◆きみをおもふ◆ 休暇前のロッカールームは、どことなく上機嫌で騒がしいものである。 チームメイト同士が他愛のない会話で予定を話し合ったり、帰り支度を急いだりしているのだ。プロのチームとはいえ、今回のような勝ち試合の後では特に、夏休み前の学生のような活気があった。 「ドリさん、休みは何するんすか? 俺は娘と遊園地っすよ」 夏木の元気な声を背中で聞きながら、椿は緊張していた。 ぎこちない動作で着替えをし、1メートル程先にいるジーノへと神経を集中させていた。 そろそろ、いつもの通りならば……心臓がばくばくしてくる。 そんな椿の背中がぽんと叩かれた。 「ひゃっ」 椿は跳ねあがるようにして、後ろを振り返る。 「椿は、何して過ごすんだ?三連休」 びっくりした顔の椿を見て、上機嫌の夏木が話しかけてくる。 「俺は明日は娘とデートなんだぜ。いいだろ。うらやましいだろ。あっ、でも、娘はお前になんてやらないからな」 一気に捲くし立てる夏木に「はい」とも「いえ」ともつかない返事を返す。 「夏木、うるせーよ。早く帰れよ」 黒田が怒鳴りながら、「お疲れさん」と部屋を出ていく。 「そうだよ、ナッツ。かわいそうに、バッキーがびっくりしてるじゃないか」 ジーノが、困ったとでもいうように溜息をつく。 「う、うるさいぞ、ジーノ。俺はだなぁ、」 「あー。はいはい」 夏木の声を遮るように、ジーノは掌をひらひらとさせる。 そんなジーノに夏木は歯を食いしばり悔しそうに睨み、ぱっと眼を輝かせ意地悪そうな顔になる。 「へんっ。お前、オフに予定がないから、俺のこと羨ましいんだろう」 勝ち誇ったように胸を張る夏木に、ジーノは冷たい一瞥を投げかける。 「誰か、誰のことを、羨ましいって。――ナッツ」 「っく。お前が、俺様のことをだなぁ……」 顔を赤くして怒っている夏木に対し、軽く目を伏せ盛大な溜息を吐き出す。 「そう。ボクも君の相手をしている程ひまじゃないから」 悔しがる夏木を無視し、おろおろとしている椿を見て、微笑む。 「じゃぁね、バッキー」 「――あっ」 椿が何かを言う前に、ジーノはするりと立ち去ってしまい……。 「な、何だよ。ジーノのヤツ。お前もムカツクよな、椿っ」 夏木に肩を組まれそうになった。 「あっ。えっと。……ナツさん、すみません」 勢いよく謝り、椿は光の速度で着替えを済まし、ジーノの後を追い掛けた。 「な、何なんだよ。あいつら……」 茫然としている夏木の傍を、チームメイトが次々と通り過ぎていった。 「お、王子」 車に乗り込もうとしているジーノへ、椿は駆け寄る。 「何?」 慌てている椿をじっと見つめる。 「あの……」 その整った顔に見つめられていることを意識した途端、椿の血液が逆流し、どきどきと心臓が脈打つのだ。 「……?」 ジーノは微かに眉を顰めた。 「あ、あの……」 落ちつけ、と自分に言いきかせながら椿はジーノをまっすぐに見る。 軽い、沈黙。 「王子、明日の予定は……」 そこまでが精一杯で、椿は黙ってしまった。 「明日かい?」 「はい」 ジーノが面白そうな少しだけ意地悪そうな顔で椿の目を見た。 「バッキーは?」 「お、俺は特に何も予定がなくて。えっと、だから……あの」 「残念」 ジーノは微笑む。 「ボクは明日、大切な用事があるんだよ」 椿の顔を見つめながら、にっこりと笑った。 「そ、そうですか……。すみません」 ぺこり、と頭を下げる椿に、ジーノの笑いを含んだ声が聞こえてくる。 「どんな用事か、バッキーは興味がないのかい?」 顔をあげ、その端正な顔を見つめる。 ジーノは椿の耳元へと唇を寄せ、囁いた。 「明日は、君のことを想って一人でゆっくりと過ごす予定なんだよ」 バッキー、という余韻を残し、唇を離す。 椿は、少しだけ、ジーノの言葉に混乱をきたした。 「えっ?あの?」 慌ててジーノを見るが椿の混乱をよそにジーノは微笑みながら車のドアを開け、車内へと体を滑りこませた。 「お、王子……?」 ドアを閉める前に、束の間、二人は見つめ合った。 「だから、バッキーも明日はボクのことを考えて過ごしてよ」 どこか和らいだ視線で、ジーノが口を綻ばせる。 「明後日、どの位ボクのことを考えてたか、話にきて」 素敵だろ、とドアを閉める。言葉の意味を咀嚼できないでいる椿を残し、ジーノは車のエンジンを入れた。 数センチ、窓が開く。 「バッキー。来るときには電話してね」 硝子の向こうでジーノが笑う。 「は、はい」 直立不動で返事をした椿を残し、ジーノの車は低い轟音を立てながら駐車場から走り去っていった。 椿も、立ち去った。 自分では思いもつかないジーノ流の休暇の過ごし方に、どきどきしながら。 090518
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