていた。 逃げなきゃ逃げなきゃ。 そう思うのにやはり足は動かない。 そう動かないだけ。 これが現実ならば、心臓がばくばくして胃がきゅっとして四肢からは力が抜けて地面に這いつくばらないといけないのに。 しっかりと二本の足が直立不動に硬直している。 意識だけが研ぎ澄まされて。 ああ、あれが来る。 ざわり、と風が吹く。 ふわりと、風に舞う花びら。 雲雀の心臓は締めつけられ、体中の力が抜けていく。 崩れ落ちる、その瞬間に。 救いの手は差し伸べられ、雲雀の体を支える。 「…大丈夫…なわけねぇか」 ディーノは苦笑して、冷や汗をかきはじめた雲雀の額をそっと撫でる。 「どうしたい?」 このまま帰るか、それともあそこまで行くか。 綺麗な瞳が試すように雲雀を見下ろした。 雲雀はぎゅっと腹に力をこめ、ディーノの腕を降り払うようによたよたと歩み始める。 あの場所へ。 あの木の根元へ。 意思を持つ花弁たちが、鋭さを増して襲ってくる。 もう駄目だ。 反射的に目を閉じようとするものの、固まったようにまぶたも動かない。 ああ。 もう。 逃げられない。 花弁が雲雀の体を切り裂いた。 よろよろと、今にも倒れそうな情けない格好でそれでも雲雀はあの木のへと向かう。 ディーノはそんな雲雀に手を貸すでもなく、後ろからゆっくりと付いてくる。 何かあった時にはすぐに対処できる絶妙な間合いで。 一歩一歩が、とてもつらかった。 足が動かず体も重い。 それでも、一歩進むごとにあの木は近づいてくる。 近づくにつれ体のつらさも比例的に増してくる。 それでも雲雀は進み、ディーノはただ見守っていた。 切り裂かれた、と思った。 思った瞬間、雲雀の回りの花弁が消えて、現れた人影。 「もう大丈夫だ。こっちにおいで」 優しく微笑む、金髪の鬼が雲雀の体を包み込む。 雲雀は彼の体にもたれかかって、目を閉じた。 「そう、ここで休んでいればいい」 誘うような優しい囁き。 このまま。 このまま眠ってしまいたい。 眠ってしまえば、全てが楽になるから。 意識が沈みそうになる。 でも、それでは…。 囚われたまま動くこともできなくなってしまう。 あと少し。 ずずっ、と地面を擦るように雲雀は進む。 手を伸ばす。 ごつごつした木の感触。 ざらりと木のうろが落ち、雲雀の体も地面に落ちた。 「よくやったな」 見下ろしているのはきらきらと日の光を浴びた金髪。 逆光で表情はよく分からなかった。 ディーノはかがみ込むと、雲雀の頬についた土を払う。 「…触らないで」 弱々しく、だがはっきりと黒い瞳が輝いた。 「強がるなよな」 ディーノは苦笑し雲雀の傍に座ると、睨みつける雲雀を支えるように抱き起こす。 「触らないでって言ったでしょ」 ぺちんと肩を抱く手を叩かれても、目の優しさは変わらない。 「それより、上。見てみろよ」 ディーノが上を見上げる。 つられて雲雀も上を見上げる。 けぶるような薄紅色。 さわさわと揺れ動き幻惑する綺麗な色。 雲雀の髪にひらりと舞った花弁が優しく緩やかに落ちてくる。 「…綺麗…だね」 心から思った。 純粋な美しさ。 ただ在るために在る。 それだけの美。 大好きな、透明に憧れる紅色。 「ああ、綺麗だな…」 「できない」 眠ってしまえという誘いを拒否する雲雀の言葉と共に、金髪の人型が崩れ落ちる。 残ったのは花弁の山。 そして、また。 現れたのは金髪の鬼。 優しい微笑みを浮かべた金の髪の鬼だった。 本物の彼が。 もう、恐れるものはない。 ひらひら舞い落ちる花びら。 「なぁ…」 ディーノが雲雀の髪をなでる。 「…何」 けだるそうに雲雀は目をつぶった。 「…いや……」 さわさわと木がざわめく。 「…いつもにましてヘンだね」 「そうか」 くすりと笑ったディーノが素早く雲雀にキスをする。 「なっ」 目を開けた雲雀の形のいい眉がきゅっと寄る。 「…不埒なマネしないでよね」 「不埒、ってのは、こういうことだろ」 くすくすと笑いながら。 踊るように舞い狂う薄紅の中、溶けあう金と黒。 「恭弥」 鼻孔をくすぐる淡い匂い。 「ん…」 「もう夕方だぞ」 寝返りを打った雲雀の頬をそっとなでる。 「…何…?」 「ん?」 「この、匂い」 うっすらと雲雀が目を開ける。 「ああ、これ」 目の前に差し出されたのは一枝の桜。 雲雀の眉が寄る。 「…ああ、やっぱり」 油断してた、と。 だからあんな夢をみた。今となっては懐かしさすら感じる感傷的な夢。 「油断って…まだ治ってなかったのか。病気…」 本当は治ってないけれど、精神力で乗りきることができるようになっていた。イタリアに来て桜なんて見ることなかったから忘れていたけど。そんなことを説明するのが面倒で、ぼうっとしていると、「気分悪いのか、大丈夫か、もう少し寝てろ」と途切れることなくディーノは世話を焼く。 はっ、と気づいたようにディーノがその手の桜を見る。 「これ、やっぱ捨ててくるぞ」 きっぱりと。 「捨てなくていいよ。…もう大丈夫だから」 ふわりと笑った雲雀に、ディーノが不思議そうな眼差しをする。 「そう…か?」 それでも心配そうに雲雀と桜に交互に目をやる。 「そう、大丈夫。それに…好きだから」 「えっ?」 「桜…好きだから」 いつもの雲雀ならば決して口にしない言葉がするりと滑り落ちる。 「知ってたよ」 破顔したディーノに雲雀もつられた。らしくないなと思いながら。 まだ眠り足りないと。 目を閉じた。 森に在るのは限りなく透明になった紅の花。 森に棲むのは優しく微笑む金髪の鬼。 とても好きな。 大切なもの。 それから森では… 雲雀が目覚めると、外は夕闇に包ま初めていた。 ベッドの脇には桜の枝が一振り。 そして…。 「何でここに転がってるの?」 雲雀の隣で穏やかな寝息を立てているディーノに向かってひどく冷静な声で確認する。 「全く、これがマフィアのボスだっていうんだから…ありえないよね」 体を横にし片手を頭の下に置くような姿勢になると、軽くディーノの鼻を掴み、すぐ離す。 ディーノがむにゃむにゃと鼻に手を当て寝返りを打つ。 その子供じみた姿に雲雀はくすりと笑った。 笑った自分にびっくりしながら、苦笑する。何だか今日はおかしいな、と。 雲雀はディーノが起きないように体を半分だけ持ち上げ、ディーノの顔をじっと上から見つめる。 さらり、と黒髪が揺れ。 ディーノの頬へ軽く口付ける。 「…恭弥?」 至近距離で見つめあい。 ふわりと寝ぼけた顔で微笑み、腕を雲雀の体に廻し抱き寄せる。 どちらからともなく合わさる唇。 二人を包む闇が濃くなっていく。 上体を浮かせていた雲雀が、ディーノに体重を預けるように足を絡め、男二人が寝るのには少しだけ狭いベッドの上で、二人は互いの体を確かめあうように密着度をましていく。 雲雀の重さを受け止めるため、ディーノが雲雀の腰を掴む。 そのまま、一回転して雲雀を組み敷こうとしたディーノの動きを雲雀が止めた。 もう一度だけ舌を絡ませ、二人は深い息を付く。 「嫌なのか?」 雲雀の意向を確かめるディーノの問には答えずに、雲雀は意味ありげに片眉を上げた。 ふと、ディーノ視界から消えるとベルトをはずしにかかる。 カチャカチャと金属音がして、「腰あげて」と言われるままに動くとズボンごと下に下ろされる。 「恭弥…?」 いつにない雲雀の行動にディーノは上半身を起こそうと腕をつく。 「っ」 と、不意にディーノの中心に走るねっとりとした感触。 「恭…弥」 ディーノは後ろに腕をついた中途半端な姿勢のまま、足の間にうずくまる雲雀の頭を見下ろした。 「お前、何を…」 答える変わりに舌と唇とを押しつけるように丁寧に舐め、先端から根元まで一往復する間に、ディーノのそれは頭を持ち上げていく。 じゅるりと非猥な音を立て、顔をあげた。 「何って…しなくていいの?」 雲雀が舌で唇をなめる。艶やかさを増したその唇を見つめ、ディーノがごくりとつばを飲み込む。 「…続けるよ」 うっすらと笑い、雲雀はディーノの先端にちろりと舌を這わせた。 綺麗な指で触れられた部分だけがやけに冷たく、気持ちいい。 先端から付け根までゆっくりと触れるか触れないかのぎりぎりの所に唇を這わせる。先ほどとは違うもどかしいぼどのじれったさ。 雲雀の息遣いの熱さに、ディーノがぶるりと震え。 「今日は、どうしたんだ…?」 それを半分くらい口に含んだ雲雀にの髪をすくいあげ、くしゃりとかき混ぜる。 何度か髪を握りさらさらと落としていく。 「う…さい。……噛むよ」 「それは勘弁…っだ、な」 ちゅるりと吸い上げられるような感触にディーノの呼吸が乱れ始める。 つられて、雲雀に含まれたディーノ自身も急激に容積を増していく。 「っ…」 舐められ、ねぶられ、吸い上げられる。 時に強く、そして弱く。 その刺激に短く息を飲み込むたびに、ディーノは雲雀の髪を掴む手を握りしめる。 「い、ら…い」 掴まれた髪が痛いのか、雲雀は抗議の声をあげる。大きくなったディーノを含むのが辛くなってきたのかその声は舌っ足らずになっている。 そしてイレギュラーな舌の動きにディーノの先端からどくりと液が漏れる。 「ふっ」 沸きあがる衝撃を押えようと、ディーノが息を飲む。 ディーノから溢れた液を舌で拭い、雲雀がそれから頭を離すと、その先端と唇とを繋ぐ、名残の糸を指で絡めとり、 「にが…」 と、雲雀は唇を拭う。そして、「どうする?」と意地悪な顔になり目だけで問う。 白濁した液がたらりと垂れているそれを指で撫で取った雲雀の脇にディーノが手を差し込み抱き寄せた。 「お前は…どうして欲しい?」 雲雀に負けない意地悪な顔で。 乱暴に雲雀のシャツをはだけさせる。 つ、と鎖骨から胸の突起まで素早く指を動かすと、ぴくり反応する雲雀の脊髄。 「…れて」 目を瞑り、消えそうな声。 「何?」 指を這わせた場所をなぞるように降る、ディーノのキスに。 「い…れて」 もう一度。 微かな音が空気に乗る。 「仰せのままに」 ディーノがふわりと微笑んだ。 「あっ…はっ、ん。……ん、ふっ……ぅん」 途切れ途切れの声にならない声。 お互いのものを出しきる。 ディーノの腕の中、雲雀がぐたりと身を預けた。 まだ治まらない心地よい動悸に二人の肩が上下し、時々びくっと条件反射のように快楽のぶり返しに襲われる。 「にしても…今日はほんとにどうしたんだ」 雲雀の少し汗ばんだ額にかかる髪を払う。 「・・・別、に」 「別に、って。やっぱヘンだぞ」 ぷいと顔をそむけた雲雀の首筋に軽く唇で触れる。 「…春、だから」 とん、と雲雀がディーノを押しやる。 が、ディーノは雲雀を抱きしめたまま。 「春?」 ひつこいと怒られるかな、と思いつつも甘く耳元で囁いた。 「……さ、くらが……匂いがして」 雲雀は抱きすくめられた状態で、器用に向きを変え背中を向けた。 「さくら?」 ペッドサイドに生けられた薄紅の花。 ディーノはすっと手を雲雀の脇から腹にかけて滑り込ませる。 「あの匂い…久しぶりだから」 ヘンになった、と。 「そうか」 全てを包み込むような声。 それすらも包み込むように、立ち込める桜の淡くて強い芳香。 |