◆ 観用少年 - plants doll - 2 ◆ 俺はまたこの街にやっていた。 この街で手に入れた、プランツと一緒に。 「それでお客様、本日はどのような御用でございますか?」 馬鹿丁寧な店主の差し出す薄い琥珀色の香りのいいお茶を受け取りながら俺はため息をついた。 「…雲雀が」 「プランツがどうかいたしましたでしょうか?」 やんわりと俺の言葉を促す。 「雲雀が……」 俺は悲しみを打ち消すために、お茶を一気飲みした。 適度に熱くて、舌を少しだけ火傷してしまったようだが、そんなことではこの悲しみは薄れない。 「笑わないんだ」 がくりと項垂れた俺が差し出したカップに店主はこぽこぽとお茶を注いだ。 「左様でございますか…それはお困りでございますね」 店主は同情するようにふっと息をつくと、穏やか眼差しで俺を見た。 「それで、プランツはどこに?」 「そこに…」 俺は振り返る。 い、ない…? 緩慢な動きで店主の顔を見る。 店主も俺を見返し、きょとんとしたような表情で小首を傾げながら、残酷なことをさらりと言った。 「プランツはおりませんね」 「雲雀が…いなくなった……?」 言葉に出してしまうと、その事実が重く俺にのしかかってきた。 プランツドールを売る店、そういばこの店の名前を俺は知らなかったことに今更ながら気づいたけど、そこを出て、一人街をさまよっていた。 文字通り、迷っていたのだ。 俺は別段方向音痴でもないし、初めてあの店を訪れた時には同じごみごみした街の中も迷いもせずすんなりと辿り着いたのに…。 俺があの店から出て、街中で道に迷っているのかといえば、全てはあの店主のせいなのだ。 雲雀が消えたことに打ちのめされたショックで椅子から立ち上がることもできなくなった俺を「それでは、お客様」ここで一拍間を置いて「とっととプランツを探しに行かれたらいかがでしょうか?」と店主は客商売らしからぬ強制力を持った声で店の外に追い出した。呆然としている客の扱いに慣れているようで、さすがはあの店の店主、と思ったのだが。それでも、その声音の強制力にもかかわらず、思いの他の優しさに俺は少しだけほろりときそうだったのは内緒だ。 この街に着いてからのことを考えるてみる。 空港から雲雀とタクシーに乗り、この街までやってきた。 店のある路地の入り口辺りでタクシーを降り、歩いてあの店の扉をくぐったのは憶えている。 そこまでは一緒だったことは確実だ。 しっかりと雲雀の手を握っていたから。 手を見ると雲雀の温もりが蘇るようで、無性に哀しくなってくる。 そして、手を離した自分に腹が立つ。 「お兄さん寄ってかない?」 陳腐な言葉で腕を掴むカジノの客引きを強引に振り払う。 「っち」という舌打ちを背後に聞きながら、俺はどすどすと道を行く。 「あら、綺麗なお兄さんだこと」 客を引いている女が俺にウインクを遣すのさえうっとおしくて、反射的にその女を睨みつけた。 「あら怖い。でも、睨んでもいい男ね。今日は二人も美形を見られてついてるわ」 「さっきの黒髪の子だね」 女の傍に現れた、客に振られたらしい少し年嵩の女がいつの間にか会話に加わる。 「そうそう、さっきの黒髪の子。まるでプランツドールみたいに綺麗だった子」 「でも人間だろ。一人で歩いていたし」 俺は思わず二人の会話に耳をそばだてた。 まさか、そんな、都合のいい事がと半信半疑になりながらも、藁にもすがる心地だったのだ。 「それもそうか。プランツドールはいつも飼い主と一緒だものね」 それだったら声掛けとくんだった、と年嵩の女が言うと、間髪いれずに「あら、姐さん、子供が趣味なの」と最初の女が驚いたように目を見開いた。 「そりゃ、綺麗なものは大好きだよ。だから、綺麗な金髪のお兄さんでもいいよ」 と、年嵩の女が俺の腕を取る。 生身の感触が衣越しに伝わってくる。 俺は彼女たちの機嫌を損ねないようにそっと腕をはずす。 「すみませんが、その子供についてもう少し詳しく教えてくれませんか?」 演技をしなくてもにじみ出る切迫感で、俺は彼女の手を握った。 「教えてくれって言われてもね、ちらっと見ただけだしさ…」 ねぇ、と女は相手に同意を求める。 「そうよねぇ……そういえば、あの角を曲がっていったような気がするけど」 眉をひそめて、女が薄暗くなっている辺りを顎でしゃくった。 「あの角って、あんた…」 「…多分……ね」 二人は目線で会話をし合うと、年嵩の女が声潜めて俺を見上げた。 「もしかして」 「何ですか?」 「あんた、あの子のイイ人かい?」 「イイ人…って」 突然の展開に俺の頭は上手く方向転換してくれない。 「そうなのね。だからあの子の事を捜してるのね」 若い女は何故だか一人で納得ているようだ。 「あの、それで、その少年はあの角を曲がって行ったんですよね?」 俺は何とか話を軌道修正させようと、二人の勢いに気圧されつつも確認した。 「そうだよ、何ぼけっとしてるのさ。早くあんたも追いかけないと。あんなに綺麗な子だもん、売りと飛ばされちまうよ」 そうよ、そうよ、姐さんの言う通りよ、と若い女も騒ぎ出す。 売り飛ばされる?言葉の意味は分かるのに、理解できずにいる俺に若い方の女が「大きな声じゃ言えないんだけどね」と声をひそめ説明し始めた。 「あの辺りはワルイ奴らがたむろしてて。何も知らない観光客が迷い込んだら最期、自分の意思じゃ出てこれないって話なの」 「そうなんだよ。私たちみたいなちゃんとした組合があるわけじゃないしね…」 「ましてやあんなに綺麗な子だもの。絶対に危ないわよ」 俺は二人の言葉を総合した。 「つまり、その子に身の危険がある、ということですか?」 「そういうことだよ。ぼさっとしてないで早く行っといで」 年嵩の女が俺の尻を景気よく叩く。 俺は急かされる様に、とにかくその黒髪の子が消えたという角を急いで曲がって行った。 黒髪の子が消えたという通りは、澱んだ雰囲気の中に凶暴な空気が巧妙に隠されている、そんな通りだった。 俺は、直感的にマズイな、と思う。 これでもマフィアのボスだから、裏社会には慣れているのだ。しかし、ここには裏社会などという組織的なものではない、有象無象の跋扈する無法地帯のような感じだった。何かあった時にも交渉の隙もない、非論理的な場所。 本当に雲雀がここに来たというのならば、かなりマズイ。 只でさえ目立つ外見な上に、今はあんな状態だし…。 気は急いたが、警戒を怠らずに俺は道に迷った観光客の振りをして、とはいえ観光客なのは本当だし、道にも迷っていたけれど、きょろきょろと辺りを見回して歩いた。 「よう、お兄さん。どうしたんだい?」 案の定、魚が引っかかってくる。 「そんなにきょろきょろして、何か探し物かい?」 若い男はニヤニヤと笑いながら、俺の肩に気安く手を乗せる。 払いのけたい衝動にかられながらも、俺は突然驚いたというような顔をする。 「あの…この辺に黒髪の子供がいたってあそこの女の人に聞いたものですから」 男は俺を上から下まで嘗めるように値踏みしていく。反吐が出る、という内心の声を外に出さないように、いかにもおのぼりさんのお坊ちゃんというかんじで俺はおどおどとする。幸い今日の服装は、仕立てのいいシャツに普段着用の軽めのブレザーという金持ち風の格好でもあった。 「ああ、黒髪の子供ね。そういえばこっちに来たよ。何?お兄さんのツレ?」 フレンドリーだと思わせるそぶりで俺に笑いかける。 「ええ、ご存知でしたか。その子がどこに行ったか教えて頂けませんか?」 あくまで相手を立てるように、あせった調子で俺は言う。我ながら堂に入ったものだと感心するくらいの演技力だ。 「ああ、いいよ。俺が案内してやるよ」 男は俺のことを全く疑いもしないで、上手くいったという表情をする。そして、俺の肩に回した手に力を込めて、歩き出す。 首に回された腕のぬくもりが気持ち悪かったが、俺はおくびにも出さずに男に引っ張られようにつられて歩き出した。 薄暗い路地を何度か曲がり、段々と人通りの少ない小道へと俺たちは進んでいく。 俺はきょろきょろしながら周りの様子を覗い、目印となるようなものを覚えていく。万一の場合に備えての逃走経路を頭の中で組み立てるためだ。 連れ立って歩く間に、男は俺から情報を引き出すためか、それとも警戒心を抱かせないためなのか、「どこから来たの?」とか「観光?」とかどうでもいいことを話しかけてくる。その度に「ええ」とか「ああ」とか言いながら答えてやる。 今まで歩いてきた道よりも、更に細く暗く汚い路地を曲がると、デットエンドになっていた。 「あの、ここは?」 きょとんとした様子で俺は相手に尋ねた。 すると、予想に違わず男は凶暴さを目に宿しながら俺を突き飛ばした。 「ここが目的地さ。ちゃんと案内してやったんだから、案内料を頂くとするぜ」 急に口調を変えた男の安直さに、俺は返事もせず佇んでいた。 それを恐怖のあまり声もでないとでも考えたのだろう。男は猫なで声で「何も命まで取ろうってわけじゃねぇんだ。その腕にしてるたっかそうな時計と財布だけ置いてきゃいいんだよ」と俺に近づいてくる。 不用意に相手に近寄るとは、やはり三下は三下だと俺はため息をつき笑った。 「てめぇ、何笑ってやがるんだよ」 男は俺の異変に気づいたのか、声を更に荒げずかずかと俺の側に歩いてくる。 金で解決してもいいのだが、こんな男の相手をするのも段々と面倒くさくなってきた。 俺は手っ取り早い解決方法を選択することにした。 すっ、と腰を沈め、反動で男の懐へと飛び込む。 男の首を押さえ込むと、ベルトのバックルから抜いたナイフをその喉元へと突きつけた。 「さて、案内料が欲しいのなら、ちゃんとあの子のところまで案内して貰おうか」 わざと静かな低い声を出す。 勿論、少しだけナイフの切っ先を男の喉に食い込ませるのも忘れはしない。 「な…」 男は俺の豹変振りに目を白黒させながら、逃げようともがく。 ナイフを少しだけ喉に埋め込む。 ぷつ、と肉を刺す感触がした。嫌な感触だ。 「ひゃっ」 情けない声を出し、男の動きがぴたりと止まる。 「それじゃぁ、俺の質問に答えてもらおう」 男がかすかに首を縦に動かすのを確認し、俺は質問を始める。 「お前は本当に黒髪の子供を見たんだな」 答えようと口を開いた男が、喉に突きつけられたナイフを見下ろした。少しだけ、俺は束縛の力を緩めてやる。 「あ、ああ。見たよ。黒い髪の綺麗なガキだろ。すっげぇ、綺麗なガキでさ。どうして裏路地になんて来たのか不思議なくらいで。こりゃ危ないな、って俺は思ったんだ」 この場を切る抜けるために、知ってる限りの情報を吐き出してしまおうと、男が堰を切ったように話し出した。どうやら交渉という文字はこの男にはないようだ。そういう手合いの方が、俺としても楽だけど。 「危ないとは?」 「だって、この辺にいるのは俺みたいな安全なヤツだけじゃないんだぜ。売人、人殺し、それに人売りだっているんだからな」 「で」 俺が睨むと、男は首をすくめる。 「だから、あのガキが行った通りってのがそういう奴らの溜り場なんだよ。それに俺が見た時にはあのガキ奴らに囲まれてたからな…」 何があっても自分の責任ではないから、というような不安そうな目で俺を見る。 「それで、その子供が連れられていったのはいつ位だ」 「…10分くらい間…かな……」 10分。 まだ、間に合う。 内心で焦っていることを臆面にも出さないようにする。 「それで、そいつらはあの子をどこに連れて行ったんだ」 「分からねぇよ」 「何?」 「お、俺もちゃんと見てたわけじゃねぇから……」 俺の殺気を汲み取ったのか、男の語尾が弱まっていく。 「分かった。それなら、そいつらの溜り場は分かるだろ」 「分かる」 「そこまで案内しろ。勿論、案内料ははずませてもらう」 「わ、分かったよ。でも、案内するだけだからな」 「それでいい。案内しろ」 俺は最後にニヤリと笑い、ナイフを収めた。 男と俺は路地の片隅から出て、通りを歩く。 少し行った所にある、見るからに怪しげな酒場を男は指差した。 「あそこの地下が連中の溜り場になっているから」 俺はこれで、と逃げ出そうとする男の首を掴み、俺は懐に手を入れる。 「な、なんだよ。約束通り案内したじゃねぇかよ」 慌てる男に、俺はあきれつつ懐から出した財布から無造作に掴み取った現金の束を渡す。 「案内料だ。取っておけ」 扉を開け人気のない店の中に入った俺の耳に、争っているような物音が微かだが聞こえた。 地下がある、とあの男は言っていた。 店内をざっと見回し、階段がありそうな所を探る。 店の奥まったところにあるドアを開けてみる。 ビンゴ。 薄暗い階段を降りると、物音に「てめぇ」とか「ぐっ」とかいういかにもな台詞が混じっているのが分かる。 遅かったか、と思い階段を駆け下りる。 俺が下に着くと待ち構えたようなタイミングで男が飛び出してきた。 男は破れかぶれな様子で、俺に襲い掛かってくる。俺も条件反射的に男の鳩尾に拳を叩き込む。 あっけない程簡単に男が崩れ落ちる。 俺の視界が開け、地下室の様子が見て取れた。 「…遅かったか……」 俺はため息をつきながら、部屋に入る。 床の上でうめく男たち中に、懐かしい、と思うほど離れていた時間は少ないはずなのに懐かしい雲雀の姿があった。 「迎えに来た」 俺はきっと、困ったような顔をしていたと思う。 雲雀が無残に寝転がっている男を踏みつけながら俺をみる。 「帰ろう…」 とりあえずここから雲雀を連れてかえろう。大方のヤツは伸びて床に転がっているが、及び腰ながらもまだやる気を見せているのも数人いる。 さて、どうしようかと一歩を踏み出した途端、男たちが雲雀と俺に襲い掛かってくる。 雲雀のトンファーが旋廻し、俺の拳が舞った。 あっけない程簡単に男たちが地に伏した。 男たちを倒した雲雀は、つまらなそうな顔をしていた。手ごたえがなさすぎる、とでもいうふうに。 「さぁ、帰ろう」 俺は雲雀に近寄る。 足元でうめき声がしたけれど、そんなものは構わない。 雲雀に手を差し伸べると、きゅっと眉を寄せじっと俺の顔をみた。 「一緒に帰ろう」 もう一度俺は言う。 雲雀が俺の顔をじっと見る。 そして、そのままで。 雲雀は俺の手を握り返してはくれなかった。 こぽこぽと沸騰するお湯を小さなティーポットに淹れると、すぐに大きなカップにお茶を注ぐ。 「プランツが見つかったようで何よりでございます」 店主は俺の前に置かれた小さなカップに大きなカップから茶を少しだけ移す。花のようなふわりとした香りが鼻腔をくすぐる。 「…それにしても、これはまた」 茶に手を伸ばした俺の隣に座る雲雀を見て、小首を傾げた。 「愛想のない、いえ、とても大人びた顔をしておりますね」 にっこりと、どこか俺を責めるような笑顔を浮かべた。 「愛想がない…そう、かもな」 表情がないわけではないのだ。むしろ、表情は初めて会ったときよりも豊かになっているかもしれない。 「それにしても、プランツが悪者を一人で倒してしまう、というのは不思議なものでございますね」 俺を気遣ってか、雲雀の前にミルクを置きながら店主が話を変えた。 「そうなんだ。男の子だろ、なんか動いた方がいいかなぁって思って、武術をやらせらた意外と筋がよくって…こいつ、強いんだよ」 「左様でございますか」 「でも、強くなってきたら段々と笑わなくなってきて」 隣の雲雀を見ると、難しい顔をしてこくこくとお茶を飲んでいる。 「笑わなく、でございますか」 「だから、もしかしたらこのまま枯れてしまうんじゃないかって心配に…」 最悪の想定を口に出した俺は俯いた。 「もう一杯いかがでございますか」 「いや、俺は…」言いかけた俺の横で雲雀がこくんと頷いた。 店主は雲雀のカップにミルクを注ぎながら、俺のカップもお茶で満たす。 「左様でございますね。笑わなくなったからといって枯れるわけではないかと存じますが」 安心させるように笑い、その言葉が聞きたかった俺は店主の思惑通り安心する。のも束の間。 「ただ」 「ただ?」 「笑わない、ということに関しましては私どもでは何ともしようがございませんもので」 気の毒そうな顔を作る。医者に最後通告を突きつけられた患者の気分とはこういうものかもしれない。 「そうか…」 とりあえず雲雀が枯れないという店主の保障、それがどれ位当てになるのかは分からないが、を得られただけでも良しとするか。 「分かった。ありがとう」 俺はお茶を飲み干し、「ご馳走様」と席を立つ。 「雲雀、帰るぞ」 「ああ、お客様」 腰を浮かした俺に店主が声をかけた。 「そのような言い方ではだめでございますよ」 諭すように優しく言う。 「壊れやすいガラス製品を扱うように、散りやすい花を扱うように、そして最上の恋人に対するように」 優しく囁くのでございます、と。 気障な台詞もこの店主の口から出てくると違和感なく受け止めてしまえる。 壊れやすいガラスのように。 散りやすい花のように。 そして。 最上の恋人のように。 俺は椅子に座る雲雀と目線を合わせるようにしゃがみこむ。 黒曜石のような双眸が俺を見つめ返す。 そうだった。 俺は思い出す。 この黒い瞳に俺はやられたんだった。 柔らかそうな、事実ぷにゃりと柔らかい赤みを帯びた頬を両手でそっと包み込む。 「雲雀」 じっと、雲雀を見つめながら。 「俺と一緒に帰ろう」 囁くように。 きゅっと口元を閉じた雲雀の頬から俺の手へと仄かな温もりが伝わってくる。 雲雀は俺の目を見返し、きゅっと眉を寄せた。 ダメか。 でも、こうやってじっとしているだけで、もう、それだけで、充分だと思った。 俺がいて、雲雀がいる。 それだけで。 「恭弥」 俺がつけた彼の名を呼ぶ。 ぽろり、と。 雲雀の目から大粒の涙が零れ落ち。 「え」 それは球形を保ったままころころと落ちていく。 床に落ちた涙は、雲雀の目と同じ黒で。 透明だったのに…。 俺は呆然と雲雀を見返した。 「これはこれは」 俺の背後で店主が、声を上げる。 何が起こったのか分からない。 恭弥が涙を払うように目を瞑り、そして。 「きょ…うや?」 ふわりと微笑んだ。 「わら……った」 思わず恭弥を抱きしめる。 どれくらい、そのままでいただろうか。 俺の背中に恭弥の腕が添えられ。 きゅっ、と。 恭弥も俺を抱きしめてくれた。 俺たち、雲雀と俺は店の扉の外にいた。 「お客さま、よろしゅうございましたね」 そう言って、俺たちを見送りながら、これは天国の涙、といわれる大変貴重なものでございますよ、と店主が綺麗な刺繍の施された小さな袋に黒い真珠のようなダイヤのような不思議に美しい雲雀の涙を入れて俺たちに1つずつ持たせてくれた。 お揃いとは、少し照れくさい気もしたけれど…。 「行こうか」 俺は雲雀の手を握り、歩き出した。 こうして俺は不思議な街を後にした。 たった1日だけの滞在だったが、俺の、否、俺たちの心は満たされていた。 |