◆ THE ORIENTAL LILY ◆ 彼を、穢した。 そういう認識はなかった。 合意の上とはいえ、ほぼ無理矢理体を開かせ、自分を受け入れさせた。 だが、それでも。 穢した、とは思わない。 穢したい、と願っても。 穢れることなき存在なのだから。 ディーノはシーツに包り、丸まって眠る雲雀の薄い肩を撫でる。 先程までの熱が引き、赤味を帯びていた肌も白皙を取り戻していた。 ディーノの掌よりも低い体温が、心地よく感じられた。 薄く差し込む月明かりの蒼さが、照らされるものから生気を奪い取ってしまうのかもしれない。 疲れきって動かない雲雀は、まるで死んでるかのようだ。 雲雀の肩に置いた手を、ゆっくりと、その肌の感触を確かめるように動かす。 さらりとも、しっとりとも、その両方の感触をもたらす雲雀のすべらかな肌。 ただ触れるだけでも、彼に触れているということを絶えず意識していないと境界があいまいになってしまう。 馴染む、というのではなく、最初から融合してしまったような、そんな感触だった。 「…恭弥」 彼の名を囁く。 一体いつから、この名がディーノにとって特別になったのだろう。 リボーンから聞かされた時には、個体を識別するための記号以上の意味はなかった。 それが、雲雀に会った時、突如としてディーノの特別になったのだ。 初めて持った弟子だから? そうではないことは、今この状況が全てを物語っている。 無機質な部屋には、純白の百合の花がある。 聖ヴァレンタインの祝日、恋人たちの花には、もしかしたらあまり相応しくないのかもしれない。 だが、痛いほど白い百合の花が彼には相応しいと。 そう思ったから、彼に贈った。 明日には捨てられる運命の花だとしても、ディーノは彼に贈りたかったのだ。 ディーノは雲雀にかかるシーツをそっと剥ぐ。 肌に刻まれた、彼の印を、赤く鬱血している箇所を指で触れる。 蒼白く照らされた肌に浮かぶそれは、そこだけが命を持つように、妙に生々しく照り返っている。 自分で付けた痕だというのに、現実感が希薄になってくる。 夢ではないか。 どうしてだか、そう思ってしまうのだ。 夢ではないことを確かめるために、赤い痕へと口付ける。 「…ん……」 雲雀が身じろぎをした。 ディーノから離れようとするのを、抑え込むような形で阻止する。 「恭弥」 つい名を呼んでしまってから、起こすのは可哀想だと思う、自分のエゴイズムにディーノは心の中で苦笑した。 雲雀が、薄らと目を開け、肩へと口付けをしているディーノを見つめた。 その茫洋とした射干玉の眸にディーノは魅入られ、沈みこみそうになってしまう。 「…な、に」 寝ぼけたような微かな声で、雲雀がまた瞳を伏せる。 目を見つめられないのが、惜しい気がしてディーノは雲雀の肩から唇を離し、上から見下ろすように掌で雲雀の頬を包み込んだ。 「恭弥…俺を見て」 ディーノの声が、夜の空気へと吸い込まれ、寂しげに消えていく。 雲雀はディーノの掌に頭を預け、何も言わずに見つめていた。 吐息が絡まり合うような近さにいるのに、雲雀が消えてしまいそうな不安がディーノを襲う。 雲雀の頬に添えた手に力を込め、雲雀の肌の感触、その下の肉の感触、骨の感触、血管や流れる血液さえも感じ取ろうとした。 込められた力が、痛いのだろうか、雲雀が眉を顰める。 それでも、二人の視線はぶつかったままで。 「…花の、匂い」 不意に、雲雀が言う。 部屋の中には、百合の薫りが夜の精気と融合し、凝縮し、充満していた。 「ああ…」 「匂いが、強い」 どこか酔っているかの如く甘美な声音で雲雀が独り言のように続けた。 「あなた…みたいだ」 消え入りそうにそう囁く。 ディーノの掌にかかる雲雀の頭の重さが増す。 浮遊していた彼の意識が、眠りの中へと再び沈んでいったようだった。 そっ、と。 今度は彼を起こさないように。 頬を撫で、枕へと頭を乗せてやる。 少しの間、見つめていると、雲雀はもぞもぞと体を動かし、具合のいい場所を見つけたのだろう、安らかな寝息を立て始めた。 部屋には雲雀の言葉通り、百合の芳香が満ちている。 ディーノは、夜の空気と交り合った薫りを掻き乱さないようにと、ゆるやかに微笑む。 自分が、百合の薫りだとするならば。 その濃密な気配で雲雀を包み、隠してしまいたい。 決して穢されることがない、崇高なる純白の花弁を。 満たして、溺れさせてしまいたい。 溺れた中で、開く花こそ、美しい。 穢せないのなら、自分という中でだけ咲き誇るような。 そんな花にしてしまいたい。 眠りの深淵へと落ちて行った雲雀は、月明かりに照らされ、蒼白く輝いている。 希薄な現実感は変わらず希薄なままだった。 しかし、何か違うもの、それが明確に何なのかは分らなかったが、確固たる何かがディーノの中に存在し始めていた。 今、ディーノの腕の中には、彼よって満たされた、孤高に咲く気高い大輪の百合があった。 |