◆ 観用少年 - plants doll - ◆ その街はとても不思議な街だった。 快適なビジネスの都市としての機能を完璧に持ち、反面、退廃と快楽の代名詞ともなっている街。全てが混在した世界の縮図のような、誰の支配も受けない孤高の存在。そんな街だった。 俺がこの街に来たのは、ビジネスのためだ。 ビジネスといっても、他の組織との顔つなぎ目的の懇親会議への出席というものだ。俺の職業は、果たしてこれを職業と呼ぶのか正しいのか分からないが、マフィアのボスだ。ボスというと格好いいけど、うちのような弱小マフィアでは、ボスの実情は何でもする雑用係りといったものだ。一人で何でもやらなくてはいけない。勿論頼りになる部下もいるけれど、舵取りは俺の腕一本にかかっている。だから、今回の会議も仕事を円滑に進めるために出席しなくてはいけない、雑用のようなものだった。例えその話し合う内容が無駄話のような類であったとしても出席する義務があるのだ。 そして、その無駄話の1つに誘われて俺は今、この街のある一軒の店へと足を運んだ。 生人形を売るというその店へ。 その店にはとても不思議な香りが充満していた。 雑然とした、まるでこの街のように雑然とさまざまなものが溢れているのに、その過剰ささえも美しいと思ってしまうような不思議な内装だった。 「いらっしゃいませ」 今まで全く気配すらなかったのに、俺の背後から声がした。 すんなりと人の心に忍び入るような柔らかさのある音色。 俺は声のする方を振り返ると、そこにはチネーゼのような不思議な格好をした男が物腰も柔らかに微笑んでいた。 「生きた人形を…売っている店だと聞いたのだが」 俺が噂そのままの言葉を伝えると、その店主は不思議そうなきょとんとした表情になり、俺の言葉に合点がいったのかふわりと微笑んだ。 「お客様。こちらでお取り扱いしている商品は生きた人形ではございません。そのように誤解されている方も多いのですが、この子たちは全て植物なのでございます。生きている、という表現は大変正しいのでございますが、人形となるとどうでしょう…あくまでも植物でございますから」 立て板に水のごとく、男は流暢に話す。きっと何度となく客に説明している事象なのだろう。 「しかし、人の形をして食事もし、自分で歩くと聞いたが…」 「左様でございますね。…しかし植物も太陽の方を自然と向きますし、水も根から吸い上げるものでございましょう?中には虫を食べる植物もございます。ですから、この子たちが動き、ミルクを飲んでも全く不思議はございません」 慇懃無礼で有無を言わさぬ調子だが、不快感はまったくなかった。きっと、この男は客が政界の大物だろうと、小さな子供だろうと区別することなく丁寧に自分の商品について相手が納得するまで説明をするのだろう。そういうプロは嫌いではない。 「…分かった。つまり、ここにある人形、失礼、あー、この子たちは人の形をした動く植物ということなのかな?」 「左様でございます」 我意を得たり、という微笑みを店主は浮かべた。 「では、1体貰って帰りたい」 「1体とおっしゃいますと…どのようなプランツをご希望でらっしゃいますか?」 「希望は特にない。適当に見繕ってくれ」 「左様でございますか……」 店主が眉をしかめ、言葉を続けた。 「大変申し上げにくいのですが、そのようなご希望に添うプランツはお取り扱いしておりませんので」 「……どういうことだ?」 語気を荒げないように、注意して言う。 「いえ、お怒りになるのは最もだと存じますが」 それでもこの店主には俺の感情の変化など見通されていたようだった。それくらいの客あしらいをしないと、こんな特殊な店の主などできないということだろう。 「お客様。プランツにとって、一番必要なものは何だと思われますか?」 「一番、必要なもの?」 植物にとって一番必要なもの。普通ならば、水と栄養だろう。あとは太陽の光か。この人型の植物にもそれが当てはまるのかどうかは分からないが。 「水分と栄養…かな?あとは日光?」 「左様でございますね。そして、プランツにとっての最高の栄養は」 店主はそこで俺の反応を伺うかのように、ためを作る。 「“愛情”なのでございます」 愛情だと。意味が分からない。 「そんなに難しくお考えいただかなくてもよろしゅうございます。プランツはお客様が愛情をもってお育てになればなる程、輝くように美しく成長するのでございますよ」 にっこりと笑う。 そうか、つまり…。 「俺には売れない、ということか?」 それならば仕方がない。縁がなかったのだと店を出ようとした俺に店主の言葉が追ってくる。 「いえ、そのようなことは申しておりません。もしお時間がおありでしたら、1体1体プランツをご覧になって、ご自分と相性のいい子をお選び頂けたら、と。こう提案しているのでございます」 さぁ、こちらへ。 その言葉に促さられるまま、俺は店の奥深くへと足を進めた。 まるで質の悪い魔物に騙されたような気分だったが。 店の奥には、入り口に置いてあったものとは明らかに格の違うプランツが、それぞれが最高に映える服を着せられ1体ずつ丁寧に椅子に座って、眠っていた。 「こちらは、名人が丹精込めて育てました“翡翠”というプランツでございます。性質も大人しく、初心者の方にも育てやすいかと存じますが」 眠っているプランツの横で店主が説明をしていく。 その言葉も右から左に流れてしまうかのように、俺の意識はこの不思議な生き物に支配されかけてきていた。 最後の1体の説明が終わり、これ以上奥には進めない、という場所に隠されるように置かれている1体のプランツがいるのを俺は見つけた。 「あれは?」 俺がそのプランツを指差すと、店主は明らかに困惑した表情を作った。 「あのプランツは、商品ではございませんので」 「何でだ?」 もっと近くによってそれを見たかった俺は、店主に妨げられる前にと、そのプランツの前へと移動した。 「…少年?」 今までのプランツとは明らかに違っていた。 店に並んでいるプランツはどれもこれもが少女の形をしていた。しかし、このプランツは少年だ。しかも、少しだけ年齢が上、少年と呼べる上限ぎりぎりという年恰好だった。 「このプランツは、育って、しまったのでございます」 「育つ?」 店主が悲しそうに続けた。 「左様でございます。このプランツは、育ってしまったのでごさいます。ですので、お客様へ売るわけにはいかないのでございますよ」 「それでもいい。売ってくれ」 俺は一目でこの少年の虜になっていた。 運命だ、と。 こんな言い方が植物相手に許されるのかどうかは分からないが、このプランツが手に入るのなら俺の全てを犠牲にしてもいいとさえ思ったのだ。 自分でも不思議に思うほどだった。 「それに、このプランツは壊れておりますので。申し訳ございませんが、お売りするわけにはまいりません」 店主の口調もきっぱりとしたものだったが、俺も負けられなかった。 「壊れていても、何でもいい。俺はこいつを連れて帰る」 全てはこのプランツと出会うためにこの街へやってきた、そう俺は思い込んでいた。 「それは…申し上げにくいのですが、壊れたプランツはいずれ枯れてしまいます。その前にメンテナンスをしてやれば元のようになる可能性もございますので…」 「枯れる…?」 「左様でございます。枯れる、のでございます。プランツは植物でございますから」 一気に天国から地獄へ落とされた気分だった。 それでも。 「何か方法はないのか?枯れないでいられる方法は?」 藁にもすがる思いで、店主に詰め寄った。 初対面の相手になんて醜態をさらしているのか、と自分でも思ったが体面なんて構ってられなかった。 「枯らさない方法、でございますか?ですから、メンテナンスに出すのでございます」 「メンテナンスに出せば、その後、俺でも育てられるのか?」 店主が悲しそうな顔になる。嫌な予感がした。 「左様でございますね。この子は壊れた上に、育っておりますからねぇ。このまま眠ったまま、ということもございますし……名人と呼ばれる職人でも、難しいかもしれません」 申し訳ございませんが、この子のことは諦めて頂けますでしょうか。 丁寧な口調でわびる店主の言葉も、俺には遠い世界からのただの雑音にしか思えず。 「俺はどうしてもこの子を貰いたい。金ならいくらでも出す」 マフィアのボスの顔で店主に詰め寄る。 「…お金の問題ではないのでございますが……」 ふっ、と店主がため息をついた。 「お客様の熱意には私も負けました。では、一度だけチャンスを。もしかしたら、この子はお客様を“選ぶ”かもしれませんので」 選ぶ、とはどういうことだ。 俺の不審な顔色を読んだのか店主が言葉を重ねた。 「このクラスのプランツになりますと、“選ぶ”のでございますよ。自らが最も美しく生きていける、最も慈しんでくれる、そのような相手を、でございます」 「では、選ばれれば、このプランツを持って帰ってもいいんだな」 仕方がない、という風に店主が微笑む。 「本来ならば、してはいけないことなのかもしれませんが…私もここまで美しく育ったプランツを枯らさせるのも忍びないのでございます。お客様なら、この子を目覚めさして下さるかもしれませんし。長年このような商売をやっておりますと、人を見る目というのも培われてくるものでございまして」 人を煽てるような言葉を平気で口にして、にこりと笑う店主に言われるまま、俺は少年の前に立つ。 一国の大統領と会ってもこんなに緊張しないだろうという位、俺は緊張していた。 ああ、やっぱり綺麗だ。 艶やかな黒髪に縁取られた白い肌は白磁のように滑らかで。 店に並ぶ他のプランツとは違う、黒だけの質素とも取れるストイックな服がこのプランツの美しさをより一層際立たせている。 目を開けて、俺を見てくれたら…もっと綺麗だと思うのに。 「…残念でございますね」 無慈悲にも店主が言う。 肩に置かれたその手を振り払うように、俺は彼に近寄る。 「目を開けろよ。お前このまま枯れちまうんだぞ。それでいいのかよ」 今までの紳士面を脱ぎ捨てて、俺はプランツの肩を力一杯揺さぶった。 その体は意思などないかのように、がくんがくんと激しく動く。 「…んだよ。起きないのかよ」 俺はその細い体を抱きしめ、泣いていた。 自分でもこんな情熱があったなんて驚いたが、俺は泣いていた。 ぴくり。 俺の腕の中で、今。 動いた。 慌ててプランツを解放すると、ゆっくりと首をあげ、不思議そうな眼差しで俺を見つめる。 漆黒の闇のような、黒曜石の瞳。 綺麗だ。 俺は吸い寄せられるように、その瞳を見つめたまま。 「ああ、目覚めましたね」 店主の言葉が俺を現実に戻した。 「そうですね。…それでは、このプランツは連れて帰ります」 「ええ、お約束でございますから」 どうぞ、と優しく微笑み俺とプランツとを明るい店内へと導いた。 「それでは、お茶をお淹れいたしましょう。プランツには暖かい、人肌に暖めたミルクを」 かちゃかちゃと食器が触れ合う心地よい音をさせ、店主が飲み物の用意をする。 そういえば、と思い立ち店主に質問をした。 「この子の名前は?」 「“雲雀”でございます」 花の香りのするお茶が俺の前に差し出された。そのお茶には手を出さず、俺はプランツの名前を何度か呟いた。 「雲雀…」 不思議な響きだと思った。彼の黒い髪と黒い瞳に似合った名前だと。 「左様でございます。さぁ、お客様。こちらのミルクをプランツにおあげ下さい」 俺は店主からミルクを受け取ると、雲雀に差し出す。 雲雀は俺の差し出したカップと俺の顔とを交互に眺め、華奢な手でカップを取る。 警戒するように匂いをかぎ、こくんと一口、ミルクを飲むと。 俺を見て、ふわり、と微笑んだ。 その街はとても不思議な街だった。 そして、俺はその不思議な街で出会った不思議な観用少年と一緒にその街を後にした。 |