◆ 漆黒の中で ◆ 慌しかったここ数日のことを思い、ディーノは地下室の重たい扉を閉めた。 このまま倒れこみたい衝動にかられながら、 あの日から今日まで出来うる限りの策は打った。と思う。何度思い返しても、これ以上今出来ることはないという結論に達するのだが、それでも何か遣り残したことがあるようで、湧き上がる焦燥感に駆られてしまう。 そんなディーノを見かね、この隠れ家までついてこれた部下たちが休養を取るようにと、部屋へ追いやったのだった。 その気遣いはありがたいのだが、とディーノは芯のぼうっとし始めた、疲れた頭の中だけで苦笑する。 顔の筋肉を動かすのも面倒になっていた。 「死にそうな顔だね?」 闇に覆われた部屋の中から、低い闇の一部であるかのような特徴的な声がする。 空耳か、と思い、こんな空耳を聴くようになるとは末期まできたかと自嘲気味になり、隠れ家の粗末なベッドへと足を向ける。 「返事は…?」 不機嫌そうな声と共に、影の中から闇よりも暗い漆黒の姿がすっと出てくる。 ディーノは、そのぬばたまの黒さに目を細める。 最近の幻覚はリアルだなと、目の前の現実を受け止める気力もなく、またその現実を信じたくないような気がして、意味もないことを考える。 「蒼い顔してる…」 ディーノへと伸ばされた手が頬に触れる。 ひんやりとした感触。 その冷たさ故、ディーノは幻ではない実体の持つ確かさを感じた。 「…恭弥」 何か気の利いたことを言いたかったのだけれど、出てきた言葉はそれだけで。 黒曜石の瞳が煌くのを見つめた。 雲雀は、影になっていて本来の色が失われている鳶色の目を見返しながら、「貴方に会いたかった、とでも言えば満足?」と笑う。 「いや、…」 そして、言葉を詰まらせてしまい、ディーノは弱々しく微笑んだ。 自分の頬に充てられ、少しだけ温もりを持ち始めた雲雀の手に己の手を被せる。雲雀の手を握り込みそのまま降ろす。ついっと近寄り、雲雀の鋭角を増した頬に唇を寄せる。 「お別れに来たんだ」 雲雀が体を引き離す。 「日本に行くことになったから」 脳みその一部が雲雀の言葉を正しく理解して、それをディーノの体の末端までシナプスとして情報を伝達していく。本来ならば、一瞬で起きるはずの作用が、極度の疲労のためか、それとも受け入れたくない現実のためなのか、とても緩慢な働きへとなっていて、「そうか」と答えるまでに時間を要した。 そうだった、恭弥は別の組織の人間だったのだ、と。暇さえあれば会うことが当たり前になりすぎていたから、忘れかけてもいいかもしれないと考えていたけれど、彼は彼で自分とは違う規律で動くべき一個の人間だったのだ、と。 「それでも、お前がここにいてくれて、嬉しいよ」 ふわりと笑う。 本来ならば、このような場所に渦中の組織の幹部がいることの真意を問わねばならないのだろう。自分に課せられた使命を一刻でも早く全うするために、こんな所で時間を無駄にしてはいけないと諭すべきなのだろう。 だが、ここに雲雀がいる、という事実のもたらす嬉しさを、そして少しの戸惑いを、いまはただ素直に受け止めていたかった。 お互いそろそろ正念場だな、と眩しい程の笑顔を見せるディーノに、雲雀は一瞬だけ意外そうな表情をみせた。そして、すぐにいつもの挑戦的な顔へと戻り。 「…しないの?」 耳元で奏でられた低く擦れた囁き声に、ディーノは微かな熱を感じた。 だが。 「しないよ…」 優しく雲雀の頬に片手を添え、目にかかりそうに伸びている前髪をさらりとかき上げる。 そして、その賢げな額に軽く唇を落とした。 「今はしない。次に会うときまでお預けだ」 「そう。…後悔しても知らないよ」 「後悔するのは、お前だろ」 「どういうこと?」と挑戦的に問う雲雀に、ディーノはいつもの調子でくすりと笑う。 「次に会うときには覚悟しておけってこと。たっぷり啼かしてやるから」 再びディーノは雲雀の額にキスをする。 それは、大人が子供にするような、それでいて恋人たちの誓いにも似た口付けだった。 「ばかじゃないの」 そう呟く雲雀の声も、闇へと消えていった。 |