◆夏の日の◆ ちりん。 手にした風鈴が小気味よい音を立てる。 椿は嬉しくなり、風鈴を吊るし持ったまま道を歩いた。 時折人にぶつかりそうになるが、持って生まれた運動能力で巧みに回避する。椿が人を避ける度、風鈴が音を奏でるのが楽しくて、自然と顔が綻んできてしまう。 これでは不審人物だと思われてしまう、と思いながら顔の筋肉を引き締める。 すると普段以上の固い表情になってしまい、強ばった表情を柔らかくする。 「バッキー」 「え?」 不意に名前を呼ばれ、椿はきょろきょろとあたりを見回した。 「ここだよ、ここ」 声のした方を観察すると植え込みの向こう側、下町には珍しいオープンテラスのある喫茶店、カフェというのだろうか、でジーノが寛いでいる姿が目に入ってきた。 「お、王子!」 「ヒマだったら、一緒にお茶でもどう?」 まるで下手な軟派師のような言葉でもジーノの口から出ると不思議と上品に聞こえるのは気のせいであろうか。 ジーノの誘いを特に断る理由もなく、むしろ偶然出会えたことに嬉しくなり、椿は慌てて頷くと「すぐに行きます」と、店の入り口へと向かった。 「こんにちは」 長い足を悠然と組んでジーノは椿へと微笑みかけた。 途端に、慌ただしいく店に入ってきてしどろもどろで店員に案内を乞い、どたばたとジーノのテーブルまでやってきた自分のガサツな動きが恥ずかしくなる。 「こ、こんにちは」 そんな椿の内心を知ってか知らずか、ジーノは椿を一瞥すると、ゆっくりとコーヒーカップを口に運ぶ。 ジーノの涼しげな姿に少し見とれていると、目があった。椿は慌ててメニューに目を通す。 さらりと自然体で行動したいのに、ジーノといると自分の挙動のお粗末さが目立ってしまい、軽い自己嫌悪に陥る。 ジーノと時を過ごすのは大切な時間なのに……。 メニューの陰でため息をつく。 「どうしたの?バッキー。何を頼むか、決まらない?」 「あ、いえ……。はい、よく分からないです」 椿の返事に笑いながら、ジーノは椿からメニューを取り上げた。 「あっ」 驚いている椿をよそに、ジーノはスマートな所作で店員を呼んだ。 気付いた店員がやってくると、自分のカップを指さしながら注文を告げている。 ジーノのオーダーを確認した店員が、まだ少し中身の残っているカップを片付けると、店内へと入っていく。 付け入る隙のない、滑らかな行動に、椿は小さく息をついた。 自分もいつかこんな風にできるだろうか……? できないな、とすぐに憧れは憧れのまま消えてしまう。 「バッキー、どうしたの?コーヒーは嫌い?」 ため息をついた理由を探るように、眉を寄せたジーノが椿の顔を覗きこんだ。 「だ、大丈夫です」 「そう、よかった。このお店の水だしコーヒー美味しいから」 会話が途切れる。 ジーノと一緒にいると楽しくて嬉しいのに、椿はあまり会話らしい会話もできないでいるのだ。 今も……。 だから、何か話さなくては、と思いきって口を開いた。 「お、……」 気負ったためか、想像よりも大きな声になってしまい、椿はゆっくりと息をすると言葉を続ける。 「王子は今日は何をしていたんですか?」 「あ、ああ。たまには一人でゆっくりするのもいいかと思ってね。キミは?」 少々大きすぎる椿の声に一生懸命さを感じジーノは微笑んだ。 「俺は、近くでお祭りがあるって聞いて、一度行ってみたいな、って……思ってて、行ってきました」 「へぇ」 祭りに行くという概念が抜けているジーノは、珍しいものを見るような驚きの視線で椿を見た。 「あ、いや。お祭りっていっても、ほおずきとか夏のものを売ってて、あ、でも、屋台とかもあったんですけど……」 しどろもどろと、とりとめなく祭りの情景を話す椿の言葉を頭の中で繋ぎつつ、ジーノは椿のいつにない楽しそうな様子を微笑ましく思った。 驚いたり悲しんだり、意外と感情表現が豊かな青年の日常は、あまり伺い知れないことであったので、そんな話を聞けるのはそれはそれで愉快なことである。 「それで、風鈴のお店があって、俺、風鈴のお店って初めて見て、すごく、綺麗な音がしてて、思わずかっちゃったんです」 いつになく饒舌な、といっても訥々とした語り口であるが、椿は、しゃべりすぎたかも、と口を挟んでこないジーノに不安を覚え様子を伺った。 椿の思いは杞憂であったようで、ジーノはニコニコと椿の顔を見ていた。 それはそれで照れてしまい、椿は口の中でもごもご言葉を呑み込むように言うと、会話は途切れてしまった。 「……面白そうだね」 「え?」 「風鈴。今、持ってないの?」 「割れちゃうといけないから、お店で預かってくれるって言われて……」 「そう」 少し残念そうな顔でジーノが呟く。 「あ、あの。持ってきましょうか?」 「そこまでしなくても、大丈夫だよ」 今度は椿が残念そうな表情で俯いた。 「……ねぇ、バッキー」 「はい」 子犬のような愛くるしい瞳でジーノを真直ぐ見てくる。 「コーヒーを飲んだら、ボクも風鈴を買いに行きたいな」 「え?」 「キミとお揃いも、たまにはいいと思って」 ふわりと笑うジーノを見る椿の表情が喜びで輝く。 「はい」 元気よく返事をし、椿は今日の偶然に感謝した。 110711
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