◆ et arma st verba vulnerant. ◆
〜 武器も言葉も人を傷つける 〜
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「ドクターは元気?」 十代目の執務室から出た俺は、その場にしゃがみ込みそうになった。 彼にとってはただの挨拶代わりで、あまり意味のない、問いかけだったのかもしれない。 それでも、十代目にシャマルのことを尋ねられるという状況が初めてだったこともあり、心の準備の何もできていなかった俺にはショックだった。 俺とシャマルのことは、別に内緒でもなんでもない。というよりも、秘密にしておくような関係自体がないのだ。 たまに会って、飲んで、そしてセックスして。 それだけの、シンプルな関係。 最期の部分に関しては、公言する必要もないので誰にも話したことはないけれど、長い付き合いの奴ら、跳ね馬とか山本などはおそらく気づいているだろう。勿論、十代目も。 でも、気づかれたからといってどうということはない。俺たちは恋人でも夫婦でもないのだから。お互いがその関係を割り切って考えているのだ。少なくともシャマルは割り切っている。 俺は、割り切らなくてはいけないと覚悟している、とした方がより正確かもしれない。自分でも、どうしてシャマルでないといけないのかと腹立たしく思う時もあるけれど、俺には彼しかいなかった。 多分、子供のときから…。 俺のことを初めてまともに扱ってくれた大人が、シャマルだったから。 重い、樫の木の扉の前で一息つくと、俺は自分の体勢を立て直した。 十代目の右腕、名実共に右腕となった俺には、やるべきこと、やらなければいけないことが沢山あるのだ。今も多くの案件を抱えている。昨今のマフィアは暴力が全てではない。もっと政治的経済的センスを要求されるビジネスだ。最後的には暴力に頼ることがあるとしても、直接的手段にはなり得ない。背後にある勢力は仄めかす程度でスマートにビジネスを進める。無駄な波風を立てずにすめばそれに越したことはない。 そして、今のところビジネスの問題、その解決方法に一番詳しいのが俺だった。 それにしても。 どうして、十代目は突然シャマルのことなんか尋ねてきたのだろう。 部下のプライベートに関してあまり詮索をしない、だからといって部下に気を配っていないわけでない、普段はおおらかなボスなのに。 少しだけ湧いた疑問もすぐに消す。 十代目がボスに就任して7年目を迎えようとしている今、まだまだ新ボンゴレは動き出したばかりだ。 やらなければいけないことは、目前に山積になっている。 俺は自分の関心を抱えている仕事へと移していった。 「よう」 自分の執務室へ戻ると、山本が待っていた。 「よう。珍しいじゃん」 懐かしい顔にふさわしい、砕けた口調で俺は挨拶する。少しだけ嬉しかったのかもしれない。 実際、山本と会うのも久しぶりだ。俺がボンゴレ本部につめていることが多い分、山本が外に出て様々な情報を拾ってくる。街の噂話から、どこかの国のVIPの話までと多岐に渡る。そして、人当たりのよさと、面倒見のよさ、そして自分を曲げない信念とで山本を慕っている人間も多く、組織の人心を集め、人を動かすことに長けていた。俺ではできない部分をかなりカバーしてもらっているのだ。 勿論、俺たち以外の他の守護者もそれぞれに役割を決め、割り振られたというよりも自然とそうなった色が強いので、それぞれの仕事をそれなりに楽しんでこなしていた。 「…どうしたんだ、獄寺。なんかしょっぱい顔してるぞ」 ソファから振り向いていた山本が心配そうに声をかけてくる。 相変わらず鋭い奴だ。こいつの、普段抜けているようでいて、一番大切なところを見ぬくことができる一流の鋭さが俺は昔から苦手だった。それは俺にはないものだから。 「いや…、何でもない」 俺は気を取りなおして、何か飲むか、と尋ねた。間髪入れず、ウィスキーという子供のような笑顔が返ってきた。 「水?氷?」 「氷」 まだ仕事中だろ、などという野暮なことを俺は言わない。山本がいくら飲んでも潰れないことは知っていたからだ。雲雀と飲み比べをさせたら、どちらが強いかは分からないし、そんなことは知りたくもないけれど。 カランと氷がこ気味いい音を立てる。俺自身は飲まないけれど、来客用に置いてある年代ものを注ぐ。濃い琥珀色が独特の芳香を立てている。 ついでに自分用に、ペリエをいれる。 「ほれ」 「お、さんきゅ。…獄寺は水か?」 嬉しそうに香りを楽しんでいる山本が俺のグラスを見る。 「そうだよ。俺はまだこれから仕事があるからな」 山本と向かい合うソファに腰かけ、ペリエを一口飲む。淡いレモンの香りのする泡が口の中で弾けて、消える。 「そうだよな、お前の仕事は頭使うからなぁ…すげぇよな、ホント」 こういう台詞を嫌味ではなくさらりと言えてしまうのが、山本のすごいところだと思う。 少しだけ落ちた沈黙に、俺は口を開いた。 「で、今日はどうしたんだ?」 あまり聞きたい質問ではないが、こいつがわざわざ俺の部屋に来るなんてろくでもない事の時だけだ。ひまだから飲みに行こうという誘いも含めて。しかし、今日はそんな軽い話ではないようだということは、なんとなく分かった。どこが、と具体的に言えないけれど、山本の態度からなんとなくタメライを感じたのだ。 「んー、あのさ」 山本はやはり言いにくそうに、ウィスキーを舐める。 「あのさ、嫌だったら答えなくてもいいんだけど…」 躊躇している山本の言葉に、「はっきり言えよ、気持ち悪い」と俺は苛つく。些細なことでもイライラしてしまう性格はなかなか治らない。 「ん…」 もう一口ウィスキーを飲むと、毅然と山本が俺に尋ねた。 「ドクター、どうしてる?」 なんだって? 俺は山本の顔を見返した。 どうして、こいつもシャマルのことをきいてくるんだ? 「いや、…知らない」 シャマルが何だっていうのだ?俺に聞くな、と怒鳴りつけたくなるのを押え、おれは声を絞り出した。 「知らないならいいんだ」 それっきり、山本は黙ったままで。 呆然と、きっと眉を寄せて怖い顔で考え込んでる俺を心配そうに見つめてから、一気にウィスキーをアオッタ。 「ごっそさん」 「あ…ああ」 ぽんと俺の肩を叩き、山本は「ドクターなら大丈夫だよ」と快活に言った。そんな気休めみたいな言葉は役に立たないと思っていたけれど、こいつの口から出るとなぜか少しだけ安心できた。 どこか遠くからきこえるかのように、ドアが開く音がした。 「そうだ、獄寺。最近ディーノさんに会った?」 「いや、会ってない。どうしてだ?」 「会ってないならいいんだ」 じゃ、またな。と山本は部屋から出ていった。 シャマルと跳ね馬の動向を山本が気にしている? 何故何故何故? 頭を回転させてみるものの、それは空回りに終わってしまう。 俺は弱い。 シャマルが関わった瞬間、ありえない位弱くなってしまう。 考えが上手くまとまらなかった。 十代目の言葉と、山本の言葉。 もう少し注意して聞いておけばよかった言葉たち。 そうすれば、あんな事にはならなかったかもしれない。 後悔はいつも遅れてやってくる…。 |