◆キミハボクノモノ◆ 「バッキー、どうしたんだい?」 「えっ」 「ぼうっとしてたよ」 炭酸水の入った瓶を片手に、ジーノが怪訝そうな顔をしてみせた。たかだか水を飲んでいるだけなのに、なんと絵になることだろうと見惚れてれいたなどと、椿は口にすることができるはずもなく。 「すみません」 と、ちょっと赤くなって下を向いた。 「ボクに見惚れてた?」 たやすく椿の思惑を看過したジーノが、ふふふと微笑む。 椿は更に頬を染め、「はい」と消え入りそうな声で俯く。 先刻まで啼かされていたのは自分なのに、この青年の不思議な性格を思いジーノは微笑んだままじっと椿を見つめた。 そんなジーノの視線に気づき、これ以上ないほど照れた椿がシーツに顔を埋めた。その頭をジーノは抱き寄せた。 あんなに果敢だったのに、今はこんなにあどけない。本当に椿は興味深い。ちょっとしたメンタルの揺れが、素直に行動に出てしまうのだ。ピッチの上でもベッドの上でも。 試合中は揺れてばかりいられたら困るのだが……。 ふぅ、と小さくついたため息が椿に伝わり、不安そうな瞳がジーノを見ている。まるで小動物のような純粋さに心打たれ、椿の額にキスを落とした。 「おうじ……?」 同時に、笑っていたかと思えば、ため息をつき、そして椿に優しくする。不意打ちのようなジーノの行動に椿は慣れてきたつもりだったが、こういう時どうしていいのか分からないのはいつもの如くであった。 気紛れのようなジーノの言動にいつまでも右往左往してしまう自分が情けなく嫌になってしまう。 だけど、こうやって優しくされるのが嫌ではない自分もいて、ジーノの気紛れの分だけ椿の心が乱されてしまう。 こうして優しくされてると、自分でもヘンだと思うのだが、優しくされた分だけ不安が募ってくるのだ。 どうして、こんなに素敵で完璧な人が自分なんかと一緒にいてくれるのだろうか、と。 早くジーノに相応しい人間にならないと、飽きられてしまうのではないか、と。 だが、どうやったらジーノに相応しい人間になれるのかが分からない。 人間として相応しくなれないのならば、せめてピッチの上では、と思うものの、これもあまり上手くいっているとは言い難く。 椿はいつでも不安に押しつぶされそうになってしまう。 「バッキー」 ジーノの声に避難の色が加わっている。 怒らせた。反射的に体を硬直させた椿の筋肉の動きがジーノに伝わる。 なんという素直な青年なのだろうか。 心と体がここまで直結している人間は滅多にいない。これがいい方向に発揮されれば最高のプレイをみせる秘密なのだろう。 「何を考えていたんだい?」 別段、怒っていないということを伝えるために、ジーノは声に笑いを忍ばせた。 ジーノの気持ちを敏感に察し、椿が安堵するのが分かる。 「俺、……王子に相応しいのかな、って」 消え入りそうな声で、言う。 椿の根源的な疑問を口にできる素直さを、ジーノはこの上ない美徳だと思っている。そして、いつまでも自信のなさそうな情けなさも、最近ではそれなりに気にいっているのだ。二人の時間に限ったことではあるが。 「バッキーは、ボクが誰とでもこんなことすると思っているの?」 逆説的に問いかけると、ジーノの言葉をゆっくりと椿は咀嚼し、突如として慌てふためく。 どうしたらこの青年に、今の自分は君のものだと知らせることができるのだろうか。ジーノは美しい透明度の高い目で椿を見つめた。 「キスマーク……」 「えっ?」 ジーノの言葉の意味が分からず、椿がジーノを見た。薄暗い部屋の中で、視線が絡まり合う。 「付けてもいいよ」 ふわりとジーノが微笑んだ。 「王子、それ、どっかにぶつけたんですか?」 練習後の更衣室。ジーノの肩にある微かな鬱血を世良が見咎めた。 「ああ、これ」 指先でその痕をなで、ジーノは妖艶に笑った。そして、一見シンプルに見えて実は計算されつくしたカットのシャツを優雅に着ていく。 「昨日ちょっと犬に噛まれてね」 「は?」 ふふふと笑いながら去っていくジーノに煙に巻かれ、世良は傍にいた椿に「あんなトコ、犬に噛まれるのか?」と真顔で尋ねた。 問いかけられた椿は、何も答えられずに顔を赤くし俯いた。 100924
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