綺麗な男




綺麗、という言葉で表現される男がいることを椿は初めて知った。
その綺麗な人が、今、自分の目の前にいて、微笑んでいる。
ちらりと視線を上げると、まともに正面から黒い瞳とぶつかってしまい、椿は眼を見開いたまま、彼に魅入られるのだ。
じっ、と目を合わせたまま……。
「どうしたんだい、バッキー」
美味しい食事には適度なアルコールが不可欠であると考えている男はワイングラスを操る指も優雅に、小首を傾げた。
まるで少女のようなあどけない仕草なのに何の違和感もない。とてもよく似合っている。
問いかけに答えない椿に、微かに眉をひそめ、ジーノがコトリとグラスを置く。
ひらひらと白い指を舞わせるように伸ばし、椿の頬へと触れた。
「――っあ」
ひやりと冷たい感触に、椿の意識が戻ってくる。
「バッキー?」
どこか咎めるような拗ねたような口調で、だがその底には椿に知られないよう慎重に隠されている愉悦を含んだ一言。
「すみません」
頭を下げるような勢いで、さすがに食事中にそれはまずいということを椿は弁えているので実行に移さなかったが、謝る。
「何で謝るんだい?」
謝ってみたものの、今度は謝罪の意をジーノに問われ口ごもってしまう。
「あの…その」
ジーノの前では、いつもこんな風になってしまうのだ。椿は眼を伏せ、唇を噛みしめる。問いかけ一つ、まともに答えられない自分が嫌になってしまう。
そんな椿の周囲で、空気が揺れた。
両頬が彼の人の掌で包まれている。
伏せられていた椿の眼が、ジーノのそれと出会う。
「バッキー」
ふわりとジーノが微笑んだ。
その微笑みが、再び椿を魅了する。
「お……うじ」
ジーノが、何だい、とでもいう風に微かに頭を動かした。
見つめられている。
黒い双眸が椿を見ている。
その事実に、椿の体温が急激に上昇し、ひどく慌ててしまった。
「あ、あの、その、だから」
慌ててしまい、益体もない言葉だけが虚しく宙に舞う。
「……バッキー」
ふぅ、とジーノが息を吐き出し、ぎゅっ、と椿の両頬を優雅な指先で摘み伸ばす。
「ほぉ、ほうじ?」
頬を抓られ間抜けな声になってしまう。
「正直に言わない子は」
ニコリとジーノは笑い、意地悪そうな笑みだと椿は思った、更に彼の頬を抓りあげる。
「っ」
涙腺を刺激されるのか、椿の目に涙がたまってくる。
ジーノはもう一度艶やかに笑う。
「お仕置きだよ」
口調も楽しげに、抓りあげた椿の頬をぴんっと放す。
椿は微かに痛みの残る頬へと触れた。
「お、王子……」
瞳を潤ませながら、しゅんとした表情でジーノを見つめた。
「で、何なんだい?」
少し睨むような視線でジーノが問いかけた。
「えっと……」
「バッキー」
ジーノの口調が強くなり、視線に剣呑さが混じってくる。
やばい、と椿は慌てる。
短くも密度の濃い付き合いから、ジーノが怒り出す瞬間を見極められるように、とはその兆候に気付かず本気で怒らせてしまうこともままあるのだが、なっていた。
「綺麗だな、って」
慌ててしまい、音量の調節ができず、大きな声になってしまう。
「だから、王子が、その。……綺麗だと思って」
今度は小さすぎて、段々と声が消えていく。
そんな椿の様子を怪訝そうな顔で睨んでいたジーノが、吹きだす。
「バッキー」
まったく、とでもいうかのように小さく嘆息し、続けた。
「僕が綺麗なんて、なんという当たり前なことを言うんだい」
フフ、と笑った。
「あっ……すみません」
俯き、謝る。
「まぁ、でも」
ジーノは椿を面白そうに眺め、テーブルに置いたグラスへと優雅に手を伸ばす。
「悪い子にはお仕置きだけど、良い子にはご褒美をあげないとね」
グラスから一口。
ワインを口に含む。
そのまま上体を伸ばし……。
「えっ?」
椿の顎へと指を添え、唇を合わせた。
合わさった唇を舌先で撫でると、椿のそれが微かに開く。
赤い液体を、流し込む。
コクリ。
椿が嚥下する時には、彼の唇はもう離れてしまい。
「――王子?!」
驚く椿を尻目に、艶然と。
「ん?」
誘うように瞳を細める。



綺麗、という形容される男が、同時に、意地悪である、と改めて認識させられたのだった。
そして、その意地悪ささえも、ひどく魅力的である、と。

抗えない勢いで魅了されている自分を自覚し、椿は己から逃げていくたジーノの白い手首を追うように、それを捕まえた。


090809








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