◆ and then, forthcoming future ◆ 10年前に飛ばされた、のか。 突然変わった周りの景色に獄寺はそう判断した。 束の間見た、懐かしい顔を思い出しどうしようもなく悲しくなった。 その思いを断ち切るかのように、毅然とした表情で獄寺はあたりを注意深く観察する。 周りの風景は、あまり変わってないようで、やはり変わっていた。 写真のように思い出せる昔の街並みとの差異を一つ一つ確認することは容易だったが、それは意味のない作業だと思い直す。 年月の移り変わりという厳然たる事実に、心の奥が締め付けられるような思いがした。 これからどうしようかと考え、自然と足が向かうままに任せた。 休日の学校だというのに、いくつかのクラブがグラウンドで練習をしていた。 それを傍目に獄寺は誰にも見咎められることなく校内へと滑り込んだ。 保健室のドアを開けると、予想通りの見慣れていた姿。 ドアの開く音にゆっくりと振り返った、その顔を見た瞬間、予想してたにもかかわらす、息が止まった。 「よう」 獄寺を見て、何でもないようにシャマルが片手を挙げた。 「…よう」 獄寺が言葉だけを返す。 どうしてだか泣きたくなってくる。 シャマルは椅子から立ち上がり、獄寺に近づくと、白衣のポケットの中からくしゃくしゃになったタバコの箱を取り出す。 淀みない動作で1本抜き口にくわえると、箱を獄寺に差し向けた。 「吸うか?」 くぐもった声でシャマルが尋ねる。 「あ、ああ」 獄寺は差し出された箱を受け取り、同じように口にくわえた。 シャマルは部屋へと戻り、自分のタバコに火をつけたライターを獄寺に投げて渡す。 緑色のプラスチックの100円ライターだった。どこか懐かしさを覚え、獄寺の顔に不意に微笑が浮かぶ。 「で、あいつらはあっちか?」 窓の桟に肘を付き、少しだけ背中を丸めた姿勢でシャマルがタバコをくゆらせる。 「…ああ」 獄寺はシャマルの隣まで来ると、窓に寄りかかるような体勢でライターを返す。 声のトーンが低くなる。 とりあえず、ここでの獄寺の役目は何も終わっていないのだ。 未来を変える力、知識を、今の己が備えていることが不意に恐ろしくなり。 今ここにいる自分にどんな意味があるのか。 今ここで自分は何をすべきなのか。 そして、どうして今自分はここにいるのか。 獄寺は自分の考えに沈んでいく。 そんな獄寺を尻目に、シャマルは美味しいとも不味いともつかない表情で煙を吐き出していた。 「おい、隼人」 「え?」 「灰」 シャマルの指摘で、獄寺は自分がタバコをくわえたまま灰も落とさず黙りこくっていたことに気づいた。 細い指でシャマルが差し出した灰皿にタバコの灰を落としながら獄寺がシャマルに笑いかけた。 「何か可笑しいよな」 シャマルはちょっと眉をひそめ、「何が?」と言葉短く聞き返す。 「あんたが俺にタバコを勧めるなんて、可笑しいだろ。あんなに禁煙しろってうるさかったのに」 獄寺の言葉に、シャマルはちょっと首をかしげ 「…そうかもな。お前も大人になったってことだろ」 くしゃりと、身長差が僅かになっている獄寺の髪に手を置いた。 そのシャマルの行動にくすぐったそうな表情をして、獄寺が目を伏せた。 「なぁ」 「あん?」 「俺たちの」 獄寺はシャマルを通して何か他のものを見つけたいとでもいうかのように遠くを眺めるような目になる。 「……初めてのこと、覚えてるか?」 自分の口から出た言葉に、獄寺は驚いた。 「…は?」 だから、真顔で聞き返してきたシャマルと目が合った瞬間、獄寺は顔を真っ赤にしてしまった。 「い、いや。…何でもない」 「何でも…って」 シャマルが顎の髭を撫でるように、視線を右上に固定する。 「……そういうことか」 にやりと笑い、視線だけを獄寺に移す。 「今の質問はナシだ。忘れろよ」 慌ててシャマルを少しだけ見上げた獄寺の、その腕を右手で取る。 シャマルはくわえていたタバコを左手に持つと…。 「!」 一瞬、唇が触れ合い、すぐに離れた。 間を置いて、もう一度。 今度はシャマルの吐息の暖かさがゆっくりと伝わってくる。 重ねられている唇を少し開き、シャマルが舌先で獄寺の唇をつっと撫で。 獄寺の背中がびくりと騒ぐ。 シャマルが獄寺を捕まえている手に力を込める。 僅かに獄寺の体が揺らいだ。 その唇を割って侵入したシャマルの舌先に、獄寺がはっと息を呑むのが伝わってくる。 そしてシャマルはくすりと笑い、強張った獄寺の腕を開放した。 「な…っ」 抗議の声を上げるべきなのか、どうすればいいのか分からない獄寺にシャマルが言った。 「憶えているよ」 穏やかな優しい声で。 「お前は…?」 目を細めて、シャマルが問うた。 獄寺は微かに目を伏せる。 「……忘れるわけ………ないだろ」 くしゃりと獄寺の髪をシャマルが撫で、タバコを灰皿に押し付けた。 床に無造作に放り出された、黒い服の塊。 あれは、喪服の色だ。 うっすらと開けた目で、獄寺は認識する。 「隼人」 獄寺の頬にシャマルの手が触れる。 横を向いていた獄寺の顔を、正面に据えるとその額に唇を落とした。 シャマルの白衣がふわりと動き、保健室の狭いベッドの中動くこともままならない獄寺の視界を奪っていく。 「んっ」 その動きにより、露わになっている獄寺の下肢にシャマルの体が押し付けられる。 シャマルは背中を丸めるように、獄寺の頬を手でなぞる。 獄寺の存在を確かめるかのようにゆっくりと細い首筋から胸元へと手の平を滑らせる。 「逞しくなったな」 くすりと笑うシャマルの吐息が、獄寺の頬をくすぐる。 そして、腹筋の筋を指一本で、つ、と撫でられ、反射的に獄寺の背中がびくついた。 顔を離したシャマルと目が合う。 獄寺は、両手で白衣の襟を掴むと、ぐいっと自分の方へと引き寄せる。 「シャマルも脱げよ…」 シャツのボタンに獄寺が手をかけるのを、シャマルが止めた。 「俺はこのまま」 シャマルが手首を掴む。軽くいなすような滑らかな動きで、獄寺の腕は押し戻され頭の横にぽすんという音を立てて据えられた。獄寺は力負けしたことに拗ねたかの如く眉を顰める。 「何で、だよ…」 「あの時も、こうだっただろ」 「え…あ、ああ」 「だろ?」 悪戯っ子のように笑うシャマルに、獄寺は少しだけ頬を膨らませると、目を閉じた。 「……さっさと、やれよ」 「仰せのままに、ぼっちゃん」 「んっ…あぅ……」 体と体の触れ合うその隙間を押し入るようにシャマルの手が、獄寺を弄ぶ。 握られる圧力と、シャマルの体の重みとが、獄寺のそれを束縛すると共に煽り立てていく。 「シャマ…っ」 少しでも空間にゆとりを持たせようと、胸元をついばんでいるシャマルの頭を掴む。 顔を上げたシャマルは、獄寺と目が合うと舌を出して白い肌を舐める。 明らかな挑発に、それでも獄寺は顔を赤らめ…。 「待ってろ」 シャマルが獄寺の手を己の髪から離し、体を下方へとずらしていく。 ギシリとベッドが軋む音がすした。 「っく…や……」 包み込まれた己を感じ、そのぬめりけを帯びた熱さに獄寺のものは硬度を急激に増す。 「あっ、なっ……」 シャマルの与える快楽に、不意に獄寺の感覚が研ぎ澄まされるように開いていく。 「…っは、ん」 洩れる密やかな吐息さえ、自分を煽り立てる道具となり。 己の肌をまさぐる、その骨ばった大きな手を懸命に掴む。 隠微な音と秘めやかな呼吸が流れる中で、何も物言わぬシャマルの愛撫に獄寺は体を動かす。 それが、シャマルから逃れようとしているのか、もっととねだっているのか自分でも判断のつかぬまま、頭の中が空っぽになっていく。 空っぽになった頭を、心臓から、否、もっと奥深くから湧き上がる正体のよく分からない塊が抜けていき…。 「ぅん…っ……ん…あ、あ………ぁ…ん」 波が去っていくような、しかし、その波がまだ足元に纏わりついているような、気だるい、じんわりとした感覚が体に広がっていく。 敏感になっている獄寺の五感が、啜り上げる音を聞きつける。 「シャマル…っ」 肘を突いて起き上がった獄寺は、名残を発している己に食らいつき、喉を動かし嚥下しているシャマルを見てしまい。 「もっ…いい」 強引にシャマルと自分から離す。 じゅるりと音をたて、それが故意になのか、偶然なのか、必然なのか、獄寺には分からなかったが、艶やかに光る唇を見ると、再び欲望の塊が湧き上がるのが感じられた。 「隼人」 唇を指でぬぐい、シャマルが体勢を整え獄寺と顔をつき合わせながらその名を呼んだ。 獄寺は瞼を伏せると、顔をシャマルから背けながら、双腕を伸ばす。 シャマルがくすりと笑う気配がして、獄寺の両手首を掴み引き寄せられて。 「…隼人」 己の腰にその手を絡ませた。 「シャマル…」 初めて呼ぶ名のように、獄寺が小さく囁く。 顔を背ける獄寺の首筋にシャマルがふわりと顔を埋め、くしゃくしゃになっっている柔らかい髪に手を入れる。 「多分、俺はお前を愛してる」 不意の言葉。 予期していなかった言葉に、獄寺は息を飲む。 髪を撫でるシャマルの手と、首で感じる吐息のくすぐったさ。 獄寺は飲み込んだ息を吐き出しながら、 「……多分て、何だよ」 辛うじて悪態をつくことしかできなかった。 「ん?」 顔を上げたシャマルの目をきらめかせ、器用に肩をすくめる。 「今の俺の精一杯ってとこだな」 そう嘯くように獄寺の腰を抱え、やんわりと白いシーツの上へと押し倒した。 「……なぁ」 シャマルの重さを感じながら、静かな声で獄寺が言う。 真上から見下ろすし、シャマルが表情だけで先を促す。 「それ、帰ってきたら俺に言ってやってよ」 苦しそうな、寂しそうな、それでいてどこかほっとしたような。 「言わねぇよ」 複雑な顔をした獄寺に、シャマルは残酷とも言える拒否の言葉を投げつけた。 「10年後の楽しみに取っておくんだからな」 そして、口付けを。 茫然としていた獄寺の唇に割って入り、思う様に口腔を蹂躙する。 途切れ途切れに息をして、貪るような口付けを。 「つーか、俺もあんまり余裕ないんだわ」 軽く言ったシャマルの顔は、真剣味を帯びていて。 触れ合った体から、上昇していく熱が伝わってきた。 「…了解」 獄寺は息だけで笑い、お返しとでもいうように自分からシャマルにキスを仕掛けた。 「で、これからどうするんだ?」 床に落ちていた白衣を着ながら、ベッドの背にもたれ掛かっている獄寺にシャマルが尋ねた。 「え?」 「お前まだ帰れないんだろ?」 「あ、ああ」 顔を曇らせた獄寺に黒い服を投げつけると、シャマルが苦笑しながら新しいタバコに火をつける。 「じゃ、俺んちに来るか?」 きょとんとしている獄寺にため息をつきながら、シャマルが大げさな身振りで肩をすくめた。 「お前、泊まるとこないんだろ」 シャマルの何気ない調子に、獄寺は少しだけ息を吐き出し、口角を上げる。 「じゃ、とりあえず世話になるか」 シャマルの手からタバコを奪い、獄寺は煙を飲み込んだ。 沈みかけた夕日が、保健室の床に二人の影を長くたなびかせた。 |