◆ the 667th ◆ 「っん」 キスの合間に漏れる息。 自分の声が自分ではない誰かから発せられてるような不思議さを獄寺はぼんやりとした頭の芯で感じ、その感覚も絡みついてくるシャマルの熱さですぐに流されてしまう。 密着した二人の体の境界が段々とおぼろげになってくる。 「シャマルいる?」 いつもの通り、綱吉の補習待ちをするために獄寺は保健室を訪れた。 「あー、何だ隼人か」 だらしなく椅子に腰かけて雑誌、わざわざイタリアから取り寄せているゴシップ雑誌を読んでいたシャマルが椅子の背に凭れ掛かるように首だけを回して、獄寺を見る。 やる気のなさそうなシャマルの言葉に、獄寺は「悪かったな」とこれまたいつものように悪態をつきながら、定位置になっている丸椅子にギシっと音を立て腰掛けた。 「今日もツナは補習かよ」 ばさりと、読みかけの雑誌を机に置いてシャマルがつまらなそうに腰を上げ、 「コーヒーでいいだろ」 と獄寺に尋ねる。 「いいも悪いも、この部屋コーヒー以外ないじゃん」 唇を尖らせて、シャマルの置いた雑誌を興味なさそうに手に取る。 「なんか、エロい雑誌だな…」 さいてー、と呟きながらぱらぱらと雑誌を捲っていく。 「お前にゃまだはえーよ、青少年」 ひょいと獄寺の背後から雑誌を取り上げると、反対の手でコーヒーを手渡す。 “Grazie.” 獄寺は受け取ったカップからコーヒーを飲む。 「甘っ…!」 顔を盛大にしかめ、シャマルを睨みつける。 「砂糖入ってんじゃん」 「お子様には砂糖って決まってるだろ」 「ふざけるなよ」 「ふざけてねぇよ」 本気で突っかかってくる獄寺を尻目にシャマルは平然と自分のコーヒーをすする。 「そっちのよこせよ」 「嫌だね」 シャマルがもう一口コーヒーを飲む。 と、獄寺は立ち上がり、高い位置にあるシャマルの頭に手を掛け、そのまま引き寄せあっけにとられているシャマルにキスをする。 ごくり、とシャマルの香りのするコーヒーを飲み込み。 離れる。 「て…何でミルクなんて入れてるんだよ」 唇をぬぐいながら獄寺は再び顰め面をした。 「隼人、急に何すんだよ」 コーヒーこぼれたじゃないか、とぶつくさ染みになり始めた白衣を拭きながらシャマルが獄寺に言う。 「最近、胃が荒れ気味だから時々ミルク入れるんだよ」 「だっせー」 「そうだよ、俺はもういい歳だからな」 「なんだよ、気持ち悪いな…急に年寄りぶるなよな」 獄寺が離れようとした瞬間、その腰をシャマルに捉えられ押さえ込まれる。 顎に手を充てられ、口腔に舌を差し込まれる。 ぐちゃりと絡まってくる、シャマルの巧みな蹂躙に獄寺は思わず目を瞑る。 ふっ、と唇が離れ、二人の間を唾液の糸が繋いで消えていく。 「だから、隼人…」 小さな声で言いかけて、シャマルは僅かに微笑むと、更に強い力で獄寺を引き寄せた。 何度か唇を離し、それでも再びついばみ合い、互いを味わう。 獄寺はシャマルの腰に廻した腕に力を入れたいのだが、その意思に反して段々と力が抜けていく。 「っふ」 がくんと膝が崩れ落ちそうになる。 シャマルの腕が獄寺の背中を支え、やっと体勢を元に戻した。 「もう、ギブアップか」 獄寺から唇を離したシャマルが、艶やかに笑う。 「うっせーよ」 獄寺はむっとして、言い返すも、その声にいつもの強さはなかった。 「なんだよ、隼人。足が震えてるぞ」 意地悪く言葉で追い討ちをかけ、シャマルはすっと獄寺を支えている腕を外す。 ふらりとよろけた獄寺は、シャマルの白衣を掴む。 と同時に、シャマルの手もあるべきところに収まるかのように、獄寺の腰に再び廻される。 「だめじゃん」 くすくすと笑いながら、シャマルは獄寺の口元を拭った。 「さて、と」 シャマルの体が、獄寺から少しだけ距離をとる。 「もう帰るだろ?」 「え?」 突然の言葉に、獄寺の表情が詰まる。 もう一度、軽く、ちゅ、っとまるで何かの合図のようにキスをすると、シャマルは獄寺から離れた。 「…んだよ。帰れってことかよ」 獄寺は下を向いて、低い声で呻いた。 「よく分かったじゃねぇか」 そろそろツナの補習も終わる頃だろうしな、と椅子に腰かけながら獄寺を見つめた。 「そうだけど…」 それでも獄寺はぐずぐずと、その場から動かない。 「お前なぁ」 シャマルはため息をつきながら、獄寺の腕を引き寄せる。 「お前が成りたいのはなんだった?」 優しく諭すように、しかしその眼差しは厳しくて。 「…十代目の右腕」 視線を逸らして、ふてくされたように呟く獄寺の髪をシャマルがくしゃくしゃとかき混ぜる。 「よし。それが分かってればいいんだ。気をつけて帰るんだぞ」 「…分かったよ」 やり込められた感じが抜けずにいたが、それでも獄寺は素直に鞄を手にした。 ドア口まで来ると、「さっき、何いいかけたんだ?」と背を向けてシャマルに問うた。 「何のことだ?」ととぼけたシャマルに「だから、おっさんはずるいんだよな」と、力一杯ドアを引いた。 ガラガラというけたたましい音が響き保健室に余韻が残る。 獄寺が出ていくと、シャマルは少しだけ虚空を見つめ放心した。 「だから、隼人」の後、自分は何を言おうとしていたのだろうか。 そして、一体、いつからこんなことになってしまったのか。 答えの出ない、否、答えなど分かりきっている問いかけをしてみる。 ふと、保健室の窓から校庭を見やると、獄寺が二人の少年と一緒に歩いていく姿があった。 その姿が門の外へと消える瞬間。 彼がこちらをちらりと振り向いたのは気のせいだったのだろうか。 自分を侵した667番目の病。 それは、どこまでも甘美で美しく。 ゆるやかに死に至るような錯覚さえ覚える病。 今はその儚い痛さに浸っていてもいいかもしれない。 シャマルは感傷的になった己に苦笑した。 |