好みの問題




「後藤、後藤」
ふらりと後藤の傍に現れた達海が、漫然と後藤を呼んだ。
達海がこういう口調で彼の名前を呼ぶ時には、ろくなことが起きないといのを知っている後藤は、それでも、律儀に書類から顔をあげ、にやにやと笑っている達海へと顔を向ける。
「......どうした?」
そして、律儀にも、達海へと問いかけてしまうのだ。
後藤の反応を待っていたように、達海はにやりと笑い、空いていた隣の椅子を回転させながら後藤へ体を向けるように、ぞんざいに腰を下ろした。
笑いを引っ込めると、達海は真剣な表情を作り、後藤を凝視した。
「ど、…...どうしたんだ?」
流石は監督、と思わせる鋭い視線に思わずたじろいてしまう。
だが達海は後藤の問いかけには答えず、眉を寄せて彼の顔を睨むと、おもむろにその頬へと手を伸ばした。
むぎゅ、という効果音が付きそうな勢いで、骨太な頬を両手で挟んだ。
「達海?」
彼の気紛れさと突拍子もない行動には慣れているつもりの後藤であったが、目的の分からぬ行動に、反応できずにいた。
そんな後藤の目を睨みながら、達海がどこか拗ねたように唇を歪ませる。
ぎゅっと両手で挟んだ頬に力を加えた。
後藤の顔が少しばかり変形する。
痛いわけではないが、これはどのような感情の結果による行為なのか計りかねていた後藤は、されるがまま、不自然な体勢で達海の方を向いていた。
茶色がかった色素の薄めな瞳の奥を探る。
数秒、視線が対峙する。
「あー、やっぱ、ダメだ」
不意に、達海が後藤の頬を離し、椅子の背にこれ以上ないという風にだらりと凭れかかり弛緩した。
それでも、後藤を睨みながら唇を尖らせる。
「何だよ、一体」
狐につままれたような後藤は、椅子を回転させると達海と向かい合った。
「何でもない」
何でもないわけはないことが丸分かりである子供じみた口調で達美が言う。
「どうしたんだよ?」
微かに笑い、後藤は問いかけた。
ひどく老成した一面があるくせに、達海はいつまでも子供のように、自由なのだ。
「んー。……」
達海が頬を膨らませる。
観念したのか、がばりと前へと飛び出し、後藤の顔を正面から見据えた。
「やっぱ、ゴトーの顔好きだなって」
ぽつりと呟くと、そのまま椅子から立ち上がり、達海はさっさと部屋から出て行ってしまった。
達海の言葉を咀嚼する間もなく取り残された後藤は、ポカンとしていが、彼の言葉を理解すると不意に頬が熱くなるのを感じた。
脱力するような感覚が襲い軽く目を閉じる。
少し頭が働き始めると、今度は好きとは何だ、とか、顔しか好きではないということか、とか色々な疑問が沸き上がってくる。
高まる動悸とぐるぐるし始めた頭を落ち着かせるかのように、顔を掌で覆うと深呼吸をする。
掌で顔を覆ったまま、さて、どうしようか、と考えた。
今日はもう、仕事は手に付きそうにないのだ。
後藤はもう一度、深呼吸をし、机に向かうと手早く片付けを始めた。


110416








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