◆ 不条理な世界と太陽との関係 ◆ ディーノと雲雀を乗せた車は、市内の道を緩やかに行く。 歩いた方が早いのではないかと思わせるような徐行を繰り返し、それでも窓ガラスに遮光シートが張られエアーコンディショニングの効いた車内で過ごせば、炎天下の中を汗だくになり目的地へ着くという愚行をしなくても済む分、速度の問題は考慮するべくもない些事に過ぎない。 特に、ブラックフォーマルに准ずる服装をしている時ならば尚更である。 「ボス、もうすぐ着くぜ」 「…分かった」 ディーノは、窓の外を眺めている雲雀の様子を伺った。 これから起こることに、何の興味も持っていないような、そんな素振だ。 自分のことなのに…。 そう、心の中で苦笑し、雲雀の膝に指先で触れる。 「恭弥、もう少しだ」 「……聞こえてる」 雲雀の返答はそっけなく、ディーノは雲雀から手を離すと自分も窓の外を眺めた。 遮光シート越しに見る、不明瞭な世界は、今の雲雀の目にどのように映っているのだろうか。 少し興味をそそられたが、今はそれどころではないか、と表情を改め正面を向いた。 雲雀と二人で車に乗るという状況は、別段珍しいことではない。運転手付きで礼装ということですら最近では時折起こりうる状況だった。 しかし、今日は行先が問題なのだ。 査問会。 ボンゴレやキャバッローネのような真っ当なマフィア社会、これがどのような矛盾を孕んでいるものかは言うまでもないのだが、には組織間の揉め事を組織の枠を超えた第三者的観点から調停するための査問機関がある。第三者的観点とはいえ、その機関の構成員は各組織の元代表者、引退した顧問や引退した監査役である。全く利害関係がないとは言い難いが、構成員の立場や思惑が雑多に入り乱れている分ある種の公平さが保たれているのである。欺瞞だ、とも思うのだが、査問機関がある程度までは有効に機能していることを否定するのは難しく、その有用性は認めている。 自分が槍玉にあがらなければ、という条件付きであったならとディーノは目を閉じた。 きっかけが何であったかは明確になっていないが、今回査問されるべき議題は「ボンゴレとキャバッローネとの癒着」という愚にもつかない問題であった。同盟関係である以上、癒着は免れないことは明白である。特にキャバッローネが立ち直る、ディーノが立ち直らせたのだが、ためにボンゴレが尽力をしたことは周知の事実なのだ。 それなのに、今更…。 この所、業界もそれなりに落ち着いている。落ち着きを取り戻すと、非常時下では問題とされないような問題が浮上してくるものなのだ。 つまりは、時間を持て余した老人たちの暇つぶし、なのだろうが、迷惑なことである。 査問機関が老人クラブと現役のものから揶揄される理由がよく分かる。 問題が、ボンゴレとキャバッローネとの癒着ということであるならば、召喚されるべきはディーノとツナであり、雲雀ではないはずなのだ。 今回の召喚に際して、“キャバッローネのボスとボンゴレ雲の守護者”という限定がある所に、ある種の悪意といやらしさを感じた。 彼らが問題にしたいのは、“ボンゴレ”と“キャバッローネ”という組織同士の癒着ではなく、“ディーノ”と“雲雀恭弥”という個人の関係なのだ。 その根底にあるのは、フォモファビアという倫理的な顔に隠された、ただの好奇心。 退屈な老人たちの、無自覚な自分たちが優位にあるということからくる不躾な視線に耐えねばならないことを考えると、嫌悪感すら湧いてくる。 そして、雲雀を巻き込んでしまったことへの罪悪感。 ディーノは雲雀の顔を盗み見た。 車はまだ目的地へ着かないらしい。 雲雀がディーノの部屋を訪れ、差し出した一通の封書。 丁寧にペーパーナイフで開封されていたそれを見、ディーノは、やはり、とため息をついた。 「恭弥の所にも来てたか…」 じっと自分を見つめる雲雀の視線を感じ、封書を手で弄ぶ。 「何これ」 「…暇人たちからの呼び出し状」 雲雀の軽く睨みを効かせた目を見て、ディーノは「あっちに行こう」とソファを目で示した。 少し硬めのソファに座り、ディーノがローテーブルに封書を置く。 2通。 雲雀が持ってきたものと、ディーノの元へとメッセンジャーが運んできたもの。こういう時に郵便を使わないのは、この国の郵便業務への不信からなのか、伝統への敬意さかなのか。おそらくは、権威を見せつけるためだけの行為なのだろうが。 「呼び出しって?」 黙っていても埒が明かない、と思ったのだろう。ソファへ体を預け、足を組み、一見寛いでいる風な雲雀がディーノへと質問した。 しかし、寛いでいるにしては、言外には刺々しいニュアンスが含まれ過ぎていた。 「呼び出しは呼び出し、なんだけどな」 ディーノは苦笑して、果たして雲雀にどうやって説明すればいいものかと頭をフル回転させた。雲雀相手では誤魔化しは通じない。普段交渉事に臨む以上に脳細胞を活発にさせなければ手痛い反撃、無言の反撃を受けねばならず、油断ならないのだ。 右腕をあげ、肘をソファで支えて自分の髪をいじっている雲雀の目が細められ、ディーノを射る。 ディーノは、どのように話を持っていっても不快なことには変わりがない、と嘆息し、雲雀にありのままを予断を与えないように注意を払いながら、話すことにしたのだ。 前かがみになり、組んだ手を膝に乗せたディーノが全てを語り終えた時、雲雀はそっぽを向き、退屈そうにあくびをした。 「噛み殺しがいのありそうな相手じゃないね…」 「…まぁな」 「退屈しのぎ…にもならないかな」 詰まらなそうに小さく呟いた雲雀に、ディーノは苦笑するしかなかった。 「着いたぜ」 車が停まった。 やっと着いたか、という気持ちともう、着いてしまったか、という気持ちを一度に感じ、、不意に遮光の効いた窓からの景色やエアーコンディショニングの人工的な匂いが遠いものとなる。 「降りないの?」 だから、雲雀の声を聞くまで、車のドアーがロマーリオによって開けられたのを知覚せず、否、知覚はしていたのだが現実として認識せず、車のシートに腰かけたままだった。 「悪い」と、苦笑して、ディーノは車から降りた。 嫌になるくらい、外は暑く、空気が乾いていた。車内で冷やされた体温が、早くも外気温と一致しようとしている。 手で庇を作り、空を見上げた。 太陽は眩しく、空は青い。 そんな中、どうして退屈な老人の弱い者いじめに付き合わなくてはならないのだろうか。 勿体ない。 「ディーノ?」 「恭弥」 二人の声が重なる。 嬉しげに雲雀を見たディーノを、雲雀は不審な面持ちで見返した。 ディーノは雲雀の手を取った。 「逃げるぞ」 満面の笑みを浮かべるディーノと嫌そうな顔をする雲雀。 僅かな間。 ディーノの視線と雲雀の視線とが、交錯する、一瞬の空白。 「悪い。ロマーリオ」 ディーノはそう言い残し、雲雀を引っ張るようにして日の降り注ぐ雑踏へと走り出した。 ディーノは「ブォーナ・フォルトゥーナ、ボス」というロマーリオの言葉も聞こえず、「何を考えて…」という雲雀の抗議も聞こえない振りをした。 たまには、いいだろう。 天気の良い、こんな日には、特に。 手で感じる雲雀の感触だけが、今のディーノの全てなのだから。 それが、今日の呼び出しに対するディーノの答えということにして貰おう。 |