渇き




夜中に目が醒めてしまった。
喉の渇きを覚えている。
一度眠ってしまえば熟睡してしまうジーノにとって、滅多にないことだが、未だだるさを憶えている体に、喉が渇くのも仕方がないことだ、と苦笑した。
いくら明日がオフだからと言っても、そして彼らが体力を売り物にしているスポーツ選手だとしても、過度の運動は禁物である。
それなのに……。
「まったく。――仕方がないね」
ジーノは気だるさを感じる体を布団の中で動かした。
ああ、やっぱり今日はオーバーワークだったな、とため息をつく。
隣に目をやれば、心地よい眠りについているらしい椿の姿があった。
その姿を上から覗き込むように動く。
さらりとシーツが素肌から滑り落ち、直接外気に触れた肌から体温が一瞬奪われる。
目を凝らさなくとも、不夜城である都心の明かりが薄らと差し込んでくるこの部屋では、椿の顔がよく見てとれた。
紅顔の、というには少しだけ精悍さが表れ始めている頬に光が反射する。
満ち足りた様子で、安らかな健康的な眠りの中にある椿の顔をじっと見つめた。
見つめているうちに、思わずジーノの顔から笑みが漏れた。
あどけない寝顔を見ていると、不思議な気持ちになってくる。
まだ柔らかさを残している頬へと、指を乗せる。微かな弾力を感じ、慈しむように撫でた。
その行為に、意味はなく、ただ起きてしまった無聊を慰めるにすぎないのだ。
微かに、湧き上がってくる感情。シンプルなエレガントさとはかけ離れたコンプリカートな感情。
そんな感情の正体にジーノは気付きたくなくて、自分の気持ちに蓋をした。少しだけ慌てて。
それにしても、ジーノともあろう者が深夜に目覚めて自分の気持ち一つ持て余すとは。
「まったく。……バッキーは将来大物になるかもね」
安眠を貪る椿のあどけなさが憎らしくなり、ぎゅっ、と鼻梁を摘まんだ。
椿の眉が顰められ、もぞもぞと動き出す。
「バッキー」
はっきりと、きっぱりとした口調で声に出し、ジーノは椿の覚醒を促した。
「バッキー」
耳元で、もう一度。
薄らと椿の瞳が開く。覚醒しきっていない瞳が茫洋とジーノを眺めている。眺めてるだけで、状況の把握はできていないようだった。
「バッキー」
椿の瞳を覗き込むと、はっとしたように黒い瞳が見開かれた。
「お、王子……!」
慌てて跳ね起きた椿の様子が可笑しくて、ジーノから笑みが毀れた。
きょろきょろと周囲を見回し、未だ夜が明けていないことに不思議そうに首をひねった。何事かを考えるように、きゅっと眉を寄せる。そして、不安そうな瞳をジーノへと向けるのだ。
「あ、の……」
「ねぇ、バッキー。ボク喉が乾いちゃったみたい」
椿は不安そうな面持ちのまま従順な瞳で、ジーノを見ている。
「冷蔵庫に水が入ってるから取ってきてくれる」
「はい」
明確な指示を出されたことに安心したらしく、彼のことだ、恐らく何かジーノの気に障ったのではないかとびくびくしていたに違いない、元気の良い返事をし、椿がベッドから飛び降りた。
今にも駆けださんばかりの後姿に向かい、ジーノは「青いパッケージのボトルだよ」と指示をした。
くるりと振り向き、「青いのですね」と念を押す。その神妙な面持ちがやはり可笑しくて、ジーノは微笑んだ。
そして、肩肘を突くようにして寝そべると、小さく息を吐いた。
バッキーはまだまだだね、と。
どこか安心したような気持ちで、思うのだった。


100220








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