◆彼の椅子と僕の部屋◆ うっとり、とした表情でジーノは椅子へと腰かけた。 先日手に入れた新しい椅子だ。 一見斬新なデザインに見えるが、その実大変機能的であり座り心地も抜群だ。 「やっぱり、とても素晴らしいね」 ほぅと息をつく。 そんなジーノを所在投げに佇んでいた椿が見つめていた。 「どうしたんだい、バッキー」 「あの……」 ジーノの問いかけに何んと答えていいのか分らず、椿は開いた口を閉じてしまった。 急にジーノに呼びつけられた椿は、どうしてだか自分の部屋まで大きな荷物を運ぶ役目を仰せつかったのだ。 ジーノ曰く、明日まで待っていられない、ということだったが。 ならば、何故運び込んだ先がジーノの家ではなく、椿の部屋なのだろうか? 「うん。やっぱり最高だ。この曲線が体にフィットして……ブラボーだね」 椿の困惑をよそに、ジーノは一人椅子の座り心地やフォルムの素晴らしさについて満足の声で惜しみない称賛を与えてる。 「これは恋せずにいられない椅子だね」 満足げに足を組み目を瞑っているジーノを見つめ、椿がやっとのことで口を開いた。 「あのぉ……」 「……何だい、バッキー?」 素晴らしい椅子の座り心地とそれを入手した自分に酔っていたジーノは微かに眉を顰め、椿へと視線を流した。 「あ……。いえ。何でも……」 「……バッキーも座ってみたいの?」 仕方がなさそうに溜息をつき、だが、どこか楽しんでいる風に唇で笑って言うジーノに椿は慌てて手を振る。 「え?いえ、別に」 「仕方がないね。特別に座らせてあげよう」 ジーノは洗練された仕草で椅子から立ち上がり、慌てて拒否をする椿をものともせず椅子へと腰かけさせた。 「ね?」 「はぁ」 すとんと椅子に座った椿の肩に手を置きジーノが顔を覗き込んでくる。 だが、椿にとってはジーノのいう所の素晴らしさを体感できるような心持ちでなく、間抜けな返答を返してしまった。 困ったような顔でまっすぐと見つめてくる椿にジーノ苦笑しつつ、肩をすくめた。 「バッキーにはまだ早かったようだね」 「え?」 「椅子を愛でるのは恋をするのと一緒だからね」 どこか遠くを見つめるように言ったジーノを見つめ、椿の唇がきゅっと引き締まった。 「俺、恋ならしてます」 椿の言葉にジーノが面白そうに、だが微かな真剣さを籠めた視線を向けた。 「へぇ」 「あの、だから」 「だから?」 「だから、……えっと、その」 何と言葉を続ければいいのか椿は分らなくなり、眉を寄せすがるようにジーノを見つめた。 ジーノがふわりと笑った。 「続きがちゃんと言えるようになるまで、この椅子はバッキーの部屋に置いておくことにするよ」 椿の肩からジーノの手が離れる。 立ち去ろうとするジーノの手首を椿は慌てて掴んだ。 「王子」 「ん?」 「俺、 ……好きです」 一瞬の沈黙。 見つめ合う視線。 ジーノの笑い声が響いた。 「駄目じゃないか、バッキー。今そんなこと言ったら椅子の置き場所に困るってしまうよ」 「え?」 くすくすと笑いながら、ジーノが体を屈める。 「でも、ちゃんと言えたご褒美はあげないとね」 キョトンとしている椿へと触れるだけのキスをした。 「ははは。またね、バッキー」 「お、王子」 我に返った椿が椅子から立ち上がった時には、ジーノは手をあげてドアへと消えていってしまった。 一人残された部屋で、残された椅子に座り、椿はそっと唇へと触れた。 |