完全なる信義の季節(一部抜粋)




後藤恒生は自分を特別な人間だと思ったことはなかった。
しかし、運の良い人間だとは思っていた。
そして、その運はただ転がってきたわけではない。運を自分の目の前まで転がすような努力は惜しまなかった。そう、自負していた。
後藤は、今自分がイースト・トーキョー・ユナイテッド、通称ETUでプレイしていることについて、不満はなかった。だが、満足もしていなかった。
彼のチームはここ数年、成績がかんばしいとは言い難い状況であるのだ。
このままでは、駄目だ。
後藤はそう思い努力を積み重ねてきた。だが、所詮は凡人一人の人間の努力である。その努力の成果は後藤自身にしか跳ねかえって来ず、チーム全体へ影響を及ぼすことはなかった。
後藤は、知っていたのだ。
自分の力でチームを強くする、そんなスター性を自身が持ち合わせていないこと。
彼は切望していた。
チームを率いてくれる、スターの存在を。
スターの輝きを反射してこそ光るであろう自分の居場所を。
そんな後藤の前に、達海猛が現れた。
鳴り物入りでチームに入った彼は、入団前の「弱いチームほど面白いだろ」という発言によって、後藤と他数名以外のチームメイトから嫌われていた。
そして、入団当日の自己紹介によって、チームメイトの態度はひどく冷淡なものへと変わっていったのだった。
後藤も最初は同様だった。達海猛の弛緩した表情や機敏さとは無縁な歩き方は決してスポーツを愛する者、サッカーという闘いに身を投じその頂点に君臨すべく戦う者のあるべき姿とは決して思われなかったのだ。
しかし、達海の自己紹介における最後の言葉。
ほとんどのチームメイトには冷笑されただけの言葉。
「ETUは俺が強くする」
不遜とも取れる言葉に、後藤は魅かれた。
否、その言葉ではない。
言葉を発した時の達海の表情に、後藤の目は釘ずけになり、その心臓は早鐘のように打ち刻まれたのだ。
そして、その瞬間、後藤の全ては達海のものになったのだ。
弛緩した表情が、一瞬にして獲物を狙う猛禽の顔になり、僅かに微笑を浮かべたその瞬間。
後藤の躯幹は震え、視界には達海しか映らず、自分に襲いかかってくる圧倒的な存在感に?みこまれないように、必死に達海と対峙した。
だが、後藤の抵抗などないも同然に達海猛という男の存在感は輝きを持ち、その輝きを反射することも叶わず、後藤は圧倒的な光に呑みこまれ、目が眩んだ。
それは、恋に堕ちた時の感覚に似ていた。
抗いがたい運命の激流に成す術もなく呑み込まれた哀れな存在。
とても長い時間のような、しかしながら、ほんの一瞬のような時間は過ぎ去り、監督の言葉で選手たちはグラウンドへと散っていった。

この時。
後藤は悟った。
自分の運命は切り開かれたのだ、ということを。








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