◆ calm conflicted confusion ◆ 「よう」 部屋のドアを開けたら、俺の椅子に座ったシャマルが軽く手を上げて軽い挨拶をしてきた。 何で人の部屋に勝手に入ってるんだ、とか、人の椅子に勝手にすわるんじゃねぇ、とか、あまつさえ机に足をかけるな、とか、今までどこに行ってたんだ、とか、会いたかった、とか。 色々と言いたい事はあったわけだけど、何だか上手く言葉に出来なくて。結局出てきたのは、 「久しぶり」 っていうひねりも何もないただの挨拶だった。 「久しぶりだな。隼人」 俺はぐじゃぐじゃと少しだけ混乱しているにも関わらず、シャマルはまるっきり動じていない。 最後に会ったのいつだっけ? 正確に思い出せないくらい昔な気がする。といってもこれは言葉の綾というやつで、本当は、いつどこで何を言って言われて何をしたのか俺は確実に何一つ漏らすことなく憶えているけど。 「大きくなったじゃないか」 シャマルが両手を頭の後ろで組んだ行儀の悪い格好のままくすりと笑った。 いつも会うたびに言われる言葉。 いつまでも人のことを子ども扱いするような、そんな言葉。 なのに、俺はそれでも嬉しいなと思ってしまう。 重症だ。 「ったく、うっせーな。もう子供じゃないってーの」 それでも出てくるのは裏腹な言葉で。 認めたくないけれど…。 やっぱり重症だ。 俺はシャマルに近づく。 「そこ、俺の席。どけよ」 邪険に扱うと、やっぱりお前はいつまでも子供だなぁ、という顔をされる。 シャマルと初めて会ったとき、確かに俺は子供だった。 その子供だった俺が、今更、大人の顔を見せれるわけないじゃないか。 恥ずかしいだろ。 「何でどかないンだよ」 ふてぶてしく笑ってるシャマルを見下ろす。 「じゃぁ、お前がどかしてみれば?」 「自分でどけよ」 自分でも吃驚するほど、喧嘩腰になってしまう。 「しょーがねーなー」 シャマルが面倒くさそうに机から足を下ろすと、俺の腕を掴む。 そんなに強い力で引っ張られたわけじゃないのに、俺はバランスを崩してシャマルに倒れかかる格好になった。 結果、シャマルの足の間に体ごとすっぽりとはまり込む。 「な、何すんだよ」 慌てて離れようとする俺の腰にシャマルが手を回す。 緊張で硬くなる俺の体に伝わるぬくもり。 「どいて欲しけりゃ、キスしろよ」 「えっ?」 「キスして、俺をいかせてみろよ。したら、どいてやるよ」 「ばっ」 バカいってんじゃねぇ、って怒鳴ってやるつもりだったが。 俺はシャマルの笑い顔の中で、目だけが少しだけ真剣みを帯びているに気づいてしまった。 「ったく、いい年こいてふざけんなよ」 俺はシャマルから目を逸らして、軽くキスをする。 「ほら、どけよ」 腰からシャマルの手をはずそうとした。 「ばーか、ガキじゃあるまいし。こんなんでいくわけねぇだろ」 腰骨の窪みに、くいっ、と指を入れられ、俺の上半身から力が抜けへなへなとなっていく。 「本気でやれよ。そんなんじゃ意味がないだろ」 「何だよ、意味って」 「そんなことも分かんねぇのかよ。いいからマジにやれって」 シャマルが上半身を屈みこませた俺の頬を両手で挟み、正面から見据えた。 相変わらず大きな手。不意に腹の奥からどくんと何かが湧き出てくる。 俺は目を閉じ、シャマルの唇に軽く触れる。 舌先で唇の輪郭をなぞる。 少しだけざらりとした、でも決して不快ではない感触。それが俺の唾液に濡れ、滑らかになる。 唇の隙間から軽く舌を差し入れる。 丁寧に唇の裏側をなぞっていく。 もっと奥まで。 そう思って、シャマルの歯を割ろうとした。 が、エナメル質のそれは固く結ばれて、俺の侵入を防ぐ。 そこで、俺の動きが止まる。 どうすればいいんだ? 自分で意識したことないけど、もしかしたら俺からって初めてかもしれない。 とりあえずシャマルの口腔内で動かしてみるものの、何かが違う。 いつもなら、こう、なんというか…。 あー、くそ。 分からなくなってくる。 また頭の中がぐちゃぐちゃとなってきた俺の舌先をシャマルの歯が挟み込んだ。 「っふ、はぁ。ってーな。何すんだよ」 息が苦しくなってきた俺は、シャマルから唇を離した。 照れ隠しのように、唇をぬぐった俺にシャマルが呆れたような表情で、実際呆れていたのかもしれないが、小首を傾げていた。 「隼人…お前なぁ……ヘタだよな」 「なっ。んなこと言ったて仕方ねぇだろ、突然だったし」 逃げ出したい気持ちになったけど、シャマルががっちりと俺の動きを封じ込めていて、顔を背けるコトくらいしかできなかった。 年取っても力は衰えない。嫌なやつだよ、まったく。 「突然、て。隼人、お前なぁ…。チャンスってのはいつも突然なんだよ」 シャマルが呆れ顔で続ける。 「お前、顔だけはいいんだから、そのへんの女捕まえて経験値上げてこいよ。そうでもしてちゃんと練習しておかないと、いざって時に本命に逃げられるンだよ…」 顔だけはいいんだから、生かさなきゃ損だぞ、とか何とかかんとか勝手なことを抜かすシャマルの頭に俺は拳骨を落とす。 「って。何すんだ。ガキかお前は」 「どーせガキだよ。キス一つ満足に出来なくて悪かったな。あんたと違って遊びで女と付き合えるほど不真面目にできてねぇんだよ」 自分でもシャマルの軽口を聞き流すことができずに、いちいち引っかかって騒ぎ立てるなんて子供じみたことだと分かっている。 分かってやってんだから、それでいいんだ。 「ホント、どうしようもないよな。お前」 シャマルの顔が、扱いに困った子供を見るときの不器用な大人が見せる、やれやれ仕方がない、という表情になる。 「来いよ。授業してやる」 シャマルがにやりと笑う。 本当にシャマルのこの顔はいやらしい。いやらしいけど、…好きだ。 「ただで?」 怒ってる振りをして聞いてみる。 「授業料はあとで請求だ」 もう一度口の端だけで笑い、俺を誘う。 簡単に誘いに乗ってしまう俺も俺だと思うけど、それだけシャマルの誘い方が巧妙なんだ。悔しいことに。 俺たちは軽く唇を重ねる。 それだけで、たったそれだけのことで、全身に何だか分からない痺れような感覚が走っていく。ふわりと浮かぶように力が抜けていく。 不思議な感覚。 シャマルの手が俺の肩甲骨の下辺りに廻る。何気ない動作で俺を引き寄せる。俺は抗うこともできずに。 密着した体と体の間に生まれる熱。その熱を介して曖昧になるシャマルとの境界線。 いつの間にか、口蓋まで侵入してきた舌が俺のと絡まりあう。 これだけでもかなりヤバイ、と思っていたのに。 くちゃ、っと。 わざと音を立てられた。 どくんと心臓が息をする。 これ以上はやばい。 収まりがつかなくなる。 どうしようもなくなって顔を離そうとした俺の頭を逃がすまいとしてシャマルは後ろから押さえつけ、ぎゅっと髪を捕む。 痛いという感覚すらも、不思議な心地よい痛痒に変っていって。 僅かに残っていた体の力が抜けていく。シャマルの両腕がなかったら情けなくもそのまま床にへたり込んでしまいそうだった。 俺は自分の意思で指先一つ動かすことができなくなる。 ただのキスなのに。どうしてなんだろう。 シャマルは俺の体を更に引き寄せ、口の奥深くまで俺を蹂躙する。 普段の態度とは違うやけに繊細な動き。女の扱いもすごく繊細で、きっとものすごく優しくて。 じんじんしている頭でぼんやりと考え、その考えもすぐに流されてしまう。 「ん…っふ」 俺の口から、感覚的には頭の上辺りの気がするのだけど、情けない音が漏れる。 それが合図だったかのように、最期に頬を一撫でしてシャマルが俺の頭を離す。 パチン。 「い…ってぇぇ」 不意打ちのデコピンに俺は額に手を当てる。 やばい、涙が出そうだ。 「何すんだよ」 ぐっ、と目じりに力を入れ、シャマルを睨む。 「ばか。一人だけヨクなんなよ」 パチンとシャマルが更にデコピンをする。 「だっ…。しょうがねぇだろ……」 「何でしょうがねぇんだよ」 「何でって……」 理由なんか言えるわけないじゃないか。 「言えよ」 俺の考えなんてお見通しという風に響く意地悪なシャマルの含み笑い。 「言えってば」 「…ぶりだった…んだよ」 「何だ?」 「ひさ……ぶり…だったんだよ」 「はっきり言えよ」 黙ってる俺に、隼人、と耳元で囁く 反則だ。 「久しぶりだったんだよ。悪かったな」 仕方ないので、怒鳴っていうと、くすくすとシャマルが肩を震わせてあまつさえ涙まで浮かべそうな勢いで。 笑いすぎだってぇの。 ムカツクぜ。 「もういいだろ。とっとと出てけよ」 俺はコンシンの力でシャマルを引っ剥がす。 「いつまで笑ってんだよ。このエロオヤジ」 「悪りぃ、悪りぃ。そうかぁ、隼人は俺をずっと待っててくれたのかぁ。感激だな。うんうん」 「んなこと言ってねぇよ。いいから早く出てけって」 「隼人がそんなに俺のこと好きだなんて。いやぁ、オジサン嬉しいよ」 うんうん、と一人頷くシャマルの頭をぽかりと殴る。 殴るしかねぇだろ、この状況は。 「いい加減にしろよ」 「…はいはい。仕方ねぇな。退散するか」 くすりともう一度だけ笑い、無駄のない動きでシャマルが立ちあがる。 昔は見上げなければいけなかった目線も、今は同じくらいで。 突然こういうことに気づくと、何だかとても面映くなる。 「で、当分いるの」 眉をしかめて、シャマルに尋ねる。 一応、目上の相手に対する社交辞令ってやつだ。 多分、いや絶対それ以上の意味はない。俺にとってもシャマルにとっても。 「取りあえずはな。今から、ツナ、っとボスのトコ挨拶行って…」 ボスの所に行く前にここに来たのか。俺は少しだけ驚く。いや、正直言うと嬉しくなった。 その後が最悪だったけど。 「で、その後はとりあえずAからアンナだろ、ベアトリス、シャルロッテ、とディアナ、エミリー…」 「もういい。分かったから、とっとと行けよ」 「はいはい」 シャマルがすれ違いざまに俺の肩を叩き、扉まで歩きながら続きのIJK…をあげていく。 全く、いい加減にして欲しい。 前回と名前が違ってるし。 と、ドアを開けて振りむき様に一言。 「そうだ、今日ホテル取ってねぇんだ。お前の部屋、鍵、開けとけよ」 ふざけるな。 そう言おうとしたけど、上手く声にならず、俺はにやりと笑ったシャマルを見送った。 そして、どさっと脱力し切って椅子に座る。 微かに温もりの残る椅子。 俺は机に突っ伏す。 「ったく…」 俺一人だけが振りまわされて、本当に馬鹿みたいだ、と思う。 久しぶりに、半年以上ぶり、正確には6ヶ月と17日振りにふらりと来て。勝手に俺に触って、ぐちゃぐちゃにして。そして今度もきっと自分の都合でまたいきなりいなくなるんだ。 職業上仕方がないとはいえ。 仕方がないことなんだよなぁ、やっぱり。 どこかで冷静な俺がいて、馬鹿みたいになってる俺を冷ややかに見つめている。 「っしゃ。仕事すんか」 俺は起きあがり、机の書類を手にする。 酒、買わなきゃな。 あいつの好きな酒あるといいな。 味にはうるさいから、とか考えながら。 やっぱり俺は、いかれている。 |