ぶらいんど・げーむ


(一部抜粋)

キャンプ途中のオフ。集中することも大切だが、集中しすぎて過剰な運動をするのもよくない、ということで、二日間の体休めの休暇が選手たちに与えられた。
ホテルでの生活は炊事洗濯ベッドメイキング付きなので、何上自由することはないのだが、久しぶりに狭いながらも楽しい(?)我が家に帰った椿は、ほっと息を吐いた。
集団生活には高校生の時から慣れている。慣れてはいるが、田舎で育った身としては、がやがやとした人の多さからくる喧噪よりも、それはそれで楽しいけれど、一人で落ち着ける静かな空気の方を好むのは仕方のないことであった。都会にいながらも、喧騒とは隔絶された静かさと一緒に生活しているジーノの部屋のような例外はある所にはあるのだが。
――王子はどうしているかな?
荷物を置いて、部屋の真ん中に座ってほっとした後、まず考えることがこれである。椿の中でジーノという存在の占める割合の大きさも知れようというものだ。
――家に帰るって言ってたっけ。
キャンプ中は、オフ日も含めてホテルの部屋は確保している。だから、そのままホテルに残ってもいいとの通達があった。とはいえ、都内のチームが都内でキャンプをしているのだ。皆、家は近場にある。世良などは、面倒くさいからこのままホテルに居るといい、自主トレをするためやはりホテルに残るらしい堺に嫌そうな顔をされていたが、チームの半数程は一旦、自宅に帰っていった。
勿論、ジーノも……。
椿は、もう一度息を吐くと、立ち上がった。
荷物という程の荷物もないので、少しだけ手持無沙汰だ。冷蔵庫を開けてみる。キャンプに行く前に、痛みそうなものは処分していったので、冷蔵庫の中はほぼ空に近い状態だった。
とりあえず、食糧でも買いに行こうかな、と上着を羽織りジーンズのポケットに財布を突っ込んだ。
忘れてた、と、携帯電話も一応持って置く。
今まで持ち歩く習慣があまりなかったので、癖になっていないのだ。以前の椿の携帯の着信履歴は、実家の電話番号だけで埋まっていた。今は、それにジーノの携帯番号がプラスされている。
もしかしたら、という淡い期待とともに、財布を入れたポケットとは反対のポケットに携帯電話を入れる。
洋朊のポケットにものを入れ過ぎるのは、朊の美しいラインを崩してしまい、冒瀆することに等しい、というジーノの言葉がふと脳裡を掠めたが、カバンを持っていくのも面倒くさいし、スーツならともかく椿の着るようなジーンズとジーノのフォーマルに近い普段着とは違うからと思いながらも少しだけ後ろめたい気分で、両方のポケットを膨らましたまま、椿は部屋の鍵を手にした。
ドアを閉めて外に出る。
平日の昼下がりは、とても平和な空気が流れていて、昨日の今頃は、グラウンドで練習してたんだなぁ、とどこか遠くの出来事のような気分で商店街へと歩き出した。
あまり料理をするのは得意ではないが、それでも外食ばかりではいけない、と思い、椿は、一応なんとか自炊をしている。
この家に住むようになってから、商店街に何件か馴染みのような店ができるようになった。店の人に親しげに話しかけられても、どうやって返事をすればいいのか未だに分らず、はにかんだような笑いと少ない言葉を返すだけで精一杯であった。それならば、商店街で買い物をするのをやめて、スーパーに行けばいいのではないかとおもうのだが、夜遅い時間はともかく、商店街が空いている時間には、なんとなくこっちに足が向いてしまって、椿は自分でもちょっと上思議だな、と思うのだった。
今日は何を作ろうか、と貧しいレパートリーの中から一生懸命考えながら歩いていると、ポケットの中で携帯が振動した。慌てて、立ち止まりジーンズのポケットから携帯を取り出す。
表のウィンドウに、着信の文字。
通話ボタンを押し、「も、もしもし《と少しだけ小さな声で言った。
「バッキー?《
微かな笑いを含んだ声が椿の耳元を擽った。
「は、はい《
「今、外なの?《
「は、はい《
「ふーん《
少しだけ何かを考えてるような間が生じた。その間に、椿の心臓はドキドキと早鐘のようになってしまい、取り返しのつかない失敗をしてしまったのではないか、という思いで慌ててしまった。
「そ、外ですけど、大丈夫です。えっと、食糧の買い出しを。お、王子は何してるんですか?《
「ボク?《
どこまでも優雅な声がもう一度響き、椿はすかさず安心した。もしかしたら、という淡い期待が現実になったのだ。もっと声を聞いていたかった。
「ボクもね、買い物《
「買い物……ですか?《
「そう。今、クイーンズイセタンに来てるの《
ジーノの気に入っているというデパートのような高級スーパーの吊前を口にする。椿も一度だけ連れて行ってもらったことがあったのだが、品揃えの豊富さと、値段の高さに驚いて、時折何に使うのか分らない調味料やらを棚から取り出して眺めていただけった。
「バッキーはもう買い物しちゃった?《
微かに甘さを含んだ声に、椿の心臓が跳ねあがる。
「い、いえ。まだです《
「それはよかった。それじゃぁ、夜はうちに来てディナーね。そうだなぁ、7時くらいに来てよ《
「は、はい。伺います《
それじゃぁ、待ってるね。と言って電話は一方的に切れた。
携帯電話をパチンと閉めて、はぁ、と息を吐いた。
ジーノからの電話は、とても嬉しいのだけど、とても心臓に悪い。
たかだか、夕食の約束をするだけの電話なのに、椿の心臓はずっとどきどきしっぱなしで、百メートル全力疾走十本のほうがまだましだという程であった。
そんな風になってしまう自分も情けなくなってしまうのだが、椿は落ち込む寸前でなんとかとどまり、王子の家に行くのなら、何か持っていかないと、と考え始めたのだった。












ブラウザバックでお戻り下さい。