distance from S




ドアを閉めると、尻だけを寄りかけ、俺はくつくつと笑った。
隼人の顔。
驚いたような怒ったような。
そして、泣きそうな。
隼人の顔を思い出す。
すっかり頭の中で再現された頃には、俺の笑いも引っ込んでいた。いや、他の感情に取って代わられていた。
罪悪感。
多分、それが一番近い。
よっ、と勢いをつけドアから離れる。
靴を脱ぐのがジャッポーネ風だということで、それに倣い、靴を脱いで、やはり心理的抵抗は微かにあるが、部屋に上がる。
狭い、部屋だった。
キッチンとリビング。
そして、小さなバスとベッドルーム。
ここに女を連れ込むわけでもなし、俺一人の生活には十分ともいえる。
狭いとはいえ、国土に比べて可住区域が僅かなこの国の事情を鑑みれば、これでも一人のための部屋としては広い部類に入るのだろう。
隼人の部屋も同じだろうか。
顎を撫でながら、隣にいるであろう、それともまだ廊下に突っ立ったままなのだろうか、子供のことを考えてみる。
この部屋よりも殺風景ってわけはないな、と苦笑した。
日本に来て数日しか経っていないため、部屋には何もないのだ。冗談ではなく、何もない。この部屋の鍵を渡されてから、今日で3回目の訪問なのだ。それまでは、ホテル暮らしを満喫していたのだが…。
そろそろ腰を落ちつけろ、と通達がきてしまった。
腰を落ち着けて、獄寺隼人を監視せよと。

組織の世話になるというのは、本当に面倒なことだ。

俺は何もない部屋で、椅子ぐらい買ってくればよかったか、低い天井を仰いで溜息をついた。
柄じゃねぇことこの上ない、と。




バルコニーに出て、一応狭いながらもバルコニーが附いている、が、一体何のためにと考え込むくらい狭い、俺は携帯のボタンを押す。
数コール。
相手が出て、簡単に要件を告げる。
「とりあえず、コンタクトした。…それと、適当な家具を見繕って送ってくれ」
Si. というはっきりとした返事を聞き、携帯をパタンと折りたたむ。
これで、とりあえずの厄介事、報告と住みよい家にするための微々たる努力は済んだ。
報告も暫くはしなくてもいいだろう。
ボンゴレ9代目に依頼されたとはいえ、契約書にそこまでの制約はなかったはずだ。「君の好きなようにしてくれればいい」と、穏やかな表情で笑っていた。
食えねぇジジイだ。
まぁ、半分は自分の後継者に対する何らかの期待と不安、残り半分は孫みたいな子供への過保護なまでの愛情、なんだろうが…。
懐に手を入れ、煙草を探る。
箱から一本取り出すと、火をつけ煙を吸い込んだ。
頭がクリアになった気がする。
その感覚に苦笑して、明日届くであろう家具について考えを巡らせてみた。
あのジジイは食えねぇが、センスはいいからな。
秘書も美人だし。
楽しみだ。
煙をゆっくり吐き出した。




暮れなずむ夕日ってのも眺め終わっり、おれはバルコニーから部屋の中に戻る。
手には小さくなった煙草の残骸。
灰皿位は用意しとくべきだったな。
反省しながら、流しに煙草を捨て腕時計を見る。
そろそろ、隼人の部屋に行くのにいい頃合だ。
飯の約束はしたものの、あいつに料理ができるのかと俺は不安になったのだ。
必要最低限のエネルギーが確保されればそれでいい、と思っている野蛮な連中と違い、俺は状況が許す限りは美味いものを食いたいんだ。
ゴムみたいなパスタなぞ、御免こうむりたい。
さて。それじゃぁ、ぼっちゃんの腕前を拝見しに行くとするか。





隣の部屋のチャイムを鳴らす。
一度押して、反応を待つ。だが、ドアの向こうに気配を感じず、二度三度と連続してボタンを押した。
ドアが開く。
不機嫌そうな隼人の顔。
俺は思いきり唇の端を上げ笑ってみせ、手に持っていた荷物を隼人へと押しやった。
「何だよ」
「手土産だよ」
「…俺、酒なんて飲まねぇんだけど」
「お前が飲まなくても、俺が飲むんだよ」
ドアを開けている隼人の体を押しのけ、中へと入った。
「靴」
「脱ぐんだろ」
余裕で答えた俺に、隼人が舌打ちをした。俺の背中の後ろで、隼人はきっとすごく悔しそうな顔をしているんだろうな。笑いを堪える。
革靴を脱いで上がる。間取りは俺の部屋と対称にいなっているらしい。
ほぉ。
割と小奇麗に暮らしている。
まぁ、こいつは小さい頃から几帳面だったからな。むしろ、神経質なくらい。
それでも、ソファに放り出されているカトゥーンなんかは年相応という気がして、悪くはないな。
「見んじゃねぇよ」
気持ち悪いな、と隼人が俺の背中に軽くパンチを入れた。
「照れるなよ。…それとも、エロ本でも隠してるのか?」
そんなわけないだろう、と思いながらも、振り返りながらおもいっきりニヤついてみせる。
すると、隼人の顔はみるみる赤くなって…。
「図星か?」
思わず真顔で訊いてしまう。
「ち、ちげーよ」
「そうか」
何故だか俺はほっとしたような変な気分になって、隼人の髪をくしゃくしゃにかき混ぜた。
柔らかい、髪。
しなやかに俺の指に絡んでくる。
「さて、メシにするか」
ぽん、と隼人の頭を叩きキッチンへと向かった。



「…隼人、お前ねぇ……」
俺の口から漏れるのは溜息ばかり。
「うっせーよ。仕方ねぇだろ」
もそもそとピッツァを食べながら隼人が眉を顰める。
確かに。
俺の見通しが甘かった。
まさか、冷蔵庫に食材がほとんどない、だなんて。
チーズがあったのが救いだな。
持ってきたワインを飲む。
喉をさらりと落ち、美しい余韻を残す。
自分のチョイスに拍手を贈ってやりたい気分だ。
「いいじゃねぇかよ。電話一本で食べ物が届くんだから。便利だろ」
先ほどから隼人ばかりがピッツァを食べている。
「そうだけどなぁ……」
確かに便利だが、味気ない、んだよな。
苦笑して、ワインをグラスに注いだ。
鼻先でグラスから溢れてくる芳香をかぐ。
微かに重い匂い。
これ位、確りしている方が好みなのだ。最も、女はもっと軽い華やかな香りのワインが好きだけどな。
弄んでいたグラスを顔から離した。
「よし。明日はちゃんとしたものを食うぞ」
「は?」
俺の突然の宣言に、隼人が面くらったようにぽかんとする。
キリっとしろよ。
せっかくの顔が台無しだ。
「だーかーら。お前にまともなもんを食わしてやるってことだよ。ありがたく思えよ」
隼人の顔が、とてつもなく厭そうに歪んだ。
そのままぱくりとピッツァを食う。
「ちっ…仕方ねぇな」
ぼそりと呟いて、俺から視線を外した。
まったく。
素直じゃないのは相変わらずだな。
自分で言うのも何だが、俺の面倒見の良さも相変わらずだ。
食事の世話はボンゴレ9代目との契約外なんだがな。
これはこれで、なかなかいいような気がしてくるから不思議だ。
俺は、隼人に手を伸ばし、銀色の髪をかき混ぜる。
この手触りも癖になりそうだ、と心の中で苦笑した。
「よっしゃ。学校終わったら買い物行って、まともなもんを食うぞ」
はいはい、と眉をしかめている隼人を見て、俺は意地悪く笑う。
「他人事じゃねぇぞ、隼人」
「?」
「お前も一緒に買い物行って飯作るんだからな」
「――は?」
理解が追いつかないらしい。
予想を超えた行動をされると一瞬思考が止まるのが隼人の問題点だな。
「ちょっ。俺は10代目と一緒に帰るんだから」
「は?」
隼人の言葉に今度は俺の言葉が止まった。
ああ、そうか。
コイツ勘違いしてやがる。
「隼人」
隼人の両肩に俺は両手をぽんと置く。
目をつむり、ゆっくりと首を振った。
「んだよ?」
狼狽した隼人の声。面白いな。
「誰も、一緒に帰る、とは言ってないだろ」
「え?」
「まぁ、隼人が、どうしても、俺と一緒に帰って、一緒に買い物行って、一緒に飯作って、一緒に飯を食いたい、というのなら、デートの約束をしないでおいてやろう」
目を開き、隼人の瞳を見つめて俺は唇だけで笑った。
色素の薄い、綺麗な澄んだ瞳が、俺を見つめる。
ガラス玉じゃない証拠に、瞳の中心から耀きが溢れてきている。
「だっ…なっ、違うだろ。シャマルが勝手に決めたんだろ。俺は別に一人でも」
「一人より、誰かと一緒の方が飯は旨いもんなんだよ」
相手にもよるがな、と心でつけ加え隼人の髪に手を埋めた。
やっぱ、この感触はいいな。
動物撫でてるみたいだし。
「ちっ」
隼人が舌打ちをする。
柄を悪くしたいのに、悪くなりきれない、そんな仕草だ。
「しょ、しょーがねーな。じゃぁ、俺は10代目と一緒に帰るから、お前が仕事終わったら電話しろよ」
顔をぷいと背けて、うるさそうに俺の手を退ける。
「迎えに来てくれるのか?デートみたいだな」
「ちげー……勝手にしろ」
俺の腕の中からするりと抜け出すと、隼人は冷めきったピッツァに手を伸ばし、がつがつと、多分これはわざとだ、食事を再開した。
俺はそんな隼人を眺め、ふむ、と顎をなでる。不精ひげの感触すらも悪い気がしなかった。
「明日が楽しみだな」
そう笑った俺に、隼人が心底嫌だ、というような視線を向けた。
だが、その瞳の底にある輝きが、態度を裏切っていることに、隼人は気付いていないようだった。


ワイングラスを手に取る。
人工物の輝きでは、目の前の翠の輝きに勝てないようだ。

この子供は、相変わらず面白い。
暫くの間はボンゴレに飼われ早と乗面倒をみるのも悪くないな。
俺はワインを飲み込んだ。
ひどく甘い、味に変わったようだった。





12/07/08