◆ errare humanum est. ◆
〜 過ちを犯すことは人間的なことである 〜
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獄寺と会うのは久しぶりだった。 あいつが、ツナ、公の場所ではちゃんとボスと呼んでいるが身内で集まる時にはツナもそう呼んで欲しそうだからツナと呼んでいて、そうそう、獄寺の話だった。獄寺はいつもツナの傍にいる。それが彼の使命だし、希望でもあったから。中学生だった時には、何を言ってるのか俺には正しく理解できていなかった獄寺の”右腕”宣言は着実に現実のものとなっているのだ。 彼にかかる負担は大きいけれど。 大体俺は獄寺ほど頭がよくないし、どちらかと言うと体を動かしている方が好きだから、自然と外に出ることが多くなった。一応イタリア語の勉強だけはしたけれど、それも習うより慣れろ、という感じでパン屋のおばちゃんとかカフェの店員とかと話ながら上達した実用的なものだし。だから俺の言葉が下町っぽいのは仕方がない。その下町っぽい言葉遣いも俺を公の場所、会議とか商談とかから離す理由となっているのかもしれない。 他の指輪を持つメンバーにしても、ランボは元々あんなだし、亮平さんは俺以上の体力至上主義だし、雲雀さんはあの性格で、骸に至っては論外だから獄寺は何人分もの働きをしていると思う。 こんなことじゃ、いつかは疲れきってしまうのではないかと危惧するものの、マジな顔して言ったところで笑われるか怒鳴られるかするだけだろうし…。 それにしても、今日の反応は意外だった。 意外な程、うろたえていた。 ドクターと獄寺の関係は、知っていた。そして、二人の関係の微妙さ、一言で表すのは簡単なのにその一言を言ったら終わりというような複雑さも。だから、ドクターのことを尋ねれば、少しは動揺するだろうと思っていた。 でも、あんなに動揺するなんて。 他のヤツは気づかないかもしれないけれど、さっきの獄寺は自分を繕うのに一生懸命だった。 嘘をついている、という感じではく、純粋に不意打ちでドクターの話を振られて驚いた、という風だった。 獄寺もドクターの関係を誰にも知られていないとは思っていないだろうけど、面と向かってドクターのことを尋ねられたのは初めてだったに違いない。少なくとも、イタリアに来てからは初めてだったと思う。 だから、獄寺は本当にドクターのことは知らないんだろう。よかったと思うべきか、恋人のような存在の動向も知らないなんて気の毒だと思うべきなのかその当たりは難しいところだ。 そこいくと、もしかしたらディーノさんと雲雀さんの方がお互いの動向を知っているかもしれない。いや、というより雲雀さんはディーノさんの動向なんて構っていないし、ディーノさんも相手を尊重するということを知っている。それでなくては、あの二人がもう10年以上一緒にいるなんて不可能だろう。 ということは雲雀さんに尋いても、ディーノさんのことなんて知らないかもしれないし、知ってても俺に教える義理はないと思うかもしれないかあら、収穫は望み薄かもしれないな。 俺も他人の恋愛関係まで詳しくなったと思う。別段それがいい事のように感じないのは、彼らの関係性に問題がある気がするからかもしれないけれど、それころいらぬお節介だよな。 その前に、雲雀さんを探さなきゃいけないんだけど…どこに行けば会えるんだろうか。 自宅か、それとも仕事に出ているか? こんなナイーブな時期に仕事に出ているわけはないと思うから、自宅にいる可能性が高いだろう。ずっとよそに泊まってる、ということさえなければ。 俺は行く先を決め、財布に挟んである紙切れを取り出した。 そこには、消えそうにかすれた手書きの文字で雲雀さんの住所が記されていた。 俺はボローニャへと向った。 「…野球小僧……?」 「野球小僧はないでしょ、雲雀さん」 もう小僧じゃないし、と俺は苦笑する。 ドアの隙間から差し出される鋭い眼光は相変わらずで、憮然とした感情を圧し殺したような低い声も相変わらずで、この人の内面はともかく態度とか外見は出会った頃とほとんど変わってないと思うと俺はいつも懐かしいような気持ちになって泣きたくなってしまう。 「……珍しいじゃない、何の用?」 単刀直入な紋切り型の余分な言葉を省いたいい方も相変わらずだ。 「うーん」 俺が口をへの字に曲げて、両手のひらを上にして肩を上げる仕草をすると、こうするとちょっと外国映画みたいで気に入ってたりする、雲雀さんはため息をついた。 「…分かった。上がりなよ」 ドアの向こうからチェーンをいじる音が聞こえてくる。 部屋に上げるってことは、誰もいないってことか…ディーノさんがここにいてくれたら楽だったのに、という落胆と、他人の情事をまじまじと見せつけられなかった安堵とがないまぜになる。 そんな気持ちを振り払うように、俺は頭を一振りして雲雀さんの部屋へと上がる。 「あ、一応靴脱いで」 玄関のマットレスで俺は革靴を脱ぐ。運動靴ばかり履いていた俺が、今では黒光りする革靴を履いている。時々、スニーカーが恋しくなる。 「コーヒーでいい?」 「あ…はい」 何だか感傷的な気分になってしまうのは、きっと立て続けに懐かしい顔を見たせいだ。 「適当に座ってて」 キッチンから聞こえる雲雀さんの声に、俺はダイニングチェアーに腰かける。 机の上には、英語やらイタリア語やらフランス語やらの、残念ながら他の言葉は分からない、コピーが散乱していて、その中に何枚か手書きのメモが混じっている。そして、ラップトップパソコン。 「はい」 コトリと音を立て、自然のうちにいい艶とだすようになったであろう黒壇のテーブルにマグカップが置かれる。絵柄はマジョリカ焼の黄色が鮮やかな、らしくないカップだった。 この家に、いや雲雀さんの周りにこんな日常的なものが溢れているのがひどく新鮮でその私生活の一旦を見てしまった俺はこそばゆさを感じた。そういえば、雲雀さんの生活は本当に昔から謎だったから、と今更のように感じる。 「用事があるんじゃなかったの」 黙り込んでコーヒーをすする俺に、雲雀さんはあきれたよう言い椅子に座る。 真正面とは少しだけずれている、絶妙の位置。 「えーと…」 俺は少し口篭る。獄寺を相手にした時のように、するりと言葉が出てこない。 「はっきり言ってよ。僕もこれ仕上げなきゃいけないし」 雲雀さんが机の上に出ているラップトップを顎で指し示した。 「課題ですか?」 「そう。発表用のレジュメ」 何故だか彼はイタリアに来て大学生を続けている。ボンゴレ本部のあるローマとボローニャとの二重生活というのは大変だと思うけど、彼は何事もなにようにこなしていて。 学校に行く、というのが雲雀さんのイタリア移住の条件だったらしい。 条件とはいえ、別にファミリーが何かしたというわけではない。大体獄寺程ではないにしろ雲雀さんも充分賢いのだ。自力で入学試験にパスしたし。要するに、学校に行きたいというのは、学校にいけるだけの色々な意味での余裕、時間的にも精神的にも自由でいたいということの現れなのではないかな、とか思ったりもする。 勿論、雲雀さんもファミリーの仕事を、誰もはっきりとは言わないけれど多分かなりダーティーな部分をこなしているのではないかと思う。 「大変ですね…」 どうしてだろう、雲雀さん相手だとなかなか話が切り出せない。おそらく、普段覗くことのない私生活を垣間見てしまった後ろめたさのようなものもあるのかもしれない。 「あのさ、くだらないおしゃべりに付き合ってる時間はあまりないんだよね」 全く仕方がない、とため息をついて雲雀さんが俺を見据える。 日本人にしても黒々とした目がキツク睨みつけ。 「あのバカのことでしょ」 「…あのバカ?」 飲み込みの悪い俺の反応に、もう一度ため息をついて。 「だから、キャバローネの馬鹿ボスのことでしょ?」 「え…どうして」 「どうしてって…君も大概馬鹿の一員だね。君がわざわざローマから訪ねてくる理由なんて限られるでしょ。君だって忙しいのに、部下を遣すわけでもなく直接来たって事はかなり重要度の高い話か、大物の話かどっちかしかないでしょ。あのバカも一応大物だからね。だから彼に関する用件である可能性が高いと思ったわけ」 無表情に淡々と述べた言葉の、あのバカ、とそこだけイタリア語で言う雲雀さんの口調はどこか唄うようで、二人の親密さを表しているようだった。 何故か俺の心がざわめいた。 「あ、ええ」 俺は冷めはじめたコーヒーを飲む。 「ディーノさん、最近変わったトコとかありませんか?」 「…変わったトコ?初めて会ったときから変態の変わり者だったけど……」 雲雀さんは眉を寄せる。 「君は何が知りたいの?」 眉を寄せたまま俺を斜めから見る。 「……分かりません。でも、何かがおかしいんです」 「何が?」 「街の噂で、キャバローネの動きとか、あと……」 言っても良いのか、俺は考える。まだ俺の憶測でしかないし、根拠のない憶測なんて意味がないと思う。それに、獄寺にとってドクターが大切なように、雲雀さんにとってもディーノさんは大切な人だ。 「はっきりしないよね。珍しく」 黙って俺の言葉を待つ。 「あとは、ドクターシャマルも関わってるようなんです」 「どういう風に?」 「はっきとは分からないんです。でもここ最近、街が騒がしくて」 もう一つ、大切なことを俺は言ってない。 ドクターの動向とかディーノさんの動向とかそんなものよりも、はるかに不確定なあやふやな因子。 「それだけの理由で君がわざわざ足を運んだわけ?」 何を隠しているのかと、言外に雲雀さんは問い詰めてくる。 俺は共犯を作りたかったのかもしれない。 獄寺では駄目だった。彼はとても不安定で、特にドクターのことになると怖いくらい脆くなる。 雲雀さんならよかったのだろうか? 「骸に関係あるみたいなんです」 指輪の守護者でありながら、永遠に囚われている罪人。 そして。 ツナの想い人。 「……………そういうこと」 長い沈黙の後、雲雀さんはぽつりと言った。 どうして雲雀さんなら大丈夫だと思ったのだろう。 勝手なイメージを練りあげて、理想の人物を描いてみて。彼も一つの生身だということを忘れた振りをして。 無意識の確信を持って、勝手に共犯にした。 それが彼にとってどれだけ負担になるのか、本当の意味で理解しないまま。 こうして俺たちは共犯者になった。 後悔してももう遅い。 |