+10 plus dieci(一部抜粋)




「……ノ」
囁く声とともにキスをされる。
半分眠っていたジーノは、薄ぼんやりとした意識の中で、唇を開き男を受け入れた。
男はするりとジーノの口腔へと舌を入れ、ゆっくりと撫でるようなキス。
いつもよりも穏やかで、それでいて半分眠っていたジーノの治まりかけた熱の燻りを呼び覚ますようなキスだった。
「バッキー……」
ジーノはキスをしてくる男の名を呼び、もっと欲しいというようにその体へと腕を回す。
それでも男はジーノをいなすようにやさしく触れるようなキスだけをして、唇を離した。
もう寝てしまいなさい、と子供を寝かしつけるような仕草でジーノの額にキスを落とすと彼の名前を呼んだ。
「ジーノ」
半覚醒の意識にその声は心地よく響く。
だが、音楽として認識していた声を言葉として脳が認識した瞬間、ジーノは猛烈な違和感に襲われ閉じていた目を開いて抱き寄せた男を見つめた。
「……バッキー……?」
「ん? どうしたんだい?」
返ってきた言葉に更なる違和感を感じる。
近づきすぎて視点が合わず、薄暗い部屋も相まって曖昧にしか椿の顔が分からない。椿の体に手を回したままで、ジーノは少し距離を取る。
「……ねぇ、本当に……バッキー?」
よくよく見ると、椿なのに椿ではないような、そんな気がする。
いつもの椿からは感じられない、不思議な自信のようなものが男から溢れていた。そして、普段ならば一生懸命になって慌てふためいているはずなのに、この男は余裕な風情でジーノをいなしている。
それに、椿の外見はしているのだが、僅かに、若々しさがないような、落ち着いた雰囲気に騙されているのだろうか、そんな気がするのだ。
「そうですよ」
平然と答える男に回した手から伝わってくる感触は椿のもののような気がするが、筋肉の付き方が逞しくなっているような感触がする。
そう、まるで、もっと年を重ねた男のような、そんな感じがするのだ。
「……バッキーって、お兄さんとかいたっけ?」
「いませんけど。……どうしたんですか、ジーノ」
怪訝そうな声で問い返してくる男の返答に、違和感を覚える。
やはり、おかしい。
椿は自分のことを『ジーノ』などと呼ばない。
ジーノは男から体を離し、ベッドから降り灯りを付けた。
睨むようにしてベッドに横たわっている男を見る。
「ん?」
男の方も不思議そうな顔でジーノを見ていた。
いつもの椿ならば、何も着ていないジーノの姿に慌てふためき顔を真っ赤にしているだろう。だが、男はそんなことには無頓着で、不思議そうな顔をしながらベッドから降りる。
手にシーツを持ちジーノに近づくと、それをジーノの体へと掛けた。
「風邪、ひきますよ」
困ったように笑い、男はジーノの顔を見る。
――あっ。
その瞳の真直ぐさが、同じだった。
椿と。
しかし、椿ならばこんなにスマートな行動には出れないはずだ。もっと、おろおろして狼狽して、そこが可愛らしいのだが、ジーノはいつも仕方がないと溜息をつくことになるのだ。
それなのに、目の前にいる椿に似ている男は、さらりとジーノの体を気遣いシーツを掛けた。
そして、椿と同じ目で、ジーノを見ている。
ジーノは珍しく混乱していた。
「……ジーノ?」
声を掛けられて、眉を寄せ困惑の表情のまま男へと視線を移した。
「本当に、バッキー……なの?」
「そうです。ただ……」
「ただ……?」
言葉を濁した男を、どこか縋りつくような視線で見る。
「ジーノも俺の知ってるジーノより、……若い気がして」
「若い……?」
男が真っ直ぐにジーノを見て、重々しく頷いた。
視線が交錯し、不意にジーノは『彼は椿だ』と確信した。
「バッキー、……今、何歳?」
「……30です」
『椿』の答えに、ジーノは一瞬気が遠くなり、思わずよろめいた。
そのジーノの体を椿がとっさに支えた。
「大丈夫……?」
「ああ、うん」
ジーノは椿の顔を下から見上げる。
少し、背も伸びているようだった。
彼の腕の中で深呼吸をすると、強張った表情で椿を見て言った。
「……バッキー、ボクは今26歳なんだよね」



-----(中略)



椿が目を覚ますと、ベッドにジーノの姿はすでになかった。
しまったと、慌てて転がり落ちるようにベッドから飛び降りる。
部屋に散乱している服を拾うと、そしてこの瞬間にいつも夜の生々しさに触れる感じがして椿は気恥ずかしくなるのだ、急いで部屋を出る。
広いリビングに行くと、椅子に腰かけ本を読んでいるジーノの姿が目に入った。
「おはよう」
麗しく優雅な声が椿の耳に届く。
「お、おはようございまっす」
最敬礼のように体を曲げ元気よく挨拶をした椿へと、視線を向けたジーノは、おや?という風に僅かに表情を動かした。
「お、王子?」
「あ、うん」
怪訝そうな顔のまま、ジーノは椿へと返事をする。
「シャワーお借りします」
妙に礼儀正しく言うと、椿はそそくさとバスルームへと向かった。
そんな椿の姿を妙な顔で見送ると、ジーノは軽く首を傾げ、本をテーブルへ置く。
掛けている眼鏡を外すと、無造作に本の隣に置くと、何かを考えるように指を組んだ。



バスルームは確かに椿の知っているものであった。だが、どこかに妙な違和感を感じる。
使い慣れているはずなのに、椿の知らない物があるのだ。いつの間にかリフォームをしたというような、違和感がある。だが、そこにあるものは新品ではなく、それ相応に使われているようで、結局椿は違和感の正体に気付かぬまま、シャワーを浴び、体を洗った。
――王子、怒ってるのかな?
一番に考える。
熱い湯を浴びているうちに、意識がクリアになってきて、椿は、そうではない、という事に思い至った。
ジーノは別段、怒っていない。
大体、椿がおどおどしている程、ジーノは怒り易いわけではない。むしろ、気まぐれである分、不思議な話だが、気分にムラがあるタイプではないのだ。
ジーノの気分に敏感になってしまうのは、椿の自信のなさの裏返しともいえる。
椿は自分の行動を反芻し、結果として何もジーノを怒らせるようなことはないと結論付けた。
それに、今朝のジーノは、怒っているというよりは、むしろ、僅かに戸惑っている、ように感じた。
――眼鏡なんてしてたし……。あれ?王子って、目が悪かったっけ?
疑問を感じながらも、深く追求するせずシャワーを止めた。
心地よい温度のシャワーを浴びてすっきりとし、椿は手で顔の水を切る。
髪の水も大雑把に落とし、水を滴らせながらバスルームを出る。
「へ? あ、お、王子」
「はい、タオル」
驚く椿には構わず、バスルームの前に立っていたジーノは、用意してあったタオルを椿へと差し出した。
「あ、ありがとうございます」
椿は戸惑いながらもタオルを受け取り、頭へと掛ける。
今更恥ずかしがるものでもないとは思いつつも、何でもないのに裸体を見られていることが居たたまれなく、椿はジーノと目を合わせずに斜め下を向いていた。
ジーノは椿の様子を、観察するように眺めている。
別段からかってやろうなどと思っているわけではなく、植物学者が植物を観察するように見ていた。
「……あの、お、王子」
至近距離にいるジーノに戸惑いながら、椿はこのまま体を拭いていいものか迷っている。
「ん? 早く拭かないと冷えちゃうよ」
戸惑う椿にジーノが言った。椿は気恥ずかしさを感じながら、ジーノの前で着替えを始める。


(以下続く)









+戻る+