◆鼓動の意味◆ 「あ、王子。お疲れ様です。TV見てました」 比喩ではなくご主人さまを見つけたわんこのような喜色を全身で表わし、椿はタクシーから降りてきたジーノへと駆け寄った。 「バッキー……」 微かに疲れたような表情でジーノが笑った。 疲れてもいるだろう。オールスター戦に出たその足ですぐに帰ってきたのだ。 いつものバスでの移動と違い、新幹線だったことも疲れの要因になっているかもしれない。 椿は、心配そうにジーノを見た。 ジーノが目を閉じる。 流れるように、倒れこむように、椿へと腕を広げ。 ――ぎゅっと抱きしめた。 「お……うじ?」 ジーノのスキンシップに慣れたつもりの椿であるが、不意の行動はやはり面喰ってしまう。 バサリ、と椿の背後でジーノの手に持っていた鞄の落ちる音がした。 ドキリ、と心臓が縮上がる。 椿を抱きしめるジーノの力が強くなる。 心臓が、今度は、どきどきしてきた。 ジーノの顔が椿の首へと埋まる。 鼻腔をつく、シャンプーの香り。頬に触れる、柔らかな髪の感触。 肌にかかる、暖かい吐息。 心臓の鼓動が速くなり、椿の体温が一気に上昇していく。 「バッキー」 くぐもった声が振動となり、椿へ直接伝わってくる。 普段のジーノとは微かに違う声の調子に、鼓動の早まっている心臓に、少しだけ違う感覚が広がっていく。 自分に抱きついてきているジーノをとても大切にしたいような、守ってあげたいような、そんな感覚であった。 「……はい」 「バッキーは、壊れないでね」 「え?」 言葉の意味が分からず、でも、ジーノの彼に似合わない悲しさのようなものが伝わってきて……。 「王子、俺は大丈夫です」 何故だか椿は自信を持って、そう言い切った。 ジーノが、笑った。ような気がした。 椿の肌にかかる彼の吐息に、微かな笑みが含まれているような気がしたのだ。 「……王子」 恐る恐る、ジーノの感情を、行動を労わるように椿がその背中へと手を触れた。 少しだけ椿の手の感触を味わったジーノは、自分の腕から力を抜き、トントンと彼の背を軽く叩いた。 体を離すと、ジーノはいつものジーノに戻っていて、床に置いた鞄を手に持った。 「バッキー、これ」 おみやげ、とでも言うように自分の鞄を椿へと預ける。 そして、そのままマンションのエントランスへ入り、セキュリティを解除する。 すたすたと解除された自動ドアへと歩いていくジーノへ椿が恐る恐る尋ねる。 「あの……王子?」 「何?」 不機嫌そうな声音を隠そうともせず、ジーノが眉を顰めた。 「俺は……どうすれば……」 どうしていいのか戸惑っている若者にへ、ジーノは大げさに溜息をつく。 「あのね、バッキー。部屋まで来ないか、って誘われないと君は分らないのかい? 大体、僕のバッグを持ったままじゃないか……」 あきれた、と苦笑する。 そんなジーノの表情の移り変わりに一喜一憂しながら、椿は「すみません」と謝る。 ジーノは、それこそ困惑したという風に肩をすくめる。 「早く来ないと閉まっちゃうよ」 一歩踏み出すと、自動ドアが閉まり始め、椿は慌ててジーノの隣へと駆け込むのだった。 「さすが、速いね」 軽い褒め言葉に椿は真っ赤になりながら、「いえ……それ程でも」と口の中で呟く。 その様を見ながら、ふっとジーノが真剣な表情になった。 「バッキー」 「……はい?」 「今日は、ずっと一緒にいてね」 椿はじっとジーノの美しい瞳を見つめる。その瞳の奥に未だにある、何かを悲しむ光を……。 彼の鞄を握る手に力を込める。 「はい」 元気よく返事をすると、ジーノは嬉しそうに笑った。 090911
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