◆ quo fata trahunt, retrahuntque, sequamur. ◆
〜 運命が運び 連れ戻すところに 我々は従おう 〜
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俺は酷い人間だろうか。 答えは是だ。 酷くなければ、マフィアの、業界でもトップクラスのマフィアの門外顧問なんて長年できるものではない。 それでも。 他人に対してどれだけ酷いことをしたとしても、最期の最期まで守っていたいものもあったはずなのに。 その聖域さえも今、踏みにじろうとしている。 例えこれが俺にとっての最後の仕事だとしても、許されるべきものではない。否、他人が「仕方なかった」と許したところで、俺の心が赦さない。 しかし、非道だと罵られようとも、やらねばならないことがある。 「俺は、酷い男だな」 声に出してみると、少しだけ、ほんの少しだけ救われる。ような気がした。 「そうだな、お前は酷い、残忍な男だ。でも、やろうとしていることは間違ってるわけじゃないぞ」 どこからかそんな応えが聞こえてくる。錯覚だ。その応えを与えてくれる人間はいないのだから。あの、マキャベリズムを厳格に体現したような、その冷酷さ故に優しい殺し屋は。 錯覚でもいい。 お前の声が聞ければ、それでいい。 自分に都合のいい言い訳だとしても、その言葉に後押しされれば、俺は迷いなく進むことができるから。 俺は誰ともなく宣言する。自分自身の迷いを吹っ切るために。 「それでは、試練を始めよう」 バンビーノよ、万全の準備で待っていろ。 惑わされず。 恐れず。 進め。 その運命の命ずるままに。 思えば遠くへ来たもんだ。 そんな歌詞の曲を知っている。 僕が小さい頃に、母さんが歌ってたのかな。そんなあやふやな感じの記憶で、他の部分は覚えてないけど、さびだけが頭にこびりついてエンドレスで鳴り響く。 「十代目、どうしたんですか?」 思わず歌詞を口ずさんでいたのかもしれない。僕の隣にいる獄寺君が、不思議そうな顔をした。 「なんでもないよ。それで、銀行はなんだって?」 「融資を渋ってます。仕方がないことだとは思うんですが…」 「あそこは、今の体制にべったりだからね」 「そうですね。ビジネスはビジネスですから。色々と方法は用意してあります」 合法的手段は勿論、非合法のものも、と言外に伝える。 「そう…遣り方は獄寺君に任せるよ」 「分かりました」 僕を安心させるかのように、十代目の気持ちは分かってますから心配しないで下さい、とでもいうように獄寺君は微笑む。汚いことは俺たちがしますから、安心してボスでいてくださいと。 マフィアのボス、なんて成り行きでなってしまったけれど、いまだに僕は暴力沙汰が苦手だった。できることならば、全てのことが話し合いで決着がつけばいいとさえ思っている。勿論、そんなことは無理な話だし、こんな考えは甘い、ということは自分でも自覚しているけれど。こればっかりは持って生まれた性格だから仕方がない。その分、獄寺君をはじめとする周りの皆にはいらない苦労もかけているのだと分かっているけれど。 「いつもごめんね」 その代わり、どんなことになっても最後の責任だけは僕が取らなくてはいけない、と肝に命じている。 「いえ、これが俺の仕事ですから」 もう一度微笑むと獄寺君は、書類をまとめて部屋を出てようとした。 その後姿を見送ろうとしたけれど、思わず彼を引き止めた。 「獄寺君」 彼は、何ですか、と振り返る。 「…ドクターは、元気?」 滅多にプライベートに関して口を出さない僕が、突然こんなことを尋ねたからだろうか。獄寺君はちょっとびっくりしたようだった。 「さぁ………。どこかの女のところか、それじゃなければ、野たれ死んでいるんじゃないですか」 皮肉げな、諦観とも取れる表情で苦笑しようとして失敗したみたいな顔になる。 それは悲しげではあったけれど、獄寺君とドクターの一緒に歩んできた歴史、例え幸せなことばかりではないとしても、その苦しみさえも呑み込んだ二人の軌跡のようなものを感じさせる、深い部分でお互い分かり合っているというような表情だった。 彼にとってのドクターは、ひどく特別で大切な、自分が思っている以上に自分の心を占めている、そんな存在なのだと思う。綺麗な、現実にはどんなに汚れていようとも、己の最後に残される綺麗だと信じるに足る拠所のような存在なのだと。 僕は、そんな存在がいてそれをいつもリアルに感じ触れようと思えば触れることのできる獄寺君を羨ましいと思った。そして、その存在を自分では自覚していなくて、彼は賢いのに自分の心には疎いから単に気づいていないだけなのかもしれないけれど、わざわざその存在を確認しなくても、すんなりと心の中に馴染ませ溶け込ませている彼に、もしかしたら僕は嫉妬しているのかもしれない。 「十代目?」 黙り込んだ僕を獄寺君が心配そうな瞳で見つめていた。 「ん、ごめん。何でもないんだ」 安心させるように、上手くできたかどうかはわからないけれど、僕は微笑む。 「そうですか。…失礼します」 まだ何か言いたそうだったけど、獄寺君はそれ以上何も言わず、部屋を出て行った。 思えば遠くへ来たもんだ。 一人きりの部屋で、僕はまたあのフレーズを口ずさむ。 自分だけではなく、他の人も巻き込んで、こんな所までやってきて。 もう何年経っただろう。 ボスになって最初の5年は一生懸命だった。慣れない言葉に慣れない習慣。見慣れた仲間に励まされながら、それぞれに、自分の居場所を確保するのにやっきになって、毎日が忙しくて。余計なことなど考えるひまもなかった。 その後は、確立した立場を強化するために慎重になって。気づけばいっぱしのボスの顔をするのも習い性になっていて、どんな場所に出ても臆することなく、相応の態度で振舞うことができるようになっていた。 こういう時が危険だ。当初の情熱を維持できなくなって、日常の些事に追われて自由な時間などほとんど取れないにも拘らず、ちょっとした時間の空白を持て余す。そして、余計なことを、本来考えても仕方のないような、どうしようもないことを考える。己の立ち位置の不安定さと、その居場所の虚しさを感じてしまう。 最初は、このマフィア騒動に自分は巻き込まれただけなのだと思っていた。でも、本当は違っていて、僕が周りを巻き込んでいた。それでも、あの頃は楽しかった。他愛のないことで怒って笑って、馬鹿みたいに泣いたこともあるけれど、それすらも楽しかった。かつては対等な仲間だった彼らも、今ではもう部下という立場になってしまっていて、昔のように“獄寺君”とか“山本”とか“雲雀さん”とか呼んではいるけれど、それは友達としての呼称ではなくなってしまい、その呼び名さえも形骸化してきていて、周囲の状況も僕たちに甘ったれた友達ごっこを許すことは決してない。 だからといって、孤独、というわけではないんだと思う。僕が頼れば、彼らは自分を出し惜しみせず、僕を助けてくれるだろう。多分、ただのうぬぼれかもしれないけれど、属する組織のボスへの義務という以上に。僕は恵まれている。けれどもこんな天気がよくて平和な日には、一人この場所にいることが寂しくなるんだ。贅沢な悩みなのは分かっているけど。そんなことを考えながら、歌を口ずさむ。 思えば遠くへ来たもんだ 故郷離れて十年目 思えば遠くへ来たもんだ この先どこまでゆくのやら… 「お上手ですね」 突然、姿のない声が響いた。 僕は驚かない。来たか、と思っただけ。 「別に…」 「例の件についてのお返事を頂きにまいりました」 僕のそっけない答えにも、全く動じずその声は話を続けた。流石にあんな話を持ちかけてくるだけのことはある。他人の感情なんてお構い無しというわけかな。 「…決めたよ」 「畏まりました。契約成立、ということでよろしゅうございますか」 「いいよ」 淡々と事実を確かめる冷静な声が忌々しくて、僕は早くこんな話を打ち切りたかった。 「ボンゴレ十代目、沢田綱吉様。我らは貴方の願いを叶えましょう」 その代わり、と声は続ける。 「願いに見合う対価をいただきます」 「分かってる。期限は?」 「特には設けてはございませんが、…あの方のお身体を考えれば、早い方が望ましいでしょう」 「そうだね…」 囚われられている、誰よりも囚われ続けている彼を助けるために。僕にできうる限りの犠牲を払おう。それが幾つもの悲劇を生むことになったとしても。 たった一つの願いを叶えるために。 思えば遠くへ来たもんだ この先どこまでゆくのやら 本当に、僕たちはどこへゆくのだろう。 |