電話とカフェと椿とジーノ




ジーノの携帯電話が震えている音がする。
椿は、話し出そうとしていた言葉を呑みこんだ。
そんな椿にすまなそうな顔をして、ジーノはパンツのポケットから電話機を取りだす。
「はい……」
人気の少ないカフェではあったが、周りの目を考え小さな声で電話に出た。
だが、次の瞬間、ジーノの声が楽しげな様子に変わる。
抑えた声量ではあったが、彼が喜んでいることを椿は感じた。
しかし、日本語ではない会話、おそらくイタリア語なのだろうがカタコトならば他の言語も話せると言っていたジーノなのでもしたら違うかもしれない、のために、椿には彼の話している内容がさっぱり分からなかった。
尤も、聞き耳を立てているわけではないのだが、自然と通りの良い美しい声が耳に入ってくるのだ。
知らない音は頭の中で意味をなさず、ただの綺麗な音楽のように素通りしていく。
呆然と恍惚の中間の表情で椿はジーノを見ていた。
その視線に気づいたのだろう。
ジーノがふっと話すのを止め、椿に向かって申し訳なさそうに微笑した。
「バッキー、ちょっとごめんね。大切な人からの電話だから、向こうで話してきていいかな?」
「……あ、はい。勿論です」
急に話しかけられた椿は、音楽の延長で聞いていた言葉に意味があることに気づくのが遅れ、少し返事が遅れた。
「ありがとう」
ジーノは椿に言いながらも、そそくさと席を立ち、話しながら店の外に出て行った。
オープンテラスになっているジーノは立っているだけで様になっている。
そして、時折楽しそうに、まるで子供のように笑うのだ。
椿の前では、滅多に見せないような笑顔で、椿は心の中に何かもやもやとしたものが生まれたような気がして、急いで冷め始めていたコーヒーを飲んだ。
暖かった時には美味しいと思ったコーヒーも、今はただ苦い水のように感じてしまう。
視線をジーノから逸らそうと店内を見回す。
だが、それは逆効果で、自分がいかに店の雰囲気と調和していないかを感じてしまう。ジーノが居たからこの店に馴染んでいるような素振りができたに過ぎない。
椿は落ち着かない気持ちになって、どうしよう、と思いながらガラス越しにジーノの姿を見た。
――すごく、楽しそう。
ジーノは椿に気付くことなく、話に夢中になっているようだ。
そういえば、『大切な人』だと言っていた。
家族だろうか。
外国語で話しているし、きっとそうだろう。
だけど、家族と話すだけであんなに楽しそうになるだろうか。
ふつりと浮かんだ疑問は、打ち消そうとしても中々打ち消せるものではない。
――もしかして……。恋人、とか。
それも、あり得ない話ではない。
罷りなりにも、椿はジーノと付き合っているのだが、他に恋人がいても、ジーノに関してはおかしいとは思えないのだ。
でも、恋人なら、恋人であるとジーノの性格からすると明言しそうな気もする。
椿は一人ぐるぐると困惑しているうちに、いつの間にか外にジーノの姿が見当たらなくなってしまった。
「バッキー、何を探してるの?」
「あ、王子」
笑いながら席に座ったジーノに、椿は安堵の表情を向ける。
ジーノは僅かに首を傾げる。
「どうかした?」
「え、いえ。……大丈夫です」
「大丈夫って感じじゃないけど……」
外国の血を思わせる色素の薄い瞳が椿を射ぬく。
「あ、その……」
ジーノの視線の鋭さに負け、椿はじどろもどろ話始める。
「電話が、イタリア語で、……俺、全然分からなくて……。王子の、大切な人って……誰だろうって、気になっちゃって……」
話しているうちに、椿は自分が詰まらない人間であることを再確認してしまい、ひどく悲しくなった。
「す、すみません。王子のプライベートなことは、俺には……関係ない、のに。何か……」
ジーノは何か考えている様子で、椿を見ている。そんなジーノの視線に耐えられなくなり、椿は俯いた。
「バッキー。大切な人っていうのは、イタリアでお世話になった恩師のこと。今度、日本に来ることになったから、ボクにも会いたいって連絡をくれたんだよ」
「あ……」
「それだけ」
「お、俺……。す、すみませんでした」
一人相撲をしていたことに気付き、椿は顔を真っ赤にする。
「ちゃんと言わないでごめんね。……でもね」
ジーノの声のトーンが落ち、椿はぎゅっと心臓を掴まれたような悪寒のようなものを感じた。
「ボクに恋人がいるって思ったり、ボクのプライベートが関係ない、とかいうのは、バッキーが悪いよ」
「え?」
「ボクってそんなに浮気者に見える?」
見える、とも言えず椿はふるふると小さく頭を振った。
「それに、今、ボクのプライベートを占拠しているのはキミなんだよ」
暫くじっと睨んでいたジーノだったが、仕方がないといように笑った。
「王子……す、すみません」
「あぁ、いいのいいの。バッキーみたいな素直な相手に高度な駆け引きをしても仕方ないもんね」
褒められているのか貶されているのか分からず、だが、とりあえず今一緒に居られるのは自分だということを言われ、椿も曖昧に笑った。
「さて、今日はこれからどうしようか?」
「……王子の好きなことで」
「そうだなぁ、……イタリア語のプライベートレッスンとかどう?」
「え?」
「将来役に立つと思うよ」
「は、い……」
英語すらまともに話せないのに、と椿は顔を強ばらせた。
「大丈夫、ボクのレッスンは実践的だから」
さぁ、行こう。
ジーノは椿の返事も待たず、レジへと向かっていく。
椿は、ジーノの後を慌てて追いかけた。
110907








+戻る+