きみをおもふ




休暇前のロッカールームは、どことなく上機嫌で騒がしいものである。
チームメイト同士が他愛のない会話で予定を話し合ったり、帰り支度を急いだりしているのだ。プロのチームとはいえ、今回のような勝ち試合の後では特に、夏休み前の学生のような活気があった。
「ドリさん、休みは何するんすか? 俺は娘と遊園地っすよ」
夏木の元気な声を背中で聞きながら、椿は緊張していた。
ぎこちない動作で着替えをし、1メートル程先にいるジーノへと神経を集中させていた。
そろそろ、いつもの通りならば……心臓がばくばくしてくる。
そんな椿の背中がぽんと叩かれた。
「ひゃっ」
椿は跳ねあがるようにして、後ろを振り返る。
「椿は、何して過ごすんだ?三連休」
びっくりした顔の椿を見て、上機嫌の夏木が話しかけてくる。
「俺は明日は娘とデートなんだぜ。いいだろ。うらやましいだろ。あっ、でも、娘はお前になんてやらないからな」
一気に捲くし立てる夏木に「はい」とも「いえ」ともつかない返事を返す。
「夏木、うるせーよ。早く帰れよ」
黒田が怒鳴りながら、「お疲れさん」と部屋を出ていく。
「そうだよ、ナッツ。かわいそうに、バッキーがびっくりしてるじゃないか」
ジーノが、困ったとでもいうように溜息をつく。
「う、うるさいぞ、ジーノ。俺はだなぁ、」
「あー。はいはい」
夏木の声を遮るように、ジーノは掌をひらひらとさせる。
そんなジーノに夏木は歯を食いしばり悔しそうに睨み、ぱっと眼を輝かせ意地悪そうな顔になる。
「へんっ。お前、オフに予定がないから、俺のこと羨ましいんだろう」
勝ち誇ったように胸を張る夏木に、ジーノは冷たい一瞥を投げかける。
「誰か、誰のことを、羨ましいって。――ナッツ」
「っく。お前が、俺様のことをだなぁ……」
顔を赤くして怒っている夏木に対し、軽く目を伏せ盛大な溜息を吐き出す。
「そう。ボクも君の相手をしている程ひまじゃないから」
悔しがる夏木を無視し、おろおろとしている椿を見て、微笑む。
「じゃぁね、バッキー」
「――あっ」
椿が何かを言う前に、ジーノはするりと立ち去ってしまい……。
「な、何だよ。ジーノのヤツ。お前もムカツクよな、椿っ」
夏木に肩を組まれそうになった。
「あっ。えっと。……ナツさん、すみません」
勢いよく謝り、椿は光の速度で着替えを済まし、ジーノの後を追い掛けた。
「な、何なんだよ。あいつら……」
茫然としている夏木の傍を、チームメイトが次々と通り過ぎていった。





「お、王子」
車に乗り込もうとしているジーノへ、椿は駆け寄る。
「何?」
慌てている椿をじっと見つめる。
「あの……」
その整った顔に見つめられていることを意識した途端、椿の血液が逆流し、どきどきと心臓が脈打つのだ。
「……?」
ジーノは微かに眉を顰めた。
「あ、あの……」
落ちつけ、と自分に言いきかせながら椿はジーノをまっすぐに見る。
軽い、沈黙。
「王子、明日の予定は……」
そこまでが精一杯で、椿は黙ってしまった。
「明日かい?」
「はい」
ジーノが面白そうな少しだけ意地悪そうな顔で椿の目を見た。
「バッキーは?」
「お、俺は特に何も予定がなくて。えっと、だから……あの」
「残念」
ジーノは微笑む。
「ボクは明日、大切な用事があるんだよ」
椿の顔を見つめながら、にっこりと笑った。
「そ、そうですか……。すみません」
ぺこり、と頭を下げる椿に、ジーノの笑いを含んだ声が聞こえてくる。
「どんな用事か、バッキーは興味がないのかい?」
顔をあげ、その端正な顔を見つめる。
ジーノは椿の耳元へと唇を寄せ、囁いた。
「明日は、君のことを想って一人でゆっくりと過ごす予定なんだよ」
バッキー、という余韻を残し、唇を離す。
椿は、少しだけ、ジーノの言葉に混乱をきたした。
「えっ?あの?」
慌ててジーノを見るが椿の混乱をよそにジーノは微笑みながら車のドアを開け、車内へと体を滑りこませた。
「お、王子……?」
ドアを閉める前に、束の間、二人は見つめ合った。
「だから、バッキーも明日はボクのことを考えて過ごしてよ」
どこか和らいだ視線で、ジーノが口を綻ばせる。
「明後日、どの位ボクのことを考えてたか、話にきて」
素敵だろ、とドアを閉める。言葉の意味を咀嚼できないでいる椿を残し、ジーノは車のエンジンを入れた。
数センチ、窓が開く。
「バッキー。来るときには電話してね」
硝子の向こうでジーノが笑う。
「は、はい」
直立不動で返事をした椿を残し、ジーノの車は低い轟音を立てながら駐車場から走り去っていった。
椿も、立ち去った。
自分では思いもつかないジーノ流の休暇の過ごし方に、どきどきしながら。


090518








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