Vendetta di Sangue






「隼人」
名を呼ばれ、獄寺はゆっくりと振り返る。
そこには、彼の唯一の肉親である、姉が立っていた。
美しかった少女は美しく成長したのだろう。
弟である獄寺から見ても、姉は十分に美しく、且、魅力的だった。
「隼人」
もう一度、姉が名を呼んだ。
こうやって、幼い頃に何度も呼ばれていたのを思い出す。
そして、もう一人の、獄寺のことを“隼人”と呼んでいた男のことを。
あの時の出来事は、たった今起こったことのようにも感じるし、はるか昔の歴史の本を読んでいるようなそんな風にも感じられるのだ。
だが、実際にはたった一週間前の出来事だった。
あの時、“隼人”と優しく、時に厳しく、獄寺の名前を呼んでくれていた男がいなくなったのだ。
銃声と怒声。
ガラスが割れる音と、人の肉の弾ける音。
銃弾の饗宴が全てを破壊し、全てを奪い去った。
数人の部下に囲まれ、部屋から逃げていく自分を、思い出す。
その光景はなぜか俯瞰的で、どうして思い出というものは須く俯瞰的な映像を結ぶのか不思議に思うのだが。
次に思い出すのは、逃げる獄寺をかばうように立っている男の背中。
これは俯瞰的に思い出したシーンではなく、逃げる自分がちゃんと見た景色をトレースしている。
そして、男は振り返り、何かを言った。
周囲の音がひどくて、何も聞き取れなかった。
聞き取れなかったのは、周囲の音のせいだけではなく、自分の叫び声のせいであったのかもしれない。
自分を囲んだ部下たちに半ば引きずられるように部屋を出て行き、それっきり。
たった一人残った部屋で、男がどうなったのか、分からなかった。


だから、多分。
もう二度と彼の声を、「隼人」と優しく呼んでくれるあの声を聞くことは、もうないだろう。


「隼人」
姉の美しい声がする。
「行くわよ」
悲しげに視線を逸らし、姉が獄寺を促す。



これから主役不在の葬儀が始まるのだ。








玄関がドンドンと叩かれる音がした。
またか…。
獄寺はため息をつきPCの操作をしていた手を止め、机から離れた。
部屋を出て、リビングへ。
リビングから玄関へと音の根源に近づくにつれ、その耳障りさが増し、心がささくれ立ってくるのが分かる。
不意に、ドアを叩く音が止み、どん、と何か、その正体に獄寺は確信がある、がぶつかる大きな物音がして、そのまま何かが滑り落ちる気配がした。
ドアのロックを外す。
ゆっくり慎重にドアを開けると、その隙間から人間がずるずると崩れ落ちるように入ってきた。
とろんとした瞳で酒臭い息を吐くシャマルに獄寺が眉を顰め、それでも背中を支えるように立ち上がらせた。
「はやろぉ…ただいま」
そう言ってよろよろと抱きついてくるシャマルを抱えて、獄寺は歩き出す。
が、その歩を止める。
シャマルの足元を見て、一言。
「靴」
「わりぃわりぃ」
呂律の回らない言葉で、緩慢とした動作で革靴を脱ぎ捨てる。
時間をかけて脱がされたあべこべの方向を向いている靴を見て、獄寺はため息をつく。
「ったく」
諦めたように舌打ちをし、シャマルを部屋の中へと連れて行った。



「ほれ、水」
水滴が側面についているコップを、シャマルへと渡す。
ソファに崩れ落ちるように座っていたシャマルが、緩慢な動きでコップを受け取る。
こくこくと飲むそばから、上手く口に入りきらなかった水が溢れ、だらしなく垂れ落ちていく。
「こぼれてるぞ」
シャマルにコップを渡したままの立ち姿で、獄寺が自分の首筋を示す。
ああ、とシャマルは自分の首を掌で擦る。
そのまま手は力を失い、重力に従ってだらりと落ちた。
「寝るならベッドで…」
そう獄寺が言うよりも早く、シャマルの口からは寝息が漏れ始めていた。
「仕方ねぇな」
そう呟いた獄寺はどこか疲れているように見えた。



仕事用のPCを部屋から持ってきて、ローテーブルに置く。
シャマルの向かい側のソファへ腰掛ると、毛布を被って寝ている男を観察する。
一体、いつからシャマルはこんな風になってしまったのだろうか。
ボンゴレを揺るがした、あの忌まわしい事件が起きてから暫く経って、シャマルはフリーランスからボンゴレ専属の暗殺者になった。
そして、その立場は、いつの間にか暗殺者ではなく、顧問というのか、相談役というのか、特に役職はないけれども何かあった時にはサポートするための立ち位置へと変わっていったのだ。
本人は、「殺し屋にも飽きてきたしな」と飄々としていたけれども、実際は、明確にボンゴレ専属になったことを他の組織へ示したことにより、今まで絶妙のバランスで立ち回ることによって暗殺者として有利に働いていた他組織の秘密を握っているということが、今までとは逆にネックとなり、ボンゴレへ情報が流れるのを嫌がる立場にある複数の組織から執拗に狙われることになったのだ。そのため、シャマルは今までの仕事内容に関してこれまで同様、秘密は厳守するということを周知させ、その証として暗殺者としての仕事を例えボンゴレからの依頼であろうとも決してしないということにしたのだ。この程度の約束事で黙認するような甘い社会ではなかったが、その辺りはシャマルが上手く折衝をしたのだろう。また、組織専属の暗殺者という裏の立場から、ボンゴレという組織の表側へと出てきたことにより、シャマルへの敵対行為は即ボンゴレ全体への敵対行為とみなされるということにもなった。いくら例の事件によってボンゴレが最盛期の半分程の力になろうとも、正面切って喧嘩を仕掛けてくるような愚かな組織はそうそうあるものではない。皆無というわけではなかったが、その都度、ボンゴレの底力を相手は見せ付けられる結果となっている。
こうやって、シャマルは暗殺者を廃業することに成功した。
今まで転々としていた浮き草生活から足を洗い、平穏というわけでは決してないけれども、とりあえずは拠点を決め一所に落ち着くことになった。
それがシャマルにとっていいことなのかは分からないけど。
獄寺は、眠る男を見つめる。
青年期をとうに過ぎ、壮年期も中盤に差し掛かろうとしている男。
寝ている顔には、細かい皺が浮かんでいる。
まだ白いものは混じってはいないが、髪からも艶が失われている。
起きている時には気づかない濃い疲労の色が、その姿から滲み出ていた。
歳を経ったのだ。
獄寺は、彼と一緒に過ごしてきた年月を思い起こす。
否、思い起こそうとして、やめた。
感傷に耽っても仕方がない。
今のシャマルが変わるわけでもなく、自分が彼を変えられるわけでもない。
その無力さ、やるせなさに、怒りすら覚える。
シャマルから視線を離し、仕事でもするかと机に置いた仕事道具を見ると、仕事部屋から持ってきたノートPCの画面がいつの間にかスリープモードになっているのに気づいた。
獄寺は、何度目かのため息をつきPCの電源を落とす。
部屋の明かりを消すと、自分の部屋へと向かう。
シャマルの傍を通り過ぎる時、立ち止まり、肩から落ちていた毛布を直す。
この所、毎日こんなことを繰り返している。
悲しげに瞳を曇らすと、部屋へと消えていった。





ベッドの軋む音がして、獄寺の意識が浮上する。
ふわりと清潔な石鹸の匂いが流れてきて、シャマルか、と思い体を寄せるように身を丸めた。
そのまま、寝入ろうとした獄寺だったが、それは叶わなかった。
獄寺の布団が剥ぎ取られる。
そして、体の上に被さってくる影。
圧し掛かってくる質量に、獄寺の意識が醒めはじめる。
「ん…」
まだ半覚醒の獄寺が目を少しだけ開ける。
肩を掴まれ、仰向けにさせられた。
抗議をしようにも、すでに唇はシャマルによって塞がれていた。
ミントの香りの中にこびりついている、酒気。
ねっとりとした感触が侵入してくる。
獄寺は目を見開き、シャマルを引き離そうとする。
「っん…」
体格差に加え、下から押し上げる力よりも、上から押さえつける力の方が有利なのは言うまでもなく、獄寺の反発はすぐに押さえ込まれる。
段々と息苦しくなってきて、獄寺がシャマルの胸板をドンドンと叩く。
口腔を蹂躙し、シャマルが離れる。
「っ…はぁ」
新鮮な空気を吸い込み、獄寺が息をつく。
「シャマル」
短く、非難の声を上げるが、それは無視され。
腕の付け根を押さえ込むようにシャマルが乗り掛かり、獄寺の首へと舌を這わしていく。
「やめっ」
顔を背ける獄寺の肌へ、直接シャマルの手が触れ、撫で上げてくる。
触れながら施される刺激に獄寺の身体が、意思に反して震える。
どこをどうすれば、獄寺が堕ちるのか、知り尽くしている手管。
脇の下から胸元へとするりと移動するシャマルの掌に、容易く篭絡される獄寺の身体。
「シャマ…っ…ル」
力の抜け始めた体を、シャマルから逃げるように獄寺が捻る。
シャマルがキスをしていた獄寺の首筋から顔を上げる。
「隼人……」
二人の目が合う。
「嫌か?」
獄寺の肌をまさぐりながら、擦れた声で囁く。
「イ…ヤ……」
反則だ、と思いながら獄寺は目をきゅっと閉じ言葉を続ける。
「…じゃ、ない」
闇の中でシャマルが笑った。
ような気が、獄寺にはした。



穿たれた熱に、身体が反応する。
頭をシーツにこすり付けるようにしてのけぞらせた背中。腰に添えられている獄寺の上に乗っているシャマルの手が、獄寺の肉の薄い体に食い込む。
「隼人」
シャマルの声までもが熱を孕んで獄寺へと降りそそぐ。
「あっ……シャ…っ」
シャマルによって慣らされた体は、それでもシャマルの熱に慣れることを知らず、新たな悦びを感じ取る。
浅ましい、と思いながらも、絶えることのないその熱に喜びを持つ自分の感情を知っていて、獄寺はどうしていいのか分からなくなる。
どうしていいのか分からなくなった獄寺は、シャマルの背中へと廻した腕に力を込め、その男の感触だけを確かなものとして受け止めようとする。
お互いにあるのは、熱を持つ体だけ。
そこには何の意味もないのだから。
「…っは……ん…、あ…あ」
だから、息を荒げ、体を襲う快楽の波に揉まれようとも、それは只の身体的な反応に過ぎず、このよく分からない感情の波は、身体的な波に付随する、只の現象に過ぎない。
「あっ…シャ…マル」
鍛えられた背中の、肩甲骨の下辺りを押さえる手へ力を入れ、シャマルを引き寄せる。
「は…やと」
名前を呼ばれてうねりを上げる衝動は、心から沸き起こっているのではなく、器官を刺激されることによって生まれる生理的なものに過ぎないのだ。
だから、何も考えないようにして、与えられた刺激に素直になればいい。
シャマルの手が、膨張しきっている隼人の中心へと伸び、獄寺を促す。
「はっ…ん…ぁあ…ぅ……っん」
直接的な感覚に、獄寺の体が震え、頭の中がぐちゃぐちゃになっていく。
シャマルの背中へと廻していた右手を長めの髪の中へと埋め、シャマルの顔を引き寄せる。
上がりそうになる顎を引き、苦しげな瞳でシャマルを見据える。
獄寺の意図を飲み込み、シャマルの上体が獄寺へと近づく。
その拍子に屈折を強いられた獄寺の体が軋んだ。
「ぁ…シャ……ル」
解放を迎えようとしている獄寺が、歓喜のためなのか、苦痛のためなのか、区別のつき難い表情で眉を顰める。
触れる二人の唇。
軽く触れて、そして深く。
それがシャマルのキスなのだと、獄寺は知っている。
絡まりあう舌と舌。
接吻の深さに比例するように、緊張感を増していく交接している彼ら自身。
暗い寝室に響くのは、粘液の交わる音と荒い息遣いだけ。
獄寺自身を捕まえているシャマルの掌が、性急さを増す。
「んっ」
びくりと獄寺の体がシャマルの下で跳ねる。
限界まできていた彼自身が、白濁を吐き出す。
シャマルが唇を離す。
獄寺は半開きになったままの唇から、悲鳴ともつかない喘ぎを発しながら、体を痙攣させ果てた。
そして、獄寺の裡で熱を孕み続けていたシャマル自身も。
「シャマ…ル……あ、つ…い」
獄寺の腰に指を埋め、首筋へ顔を埋め、欲望を吐き出していく。
がくがくと、震えながら落ちていく、その果てに。
「シャ…マ、ル」
未だ整わぬ呼吸を交えて、小さく名を呼ぶ。
シャマルが顔をあげ、ちゅっ、と子供じみたキスをする。
その予定調和な行為に獄寺はひどく安心し、それ故に一瞬満たされた何かが空虚になっていくような錯覚に陥った。
この行為に、さして意味がないことを、否、意味があると思うと辛いのだということを、獄寺は知ってしまった。
そう、思い込んでいた。











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