椿大介の悩み(仮)




椿大介は悩んでいた。
大好きな人がいて、これは幸せなことだ、その人と一緒に過ごせて、とても幸せなことだ、あまつさえ触れることができて、……どうしようもなく幸せなことだ、にも拘らず、その大好きな人に苦痛を強いていることに心が痛む。
ジーノは、微笑んで「大丈夫だよ」と言ってくれる。
でもあの時の声とか表情とか、そういうのを思い返すと、何だか凄かったと思うと同時に、明らかな苦痛を与えていることを認識させられて椿は申し訳なくなる。
最中には自分のことで一杯一杯になってしまう。
「……バッキー、どうしたの?」
「え、あ、……だ、大丈夫です」
「……そう?」
少し怪訝そうな顔で椿を見るジーノだったが、「コーヒーでも飲む?」とソファを立つ。僅かな振動が椿に伝わってくる。あっと思う間にジーノは歩いて行ってしまう。
大きなテレビに流れている、ジーノお気に入りの白黒の映画をBGMに、椿はキッチンにいるジーノの後ろ姿を見ていた。
こうして見ると、別段細いというわけではないが、他の選手たちの間にいるとジーノはかなり細身な部類に入る。
今日の練習中も大きな選手たちの隙を縫うようにパスを回し、圧倒的な存在感を出していた。すごいなぁ、と思って見ていた椿だったが、ほんの少しだけジーノの動きに精彩を欠いているのが気になった。案の定、ジーノは途中で練習を抜けた。
本人は疲れたからと言い、チームメイトの顰蹙と諦めを受けていた。
グラウンドを出ていく時にジーノはちらりと後ろを振り返った。たまたまなのだろうが、椿と目があった。柔らかく笑うと、そのまま帰って行った。
椿は取り残されたような気分になり、非常に心細く感じた。
同時に、ジーノの不調の原因が自分にあるのかもしれない、と思った。前の夜、ジーノがぽつりと漏らした言葉を思い出したのだ。
いつものように部屋に呼ばれ、色々あって、いつものようにジーノとセックスをした。
甘い息と一緒に「これじゃ、明日の練習に出れないかも」と気だるく微笑んだ彼に、まだ熱の冷めやらぬ椿は思わずキスをして、もっとと強請ってしまった。
受け入れてくれるのをいいことに、途中から歯止めが利かなくなってきてしまい、……おそらく、いや、明らかにジーノに無理を強いた。
どう考えても、無茶だと言う事は分かっている。分かっているけど、止められない。果たして『好き』だから、という理由だけで、許されることなのだろうか。
取りとめもなく考えを巡らし、罪悪感に苛まれてから集中力散漫になり練習中に何度もミスをしてしまった。
結果、ミスが多いことも椿を落ち込ませ、今日の
それでも、今こうやってジーノの家で過ごしてしまっている。
「バッキー、コーヒー」
「あ、ありがとうございます」
焦った調子でお礼を言うと、ジーノが首を傾げ椿をじっと見た。
「映画、詰まらない?」
何でも見透かしてしまいそうなその視線に椿はたじろいだが、首を振った。
「いえ、そうじゃない……です」
「そうじゃない?」
コーヒーカップを持ったまま考えるように眉を寄る。たったそれだけの仕草なのに、どうしてこの人はこんなにも様になってしまうのだろうか、と椿は暫し見惚れた。
コーヒーカップを硝子製のテーブルに置くと、美しい音がした。美しい人の部屋では、音までもが美しい。いつも椿は不思議に思う。
少しぼんやりしている椿の肩へジーノが手を乗せる。
そのまま体を寄せるようにして、キスをした。
「こうしたい?」
どこか悪戯っ子めいた微笑で椿を誘った。
椿は自分でもびっくりする程、簡単に幻惑されてしまい喉を鳴らした。
「あ……」
「ん?」
「あ、あの……」
何と言えばいいのか分からない。
雰囲気は既に甘いものへと変わってしまい、椿のスイッチはオンになっている。それでも、昼間、不意に起こった罪悪感が行動を邪魔している。
「……?」
煮え切らない椿にジーノの体が離れる。
適正な距離を取り、椿を眺める。
椿は非常に緊張した。
「あ、……あ、……」
口をぱくぱくするだけで上手い言葉が出てこない。
滑稽である。
そう思うと余計何も言えなくなってきて、椿は更に焦った。そんな椿をジーノはじっと見つめている。
「バッキー、嫌なの?」
「へ?」
予想もしなかった言葉に素っ頓狂な声を上げる。
「ボクと一緒にいるのに、飽きちゃった?」
「ま、まさか、そ、そんなことないっス。王子と一緒に居たいです」
真剣な顔で言う。ジーノはあまりの真剣さに吹き出しながら、首を傾げた。
「それじゃぁ、どうしたの? さっきから、様子が変だよ」
「や、その、……」
「言って」
柔らかではあるが命令のような言葉には逆らえず、椿は言葉を継いだ。
「い、いつも、こうやって、王子と……その、せ、……」「せ?」
言い淀む椿にジーノが顔を寄せる。
「せ、セックスするときに、俺ばっかりがよくなっちゃって、王子はすっごく辛そうだし大変そうで、あ、その痛いんじゃないかなって思って、でも、俺、どうしようもなくなっちゃうから、……どうしたらいいかなって考えてたら、王子に申し訳ないって思って……そ、それで」
真っ赤になりながらも、一気に溢れだした言葉の最後に、椿は小さく「す、すみません」と付け加えた。
「バッキーは、ボクに悪いと思ってるの?」
「う……す」
「……ボクに悪いから、もうしたくないってこと」
こくりと頷いた椿にジーノは困ったように眉を寄せた。
「いえ、ち、違います。そ、そうじゃなく……て」
椿はジーノの言葉に慌てる。
「そうじゃなくて?」
「そ、そうじゃ、……なくて、俺、色々と考えてみて、そ、その……俺が王子になればいいんだって、……上手く、言えないんスけど……」
「バッキーがボクに……?」
ジーノは椿の言葉を翻訳しようと試みた。
「つまり、バッキーがボクに挿れるんじゃなくて、ボクがバッキーに挿れる、ってこと?」
あからさまな言葉で明言さて、椿は真っ赤になる。
「そ、そう……っす」
「もしかして、バッキーは挿れられる方が好きだったりした?」
「えっ、い、いえ……そんなことない、と思います。多分。やったことないから、分からないけど。そ、そうじゃなくて、王子の身になってみたら、王子の大変さが分かって、俺もムチャしなくなるかな……って思って」
ジーノは一生懸命な椿を驚いた顔でまじまじと見た。
そして、仕方なさそうに笑う。
「OK. それじゃぁ、試してみようか」
「うっす」
椿があまりにも真面目な顔で神妙に頷く。ジーノは思わず笑みを漏らした。

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