◆ misce stultitiam consiliis brevem. ◆
〜 僅かの愚かさに思慮を混ぜよ 〜
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目の前で忌々しげに俺を睨みつけている小柄な東洋人。 これが可愛い女の子なら願ったりなのだが、と心の中で溜息をついた。 「どういうことなの?」 とがり気味の顎を少し上げ、ベッドに座っている俺を冷え冷えとした視線で見降ろす。 大概のヤツならびびっちまって、何でも素直に、あることないこと、これもまた問題だが、話し出すだろう。剣呑な雰囲気だ。 確かに、雲雀には子供の頃から周囲を圧倒する雰囲気があった。 大人になってからは、とはいえまだまだ若造だが、凶暴さを顕す効果的な方法を覚えたようで、…全くもってたちが悪い。 「さぁ」 俺はへらりと笑って、肩を竦めた。 「山本の話からすると、俺と跳ね馬は人気者ってことじゃねぇのか」 「…ふざけてるの」 ふざけてなどいない、茶化しているだけだ、と言ったら言ったで、この凶悪な獣は静かに怒りを爆発させるのだろう。 さて、どうしたものか。 俺は雲雀の顔を見据えた。 女の子なら、肩でも抱いて甘い言葉を囁けば、まぁ、その後にも色々とするけど、それで終わりだ。 だが、こいつが相手では、色々と厄介なことが多すぎる。 しかし、雲雀は凶悪な獣であるが、同時に稀なる知性と判断力を持っている獣でもある。 無意識にか故意にか分らないが、その知性を彼は無視し、本能だけで生きているように振舞っているが。 雲雀は一体、どう出るか。 「喉が渇いた。熱いエスプレッソを淹れてくれ」 にやりと笑った俺の顔を見下ろす視線は和らぐことはなかったが、赤い唇から零れた溜息が、雲雀の心情を物語っているようだった。 先刻まで、山本が座っていたであろう椅子に腰かける。 小さなエスプレッソ用のカップからは湯気が立ち上り、芳香が鼻を擽る。 マシーンを使いこなす雲雀は、手慣れたもので、このじゃじゃ馬をよく仕込んだものだ、と妙なところで感心した。誰に仕込まれたのか、言わないのが礼儀ってものだ。 「何、笑ってるの」 それでも顔に出ていたらしい。 何食わぬ顔をして、カップへ手を伸ばす。 「別に。…大学はどうだ?」 机の隅に積み重なっている紙切れを横目でちらりと見る。 「ドクターには関係――」 低い威嚇が途中で消える。 雲雀は俺を睨むように、唇を吊り上げて、笑った。 「そういえば」 双眸は俺を見据えたまま。 この視線に、跳ね馬はヤラレタのだろうか。俺の好奇心が蠢いた。 「大学で聞いたことがあるんだけど」 そんなことを考える俺の耳から、雲雀の声が這入ってくる。 「医学部にある、名誉の間」 麻薬のように頭の芯を痺れさすようなゆっくりとした声。 だが、生憎俺は薬には耐性があるんだ。どんな薬にも。 「そこに架けられている家の紋章が、ある年の所だけ空いてるんだって」 あそこは今、一般生徒は立ち入り禁止になってるから本当かどうかは分らないけど、と続けた。 「…で?」 こんな子供と勝負する気もない。逃げるか。それを恥じだと思うようなプライドってのは生まれてからこの方持ったこともないしな。 「それだけだよ」 雲雀も勝負を投げたようだ。 だが、投げられたサイコロはころころと俺達の間を転がっている。 「付け加えるなら、その年の首席は成金の養子で生粋のイタリア人じゃなかったって話もある」 「ふぅん」 「名もない家の人間が、しかも彼らの神を裏切った者が名誉の間の住人になることを許せなかった馬鹿たちが、その生徒を襲って殺したらしい」 で、その年は空位になったって。 俺を見て、また笑う。邪悪とも無邪気ともとれるような笑み。 「一つ」 勝負はしたくないが、駆け引きは嫌いではない。 そして、これは、取引だ。雲雀の好奇心を満たすことで、俺は何かを得ることになる。そんな予感がした。 「訂正しといてやるよ」 朗らかに、装う。 「その生徒ってのは、殺されても死ななかったのさ。残念なことに奴らの使った毒に耐性があってな。だが、その時の影響で体を壊して大学には行かれなくなったそうだ。――俺も、聞いた話、だけどな」 エスプレッソで口を湿らす。 さて、どうするのか。 忘れていた少々の苦痛を伴う思い出と引換えに、何をするのだろう。 「……そう」 低く呟き、僕の興味は、と続けた。 「ドクターとあのバカがやっていることが、僕の秩序を乱すかどうか、ということだけだよ」 目を眇める。その視線は人位簡単に射殺せそうだ。 つまり、俺たちの行動が“雲雀の秩序”とやらを乱さなければ、無関係でいてやるってことなのか。 最も、“雲雀の秩序”の基準は分からなんし、ボンゴレに属している以上、いつまでも雲雀が無関係を通せるかも保障されているわけではないが。外圧の問題もあるしな。 当面の問題はクリアできたはずだ。 俺たちは準備を終えるまでの時間が稼げればとりあえずはいいのだから。 「助かる」 何が助かったのか良く分からないが、この少年の潔さに礼を言う。 俺の教え子にはない潔さだ。 きっとあいつは今頃…。 ブルルルル。 懐に入れておいた携帯が震えた。 絶妙なタイミング、というやつなのだろうか。 「プロント」 俺が話し始めると、雲雀は興味が失せたとでもいうようにあからさまに視線をずらし、コーヒーを飲んだ。 その姿を横目で捉えながら、相手の言葉に頷く。俺は不要な言葉は発せず、一方的に用件を聞いた。 「――分かった」 全てを聞き終え、パチリと携帯を仕舞う。 今の世の中、便利になったものだ。 年寄りみたいな感慨を抱き、雲雀に向き合う。 「世話になったな」 山本が出て行ってからかなり時間も経っている。鉢合わせすることはないだろう。 さて、と俺は椅子から立ち上がった。 「じゃぁな」 軽く手を上げた俺に向かい、雲雀が微笑んだ。 「あのバカによろしく伝えておいてね」 ったく。 一々、小憎らしいやつだ。 まったくやっかいな相手に惚れたものだな、と電話の相手に悪態をつく。 「ついでにもう一つ。そいつは何の神も信じちゃいなかったのさ。だから、どこに行っても裏切り者だ」 俺の背中を、「ふぅん」という興味を失くしたような雲雀の声が追ってくる。 急に隼人に会いたくなった。 もう、ずっと、会っていない…。 |