◆another story 〜われみるはきみもみるつき〜◆ (一部抜粋) 奇麗な、月。 東京の夜は明るくて、空に輝いているはずの星もよく見えず、月すらも薄らとしている。田舎に居た頃のような奇麗な夜空は、上京してからというもの見ていない。無論、それが嫌なのではなく、サッカーのプロ選手になれた事は椿の人生においても僥倖であることは間違いない、ただ、時折、寂しく思ってしまうのだ。 それが今日はどうだろう。 月が、奇麗に輝いている。 夜中にコンビニ行こうと思い立って、ふらりと外に出てみただけなのに、こんなに奇麗な月が見れてとてもラッキーな感じがして、椿は嬉しくなった。 足取りも軽くなる。 そういえば、……。 今日の練習で、誰かが話していたのを思い出した。今日の月は特別だと。 あまり興味がなかったから椿は何がどう『特別』なのか聞き逃してしまったのだが、実際に今日の月を見ていると『特別』ということが実感できる。 「奇麗だなぁ……」 人影のない夜道で、立ち止まる。 道に突っ立ってぼぅっと空を眺めている青年は、とても奇異にみえることだろう。人が誰も通らなかったのは幸いである。 「ホント、『特別』ってかんじだ」 普段は無口な椿であったが、それはイコール何も考えていないというわけではない。 心の中では色々と思っているのだ。だが、気持ちや考えの整理がつかず、また、圧倒的に不足している伝達能力と極度の上がり症のために、自然と言葉が少なくなってしまう。一人でいる時は、誰にも聞かれていない安心感からか、思っていることを時折口に出してしまうのだった。 ほぅと月を眺め、椿は再び歩き出す。 道を行く椿を月が照らしている。 コンビニまであと少し、という所で、再び椿は立ち止った。 急に、会いたくなってしまったのだ。 彼の、『特別』な人に。 ――どうしよう……。 会いたくなってはみたものの、アポもなしに会うことはルール違反な気がする。 だけど、会いたい。 無性に、今、すぐに、会いたい。 携帯電話は家に置いてきてしまった。近所のコンビニに行くだけだから、と財布しか持ってこなかった。連絡をする術は、今はない。 一度家に帰って、それから、とも思ったが、気は逸るばかりで、走り出してしまいたい位なのだ。 椿は空を見る。 大きな丸い月が、奇麗に輝いている。 「よし」 椿は決めた。 行ってみて、居なかったら仕方がない。夜の散歩を舌と思うことにしよう。もし、彼が家に居て、急な椿の来訪に困惑したならば、ただ、一目会いたかったと、それだけ告げて帰ってくればいいのだ。 コンビニを素通りして、椿はそのまま駅まで一気に走り抜けた。 ――来てしまった。 高級マンションのエントランスというのは、緊張する。明らかに場違いな自分の姿に自分で慌ててしまう。 椿は、緊張しながらも、教えられた通りにインターフォンを鳴らす。 出て欲しい。 だけど、出ないでも欲しかった。 ここまで来てしまって今更であるが、自分の取った衝動的な行動に、椿は怖気づいていた。 数回コール音が響く。 「――はい」 機械の向こうから、声が聞こえた。 居て、くれた。 透明度の高い美しい声が聞けただけで、椿は嬉しくなる。 「もしもし」 返事をしない相手に訝しげな声を投げかけてくる。 慌てて、椿は返事を返す。 「あ、あの。王子」 「……え? バッキー」 滅多に聞かない、驚いたような声。 そんな声を聞けただけでも、来た甲斐があったと思ってしまう。 「はい」 「……驚いた」 「急に、すみません」 来訪の理由を言おうか考えている間に、「ドア開けるから、部屋まで来て」という声がして、閉ざされていた扉が自動的に開いた。 「あ、はい」 返事をして、椿は建物の内部へと足を踏み入れる。 ホテルのエントランスのような設えの内部を足早に行き、エレベーターに乗る。音もなく動くエレベーターは上昇の付加を乗り手に与えず、50階という高層階まで一気に昇る。 何度か連れられて来るうちに覚えたみたいで、椿はジーノの部屋の前へと辿りついた。 ――大丈夫。 下での会話から、驚きはしたものの、ジーノも椿を歓迎してくれているようだった。 椿は深呼吸をすると、ドアのベルを鳴らす。 少し待つと、ドアが開いた。 「いらっしゃ」 「急に、すみません」 薄らと笑うジーノに、緊張の面持ちで告げると「気にしないで」と椿を部屋に導いた。 部屋に入ると、美味しそうな匂いがした。 「すみません、食事時に」 「バッキーはもう食事しちゃった?」 「……まだ、です」 「そう。丁度よかった。よかったら、一緒に食べないかい」 「ありがとうございます」 楽しげな表情で、ジーノはキッチンで料理を再開する。 座っててという指示を受け、広く奇麗なテーブルに着くと、椿はジーノの様子を見ていた。 手早く無駄のない動作で、あくまでの優雅に料理をしている。 ――来て、よかった。 椿は心から、そう思った。普段の練習では見ることのできない色々なジーノを知れるのが、単純に嬉しいのだ。 「軽くすませようと思ってたから、ちゃんとしたものは用意できないけど」 そういいわけをしながら並べられた料理は、ちゃんとしてないどころか、お洒落なお店のようで、「すごい」と椿は純粋に感心したのだった。一人の時でも、こんな風に料理を作れるジーノを改めて尊敬した。 「よかった。さぁ、召し上がれ」 ジーノが席に着くのを行儀よく待ち、椿は「頂きます」と料理に手を伸ばす。嬉しそうに食事をする椿を眺めながら、ジーノも楽しそうに食事をする。 美味しいですね、等の他愛ない会話が続き、テーブルの上のものがあらかたなくなった頃、気分がいいから新しいワインを開けよう、とジーノがグラスに注いだ。 「ところで、今日は急にどうしたの?」 「え?」 琥珀色のワインを眺めながら、椿はジーノの方を向く。楽しそうな顔をしたジーノがグラスを少し揺すりながら、椿を眺めていた。 「あ、その……」 改めて訊かれると、急に恥ずかしくなってしまう。 「ん?」 ジーノが目で答えを促す。 「月が……奇麗、だったから」 ――王子に会いたくて。 ------以下続く |