勝利の女神




アウェイでの試合の際、東京に近ければ試合後東京まで帰ってくるのだが、スタジアムが日本全国にあるため、時には試合前の前泊、後泊が生じることもの多かった。
リーグの中でも弱小であるETUは、オーナーが全国展開のホテルを持っているわけでも、充分な資金に恵まれているわけでもないので、中の上位のホテルに泊まることが多かった。
幸いなことに、東京を拠点としているため、高い都内の宿泊代に経理が頭を悩ませなくてすみ、地方都市ではそれなりに快適に過ごすことができるのである。
尤も、ジーノなどにとっては不満も多いのだろう。宿泊地への注文はつけるだけつける癖に、いざ、ホテルに着いてみると、意外にもすんなりと決めごとを受け入れるのだった。いつもの我儘ぶりからすると奇妙なことであるが、決まってしまったことに無駄な抵抗をしても仕方がない、無駄な体力を使うより、与えられた環境の中で一番いい所を選べばいいのだ、という独特の哲学、というよりもなまけ根性によるのだった。
それでも、やはり、「次はもっといい部屋にしてよね。ジャグジーとか付いてるトコ」という憎まれ口は忘れないので、フロント陣から扱いにくい選手として認識されているのだが。
だから、今回の遠征で、どうしても部屋数が足りず、あのジーノでさえ相部屋にしなくてはならない事態になった時、フロントのついた溜息は深かった。
そんなフロントの、主に後藤の心配もよそに、監督は「ま、仕方ないんじゃない」と軽く部屋割りリストを受取り、ホテルに着くとこれまた軽い調子で発表し、部屋の鍵を渡していったのだ。 
「集合は一時間後。バスで移動するから、遅れるなよ。解散!」
達海の号令の元、選手たちがそれぞれの部屋に散っていく。散っていく、といっても、ぞろぞろとエレベーターホールに移動することになるのだが。
「バッキー」
「は、はい」
ジーノに呼び止められ、椿はびくりとして返事をした。ジーノと同室と分かってから、緊張のあまり心臓がドキドキして、仕方がない。
「ボク、疲れちゃったから、その荷物部屋まで持ってくれる?」
「うっス」
優雅に指を翻し、小さなバッグを示した。
自分のスポーツバッグを斜めにかけ、椿はジーノの荷物を持つ。一晩の荷物にしては、随分と小さいなバッグに椿は首を傾げた。
「意外?」
「はぁ……い、いえ」
同意しかけそうになって、慌てて頷く椿を面白そうに眺め、ジーノが嘯く。
「ボクって生活がシンプルだからね」
二人の遣り取りを見ていたチームメイトから椿は気の毒そくな視線を 集めたが、それに気づく余裕もなくジーノの後を追った。



椿が二人分の荷物を置く。ジーノのバッグは、荷物置きに。自分の分は無造作に床に置いた。
ドアをノックする音がして、椿は反射的にジーノを見た。彼は、さっさと窓際のベッドを取ると、カーテンを開けて、それなりによく見える景色を検分してる。
椿は、ドアへと向かい、扉を開けた。
「お荷物をお持ちいたしました」
ベルボーイが、小さなトランクを持っていた。
「えっ?」
反応に困っている椿に、ベルボーイは「ルイジ吉田さまのお荷物でございます」と告げた。
「は、はい。ありがとうございます」
「中までお持ちいたします。失礼いたします」
礼儀正しいベルボーイを椿は部屋に入れ、トランクが置かれるのを見守った。
「失礼いたしました。よい、御滞在を」
と、一礼する彼に、椿もお辞儀をしてしまう。
ドアを閉めると、カチリというオートロックの掛かる音と、一息ついた椿の溜息が部屋に響いた。
「王子……。その、トランクが」
「ああ。ありがとう、バッキー」
悠然と微笑みと、ジーノはいつの間にか取り出した鍵でトランクを開けた。
「いくら遠征先でも、生活スタイルを崩すとプレイに影響が出るでしょ?」
ボクって繊細だから、と手際よくトランクに詰められていた愛用品を、所定の位置へ納めていく。機能的というよりは殺風景に近かった部屋が、たちまちジーノのセンスで埋め尽くされる。
どこにいても、何をしていても自分のペースを守るジーノを、椿は素直にスゴイと思うのだった。他の者からすればただの我儘ということになるのだが。
「……バッキーは用意しなくていいの?」
ぼうっと立ったまま、ジーノの動きに見とれていた椿に、不敵に笑いかける。
「あ、はい」
これから練習があるのだ。
ジーノに見惚れている場合ではない。
「バッキー、もしかしてボクに見惚れてた?」
「えっ」
どうして分かってしまったのだろう、と椿は驚き、赤面した。そんな椿にジーノは頬を緩めながら近づく。
「バッキー」
「はい」
じっと見つめられる。同じ黒い瞳なのに、自分のそれとは輝きが違って見えるジーノの瞳へと吸い寄せられていく。
「今日は勝とうね」
ふわりとジーノが微笑んだ。勝利の女神のようなその微笑みに、椿はやはり見惚れてしまう。
「はい」
見惚れながらも、確りと頷いた。
その頷きの確かさを見て、ジーノが微かに目を細め、唇を寄せた。
軽く、挨拶のように軽いキスをする。
その感触は、忽ち幻のように消えてしまった。
「王子?」
驚いたように、椿が問いかける。ジーノが試合直前にこんなことをしてくるのは珍しい。試合に際しては、徹底的にストイックな態度で臨むジーノである。例え人からは気まぐれと思われたとしても、本質的には厳しいプレイを自分にも課しているのだ。ただ、相手やチームメイトがジーノの求める厳しさについてこれなくなった途端、怒ることもなく、ただやる気をなくしてしまうという困った性質なだけで。
それ故、ジーノが試合の前の、部屋に二人きりだとしても、こんなことをしてくるのはとても珍しいことなのだ。
「勝利のおまじない」
不思議そうにしている椿へと、ジーノは艶やかな笑顔を向けた。
「嫌だった?」
それでも反応しない椿に、微かに不安げな面持ちでジーノが問うた。その表情に椿は我に返り慌ててジーノの言葉を否定した。
「や、いえ。全然イヤじゃないです」
「バッキーだけの、スペシャルだからね」
「は、はい」
もう一度、艶やかに笑い、さぁ、早くしたくしなよ、と椿を急かした。
そしてジーノも自分の支度をし始め……。
「ねぇ」
荷物を仕分けしている椿へと、声をかけた。
「はい?」
「ちゃんとバッキーだけのスペシャルな勝利のご褒美も用意してあるからね」
更に艶やかに唇だけで笑うと、真っ赤になっている椿を尻目に楽しそうに支度を再開するのだった。


100411








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