◆居る場所◆ 東京に帰ってくる新幹線は混んでいて、人混みが苦手な椿は実家のある田舎から普通列車でゆっくりと帰って来た。気軽に帰るには遠いが、旅行というには近い距離が幸いした。 地元の駅で、適度に人の乗っている電車に乗り込んだ。来た時よりも土産、母親が詰め込んだ煮物や椿の好物、で大きくなった荷物を網棚に載せ、座席に座った。一息つくと、窓の外を眺めた。 懐かしい景色が広がっている。 昔は、電車に乗ること自体が非日常で、椿はひどくわくわくしたものだ。それがいつの間にか日常になり、今は懐かしさすら憶える記憶へと変わっている。 家を出てから随分年月が経っているのに、窓の外から見える景色も変わっているのに、自分は何も変わっていないと椿は思った。 ――少しは、成長してるのかな……。 正月に会った親戚は、椿のことを大きくなったと、テレビで見ていると言っていた。数少ない同級生たちも、すごい、を連発し誰か有名人に会ったのかと質問攻めにあった。 褒められて恥ずかしかったけど、みんなの声を聞けた楽しさと、誰かに認められているみたいな気持が嬉しくて椿は実家での生活を満喫した。 だけど、東京か近付くにつて、本当に自分は褒められるような成長をしているのだろうかと、ぼんやりと考えてしまう。 ――もっと、ちゃんと頑張らないと。 そんなことを考えぼぅっと窓の外を眺めているうちに、乗換え駅についてしまい椿は慌てて立ち上がり荷物を取って電車から降りた。 駅舎の雰囲気と行き交う人の多さが、段々と都心に近付いていることを知らせる。 ――帰ろう……。 実家で過ごした懐かしいのどかな気分を脱ぎ捨てて、椿は乗換えホームへと急いだ。 正月の余波で人の多い地下鉄の駅を通って大通りに出る。大きい荷物をぶつけないよう気をつけて住宅街へと抜ける道までたどり着いた。 まだ夕方にもなっていない時刻だというのに、既に暗かった。 目を細めて空を見ると、薄らとした明るさが空を赤く見せている。 ――帰って来たんだんな……。 実家で見た空には星が輝いていて、小さい頃からずっとそれが普通だと思っていた。しかし、今は空に星が見える事は滅多になかった。見えても本の僅かの輝きしかない。 それでも、段々と椿はこの空の下で生活することに慣れてきていたし、茫洋な性格が幸いしてか高校で寮暮らしをしている時から実家が恋しいと思ったことはなかった。 肩のスポーツバッグを掛け直す。 あれもこれもと詰め込んでいる母を父はソファから楽しそうに見ており、その隣の姉は呆れ顔をしていた。 ありふれた光景を、少しだけ懐かしく思った。 ほんの数時間前のことだというのに、とても昔のことのような気がして不思議に思う。 一人とぼとぼと歩いていると、アパートに着いた。 鍵を取りだし、ドアを開ける。 人の気配のない圧倒的な空虚が一瞬椿を襲った。 それも束の間、椿は狭い玄関にある灯りのスイッチを付け、いつも通りに靴を脱ぐと部屋へと入って行く。割とこぎれいな部屋は、ただ物が少ないだけで、生活感に乏しい感じもした。 ――帰って、来たんだなぁ。 「ただいま」 つい癖でそう言ってみたものの、どこかまだ部屋の空気に馴染めないでいた。 バッグを置き、一息ついた。 遠征試合から帰って来た時にも憶える違和感は、いつものそれよりも大きい気がして、僅かに戸惑った。 ――しっかりしなきゃ。 まず、何をすればいいのか考えてしまう。 とりあえず、荷物を解くことにし床に置いたバッグへと手を伸ばした。 バッグに触れると微かな振動を感じる。 慌てて中身を引っ掻きまわすと、無造作に突っ込んだ携帯電話を探しだした。 着信相手を確認し、切れないで欲しいと願いながら通話ボタンを押した。 「はい、椿です」 『ああ、よかった……』 笑いを含んだ声が耳元を擽る。 『今日、帰ってくるって言ってたでしょ? そろそろかな、と思って』 「い、今、丁度家に着いた所です」 『そう……』 相手の声が途切れると、途端に不安になってしまう。 「お、王子」 『何?』 「えっと、その……」 しかし、会話を繋げようと思っても上手く話題が浮かばない。 『ねぇ、バッキー』 「はい」 『実家は、楽しかった?』 「はい。いつも通りだったんですけど、色んな人に会って楽しかったです」 『それはよかった』 「お、王子は?」 『ボク? ボクも楽しく過ごせたよ』 声のトーンが微かに変わる。 「あ、あの……」 『ん?』 「……いえ」 少しだけジーノの気持ちが沈んでいるような感じがしたのは気のせいだったのだろうか。電話越しだと、表情が見えず、よく分からない。 不自然な間が生まれてしまった。 『ああ、そうだ』 そう言って話題を変えたジーノの声はいつも通りに聞こえた。 『バッキー』 「はい」 『……おかえり』 「あ……」 ジーノの一言が、椿の心に響いた。 『……バッキー?』 怪訝そうな声が聞こえる。 「王子……。ただいま、です」 ドキドキしながら椿は言った。急に、ジーノの言葉を聞いた瞬間、自分の居場所に帰ってきた実感が沸いたのだ。 その声を聞いたジーノが電話の向こうでくすりと笑う。 つられて椿も思わず笑った。 120109
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