浸透圧




他愛のない会話から、ふっと、空気が変わる瞬間。
軽やかな適度な温度の空気が、一瞬にして重く、濃度を増す。
そんな瞬間が、椿は苦手だった。
否、苦手なのではなく、上手く対応ができないのだ。
合図がなくても、空気が変わったこと位は分かる。
分かるのだが……戸惑ってしまう。
今もそうだ。
ジーノお薦めの映画を見て、白黒で外国語で難しかったが椿にとっても面白く感じた、お薦めのワインを飲んで、難しいことは分からずただ美味しいなと思っただけだが、一緒にソファに、椿には想像もつかないような高価なものふだがデザイン性などは分からずただ座り心地が良いと思う、座っている。
映画がエンドテロップを流している。
「やっぱり、この監督はスゴイね……」
「はぁ……」
「何でもない映像なのに、すごく計算されてるんだよね」
ほっそりした長い指を顎に当て、ほぅと息を吐くジーノに、椿は、正直見惚れてしまい、はい、と、いいえ、の中間のような曖昧な返事になった。
そんな椿へと顔を廻らせ覗きこんだ。
椿と目が合うと、ジーノの顔に微かな笑みが浮かんだ。
どきり、とする。
ああ、この感じ。
急に空気中の成分が重くなって密度が濃くなる、この感じ。
戸惑ってしまう。
「あ……あ、お……」
ジーノの顔が近付いてくる。
どうしよう……。
瞼が伏せられ、長い睫毛が揺れているのが分かる。
椿は、もじもじとして、思わず後ずさってしまう。
空気が止まる。
息が、詰まってしまいそうで……。
「あっ」
「バッキー?」
責めているわけでも、詰っているわけでもない、不思議そうな口調。
「あ……す、すみま」
謝罪の言葉を図べて口にするよりはやく、唇はジーノに塞がれてしまった。
一瞬、息を飲む。
「いや?」
唇を離し、至近距離で発せられる言葉。
吐息が当たる。
「お……王子」
椿はジーノの背中へ手をまわす。
「好きです……」
椿の絞り出すような声に、ジーノは破顔した。
それを合図に、椿は戸惑うことなく密度の濃厚な空気へと溶けていった。


110508








+戻る+