水底の想い


オールスター戦は、大盛況に終わった。
スタジアムにいた観客たちも、参加した選手たちも、指揮をとった監督たちも、裏方のスタッフたちも。普段の敵味方の枠を超え、楽しみ、それぞれが満足していた。
達海も大いに楽しみ、満足して試合を終えた。
ただ、微かな傷みを残して……。



「お疲れ様」
クラブハウスへと帰ってきた有里と達海を、ミーティングルームにたむろしていたスタッフたちが出迎えた。
「王子と夏木さんは、駅から自宅へ帰って行きました」
有里が会長に報告している。
「そうか。よし、それじゃぁ解散だな」
会長は親しげに達海の肩を叩き、ご苦労さまでした、と労った。会長に続き、副会長や他の職員たちも続々と引き上げていった。
「私も帰るけど……。達海さん。明日からも気合い入れていきましょう」
達海は、イエスともノーともつかない気のない返事で有里を見ていた。
そんな達海に慣れっこになってしまったのか有里は構わず、このままの勢いで明日からも頑張るわよ、と自らを鼓舞するように続けた。
「じゃぁね。後藤さん、戸締りよろしくお願いします」
二人のやり取りを静かに見守っていた後藤に、抜け目なく有里は仕事を命じ、部屋から出ていった。
後藤は、分かったと軽く合図した。
「有里ちゃんも、気を付けて」
「お先に」
今日一日、疲れたであろうが、その疲れを見せず有里も部屋から出ていった。
「達海」
茫洋と、有里の後ろ姿を見送くりながらも軽く放心している達海の意識を戻そうと声をかける。
「あ、ああ。……」
まだ放心している瞳で後藤を見る。まるで今初めて気づいたみたいに、微かに不思議そうな瞳を向けた。
茶色がかった目が収縮し、後藤に焦点が合う。達海は、にやりと笑った。
「後藤、いたの?」
「ああ」
後藤は苦笑し、達海の肩を叩く。
「お疲れさま。監督」
「……うん」
「達海……?」
小さく返事をした達海に違和感を感じ、後藤は顔を覗き込んだ。
「戸締りしなくていいのか?」
「ああ」
聞いていないようで周りの言葉を聞いている達海の指摘に後藤は苦笑し、部屋のチェックを手早く済ます。律義にテレビのコンセントまで抜くと、未だ放心気味の達海に気遣わしげな視線を投げかけた。
「……電気、消すぞ」
「ああ」
小さく息をつき、飄々というよりは緩慢に近い動作で、部屋から出ていく。
そんな達海の姿を目で追いながら、後藤も電気を消し、部屋を出た。
部屋の鍵を閉める。
そんな後藤の動作を眺めていた達海は、ドアノブから鍵が抜かれると、さっと踵を返す。
「そんじゃ」
片手を腰に置き、もう片方を後ろ手に振った。
「達海」
後藤は思わず達海の腕を取った。
緩慢な動作で達海が振り返る。
「何?」
どこか咎めているかのような口調で、唇を尖らせた。
「い、いや。すまん」
慌てて謝る後藤であったが、手は達海の服を掴んだまま。離さなくてはいけないと思いつつも、心のどこかで、このまま達海を一人にしてはいけないとも思ってしまう。
根拠などない。ただ、何となく、そう思うのだ。
後藤は困ったように達海を見た。
達海が、そんな後藤を睨む。
僅かな時間、視線が正面からぶつかった。
「……何か用?」
先に視線を逸らしたのは、達海の方だった。
視線を逸らし、不貞腐れたように頬を膨らます。
「達海」
自分の勘が間違えていなかった事を確信し、後藤は達海の目を見つめた。茶色がかった瞳が、少し不安げに揺れているのは、気のせいであろうか。
「腹減ってないか?」
「……電車ン中で、弁当食ってきた」
「そうか……」
食事でしか釣る餌がないのは情けない限りだが、後藤のカードは元々が貧弱なのだ。
このまま、達海に何があったのかを問い詰めた所で、達海が素直に答えるとは思えない。例え一緒に食事をしたからといって、達海の考えが分かるわけでもないのだ。
達海も大人である。明日になれば、自分で折り合いをつけて監督業に勤しむであろう。
少しでも達海の負担を、仕事面でも、感情面でも、軽減したいと、つい思ってしまう。達海の事となると、自分は心配性過ぎるのかもしれない。
今日は、仕方がないな、と心の中で苦笑した後藤が達海の服を離す。
手放した瞬間、不安がよぎる。
「達海」
「後藤」
そっぽを向いたまま、達海が怒ったように言う。
「今から、お前んち行く」
「……あ、ああ」
突然の翻意と発言に後藤は不意を突かれ、それでも達海と肩を並べて外へと向かった。

?
部屋のドアを開けてすぐ、キスを仕掛けてきたのは達海だった。
それまでしずしずという風に後藤の後から付いてきていた達海の豹変ともいえる唐突さに驚き、危うく手にしたビニール袋、飲もうと思って途中で買ってきた酒が入っていた、を落としそうになってしまった。
後藤よりは幾分小柄だとはいえ、れっきとした男性で、しかも元アスリートである。
思わずタタラを踏んでしまった後藤の体力不足を謗ることはできない。
「んっ」
そんな後藤を壁へと押し付けるようにキスをする。
今にも泣きそうで、怒りだしそうで、しかし、そんな何らかのエネルギーが発露しそうなのを堪えるような達の必死さを感じ、後藤はなされるがままにしていた。
合わさった唇を無理やり抉じ開け、僅かな身長差故、微かに顎をあげて、達海は舌を入れてくる。
「……っ」
抵抗も何もしない後藤に苛ついたのか、達海が後藤の手首を掴んだ。その拍子に手にしていたビニール袋がガサガサと音を立てる。落としてはならないと、後藤は袋を握り締めた。
達海は差し入れた舌を蠢かし、思う様、後藤を蹂躙していく。相手への征服欲というよりは、もっと、何か、自分の存在を確かめるような、悲壮な思いを感じる。
袋を持っていない方の手を、達海の背中へ回す。
触れた瞬間、ぴくり、と背中の筋肉が動いた。
柔らかな布を掴む。
「んっ」
不意に加えられた力で息苦しくなったのか、達海が呻いた。それでも、尚、達海は後藤を蹂躙することを止めず、舌を絡ませてくる。
生来の負けず嫌い故か。
それとも……。
後藤の眉が微かに顰められる。
服を掴む手に力が篭る。
少し下方へ引っ張ると、達海の唇が僅かに離れる。
「達海……」
幽かに呟いてみるが、果たしてその声が達海に届いたかどうかは分からなかった。





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