◆ cocking crying ◆ 灰色の仕事机に行儀悪く足を上げ椅子からずり落ちそうになるくらい浅く座った姿勢で、アジアの女も味があるなぁなどと思いながらシャマルはグラビア雑誌を読んでいた。 隣の部屋からは「えー難しい」とか「うわ、火」とか賑やかな声が聞こえてくる。 保健室の隣は家庭科室で、壁が薄いためか生徒の声が大きいためか隣の音が良く聞こえる。 「あー、調理実習ってやつね」 日本の学校は不思議なことを教えるものだ、とシャマルは苦笑する。 『10代目、俺頑張りまっす!』 いつも通り気合の入った獄寺の声がした。 どうやら、彼らのクラスが調理実習をしているようだ。 あの隼人に料理なんてできるのかねぇ、とシャマルは一人笑う。 暫く賑やかな声をBGM代わりに聞いて。 『うわっ、獄寺君!』 『獄寺大丈夫か』 綱吉と山本の声がする。 あのバカがまた何かやったのか…とシャマルは雑誌を閉じ机の上で手を組む。 『こんなの、ダイジョウ…ブ、っすよ。10代目』 『あらあら、獄寺君。保健室に行ってらっしゃい』 『そうだよ、それがいいよ』 『…え』 『早く行ってきなさい』 どたばたとした一連のやり取りが聞こえてくる。 シャマルはもう一度ため息をつき、「男は見ねぇんだけどな」と笑みを浮かべた。 ぱたぱたと廊下を走る音がして、ドアの前で止まって、ガラガラとドアが開く。 来たか。 もれる微笑に耐えながら、シャマルはゆっくりと振り返り、 「隼人…」 絶句した。 「染みるぞー」 気のない言葉をかけながら、シャマルが獄寺の指先に赤チンを塗っていく。 一瞬、獄寺が目を閉じる。 「ほい、終わり」 シャマルは、ゴミ箱へ赤く染まっている綿をぽいっと捨てた。 「で、そっちは収まったのか?」 にやにや笑いながら、シャマルが獄寺の顔を見る。 「うるせぇよ」 ぷいっと横を向いて、「じゃ」と立ち上がろうとする獄寺の肩をシャマルが押さえ、再び椅子に座らせる。 「ってぇな、何すんだよ」 シャマルの手を振り払いながら、獄寺が毒づく。 「痛み止め」 斜め上から目尻に唇を寄せ、ちゅっとキスをする。 「て…な…」 突然のことに獄寺が口をぱくぱくさせる。 「もう帰っていいぞ」 「て、きもいコトすんじゃねぇよ」 「きもちいいの間違いだろ」 「なっ」 わざとシャマルがんーと唇を尖らして獄寺に近づく。 「うわ、やめろよ」 エロ医者、と獄寺はそそくさと逃げ出す。 それを見たシャマルがかかと笑う。 「慰謝料と治療代も含めてだからな」 安いもんだろ、とシャマルが嘯く。 「は?治療費はともかく、慰謝料って何だよ」 「忘れたのかよ、さっき俺のこと殴っただろ」 「だっ。あれはシャマルがいきなり…」 ぶすっと口を閉じた獄寺に、シャマルが問い詰める。 「いきなり、なんだよ」 その口調はからかう様な笑いを孕んでいて。 「いきなり……」 勢いのまま言い切ってしまえば、別段なんでもない言葉なのに、一度止まってしまうと何だか照れくさくなってしまうもので、獄寺は「だき……だろ」と眉をしかめながら小声で呟いた。 「え?」 それでも意地悪くシャマルが促すと、 「シャマルがいきなり抱きついてきたからだろ」 頬を膨らませてシャマルをにらみ付けた。 「それはお前が泣いてたからだろ」 しれっと、シャマルがタバコに火をつける。 「だ…だから、あれは仕方なかったんだ」 「何が?」 からかわれていると分かっているのだが、獄寺は言い返せずにはいられず、案の定シャマルの反駁に合う。 「玉ねぎが目に染みたんだよ」 「は…?」 「だから、玉ねぎを切ってたらいきなり涙が出てきたんだ」 文句あるのか、とでもいうように獄寺はシャマルを睨みつけた。 「いや、文句はねぇけど…玉ねぎねぇ」 確かに、獄寺のこれまでの人生で玉ねぎを切る、などということはなかったのだろう。イタリアにいた時にはお抱えのシェフがいたし、こっちに来てからはテイクアウトか綱吉の母がまめに家族の食事に誘っているらしかったから。 「玉ねぎ切ると、涙が出るって知らなかったのか」 「…知ってるよ。硫化アリルだろ」 「知ってんじゃん」 シャマルは呆れたようにため息をつき、「ま、知ってるのとやるのとは違うからなぁ」と獄寺の頭をぽんぽんと叩く。 「やめろよ」 獄寺が邪険にその手を振り払おうと手を伸ばす。 シャマルがその手を素早く掴み、ちゅ、と唇にキスをする。 「何事も経験だな」 あっけに取られている獄寺に向かい、「ほれ、そろそろ料理ができるんじゃねぇのか」と悠然と言う。 「な…だ……」 何か言い返したかった獄寺だったが、何も言葉が見つからず…きゅっと眉をしかめてシャマルを睨みつけると、くるりと方向転換し、荒々しくドアを開け、そして渾身の力で閉めた。 一度閉まったドアが衝突の力により跳ね返り少しだけ開いたままなのを、シャマルはきちんと閉め直し、 「ったく、ドアが痛むってぇの」 と頭をぽりぽりと掻いた。 ぎしりと音を立てながら、椅子に座り、机の上の本を再びめくり始める。 シャマルは思い出したように本を置き、背もたれに極限までもたれかかり、 「にしても…あいつの泣いたトコなんて久しぶりに見たよな」 と、難しい顔をした。 そして、懐かしい何かを思い出したかのようにふわりと微笑んだ。 昔、ほんの少しだけ昔には、よく泣いた隼人を抱きしめたっけ、と。 そうすると、泣き止んで、「子供じゃないもん」と顔を赤くして怒ったと。 思い出の中では、ちょっと前のことのようだけど、本当はもう随分時間が経っているのか、と。 「俺も歳とったかなぁ」 情けなさそうに一人ごちたシャマルの耳に、楽しそうな獄寺の声が壁越しに聞こえてきた。 「お前がいつまでも楽しく笑ってられればいいのにな…」 天井を仰ぎ目を閉じたシャマルが小さく呟いたその声も、隣の歓声に消されていった。 |