茶色の想い




「なぁ、後藤」
本来の向きとは反対側に座った事務椅子をギシリと回転させ、仕事をしている後藤へと遠慮なしに達海が話しかける。
「何だ?」
手元の書類から目を上げ、後藤は律儀に問い返した。
達海が監督となりクラブハウスに住むようになって、こんな光景も日常と化そうとしている。
仕事の手を止められて非効率的だとか思う前に、立場は違えど達海と同じ目的を持って仕事ができることを、そして、昔のように気安く話せる時間を後藤は有難いと思っていた。
だから、どんなに仕事が溜まっていても、この時間を大切にしたいような、そんな気持ちになっていた。達海との空白の時間の長さは後藤の意識の埒外で、大きく成長していたのだ。
「何かさ、有里がコレくれたんだけど」
椅子をくるくると左右に回転させながら、眺めたり持ちかえたりしていた小さな包みを後藤へと差し出した。
達海の差し出したそれは、後藤ですら知っている有名チョコレート店の包装がされているものであった。
「チョコレート、だろ?」
微かに溜息をついた後藤へ、むっとしたような顔で達海が唇を尖らす。
「んなことは俺でも知ってる」
「ん……?じゃぁ、何だ?」
まさかこの年になってチョコレートを貰った自慢でもあるまい。
今度は後藤が首を傾げる番であった。
「だから」
物分かりの悪い、と達海は思っている、後藤に対し、嘆息する。
「だから、何でチョコレートなんかくれるんだ?って話」
どうせ貰うなら、アイスのがよかったぜ、と可愛げのない言葉を呟きながら右手に持っていた包みを左手へと渡した。
「へ?」
達海の言葉に、まさかまさか、本気のチョコレートだと思っているわけではないだろう、と後藤は更に困惑し、心の中でその仮定を打ち消した。
それでは、この男は、もしかして2月14日のチョコレートの意味そのものを理解していないということなのだろうか。
「バ、バレンタインデーだから、だろ」
後藤は何気ない風に確認してみる。
「はぁ?バレンタインデー」
やはり、というか、案の定、というのか、辰巳は眉を寄せ、手元の包みを睨みつけた。
「ほら、女の子が好きなヤツにチョコレートをあげる日だよ。お前も現役時代沢山貰ってただろ?」
達海の記憶を蘇らせるよう、誘導してみる。だが、達海の眉間の皺はますます深くなっていく。
「……オレ、貰ってたっけ?チョコレートとか」
あれだけ貰っていたチョコレートを本当に忘れてしまっているのか、それとも照れていてとぼけているだけなのか、長い付き合いの後藤にも判然としかねる表情で達海が問い返す。
「達海……」
大きくため息をついた後藤に向い、一瞬むっとした表情を作ったものの、次の瞬間、にやりと人の悪い笑みを浮かべた。
「何だ、後藤。お前焼いてるのか?」
達海のどうとでも取れる発言に、後藤は返答に迷った。
もう一度、溜息をつく。
「3月14日」
「え?」
「3月14日。有里ちゃんにちゃんとお返しあげるんだぞ」
何だよそれ、とぶつぶつ言う達海に、後藤は笑いかけた。
「忘れるなよ」
机の上の書類を片付け、椅子から立ちあがる。
「俺は帰るけど、お前は?」
スーツの上着を羽織りながら尋ねた。
「んー、オレは……どうすっかなぁ」
くるんと椅子を回転させ、達海が天井を向いた。
「メシでも食ってくか?」
後藤の言葉に、すっくと椅子から立ち上がり、「お前のおごりならな」と笑う。
ああ、仕方がない、と思いつつ、後藤は肩をすくめると荷物をまとめた。
「行くか」
「おう」
肩を並べ歩く。
「なぁ、お前も誰かからチョコレート貰ったのか?」
何でもない世間話のように達海が尋ねてきた。
後藤は達海の顔をちらりと見る。
「……さぁ、どうだろうな」
珍しく素直らしい達海に、珍しく意地悪をしたくなって、後藤は答えをはぐらかした。
子供のように達海の頬が膨れる。
「何だよ、お前貰ってないのかよ」
勝ち誇ったように、そして、少しだけ安心したように達海が笑った。
そして、後藤も和やかに笑うのだった。


100214








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